unlimited
プロローグ
   *
 閃光が奔る。
 それは俺の心臓を寸分違わず貫く。
 男の槍は特殊だったのか、痛みは感じなかった。
(―べ)
 槍がゆっくりと引き抜かれる感触。
 引っ張り上げられて、そのままうつ伏せに倒れ込んだ。
(わ――を―べ)
 立ち去る足音と気配。
 即死の傷のはずなのに、まだそんな感覚が残っているのが不思議だった。
(わた―を―べ)
 俺はこのまま――。
 何も為せないまま――。
 訳も分からぬまま――。

(わたしを呼べ、ヤクモ)

「――、ア――」
 自分の口が何かを発音する。
 それが何かも分からぬままに、俺は深い眠りへと落ちていった。
 しかしそれは死に逝く者の眠りではなく。
 幼い頃、母の腕の中で微睡むように――。
 いずれ目覚める為の、再生へと向かう休息の眠りだった。

六月二十日(土)
   *
 空高く、太陽が輝いている。
 どこまでも高く、どこまでも遠い。
 どんなに手を伸ばそうとも、天の頂に届くことはない。
 初夏の太陽がじりじりと肌を照らす。
 今年初の真夏日という今日この日。
 俺は駅前のロータリーで、ただひたすらベンチに座って待ち人を待っていた。
 ……待っていたのだが。
「遅い……」
 待ち合わせの時間は確かに二時だったはずだ。
「なんで西日になってるかな……」
 完全な、大遅刻だった。
 いくら日陰を選んで座っているからといっても、そろそろ熱中症で倒れてもおかしくないかもしれない。
「はぁ……」
 何度目かも知れないため息を吐く。
 俺は手を翳し空を見上げる。憎たらしいくらい青い空が視界いっぱいに広がった。
「はぁ……」
 再びため息。今度は俺のじゃない。
 視線を地上に戻すと――。
 そこには一人の少女が立っていた。
 胸くらいまである長くくせのない黒髪。長い睫毛。くりっとした大きな目。整った顔立ち。
 それらは、確かに俺の記憶の中にあるそれと重なった。
 けど……。
「すごい汗ですね」
 間延びした脳天気な声。事実、俺の身体は汗で下着までぐっしょりだった。
「誰のせいだと思ってるんだ……」
「え? 私のせいですか?」
「当たり前。待ち合わせ、何時だと思ってんだ」
 少女は腕時計を確かめる。
「えっと、四時じゃ……なかったですっけ」
「残念。四時だ」
「あっ、そうだったんですか!? じゃあ、二時間もこの暑い中待ってたんですか?」
「あぁ」
「ご、ごめんなさいですっ」
 深々と頭を下げる。長い髪が垂れて地面につくのも気にせずに、必死に。
 ……あぁ、そうだった。こいつはそんな奴だったんだ。
「もういいよ。顔、上げな」
 流石に周囲の目が気になり始めたのでやめさせる。
「あの……、怒ってないですか?」
 心配げに目を潤ませながら訊いてくる。
「怒ってないよ。お前がトロいのは今に始まったことじゃないからな」
 そっぽを向きながら答える。
 少女はそんな俺の姿を見て。
八雲やくもくん」
 俺の名を呼んだ。
神倉かみくら八雲やくもくん」
「……なんだよ」
「えへへ、呼んでみただけです」
「……そうかよ」
 俺はベンチから立ち上がる。待ち人も来たし、もうここにいる理由はない。
「じゃ、早いとこ行こうぜ。とっとと涼みたい」
「あ、はい。その前に……」
「その前に?」
 少女は恥ずかしそうに、
「私の名前も、呼んで欲しいです。八雲くんだけ呼ばれて、ずるいです」
「あー……」
 頭を掻く。改めて言われると照れるもんだな。
「もしかして……、私の名前忘れちゃったんですか……?」
 仔犬のように潤んだ目で見つめてくる。
「えーっと……、あれだよあれ」
「……名前を言うのにあれもなにもないと思います」
「ここまで出かかってるんだ」
「そこ、胸……ですよね」
 目尻にじわっと水の粒が浮かぶ。
 ……まずい、ちょっとした英国風のジョークだったのだから泣かせるつもりは微塵もないのだ。からかうのもこれくらいにしとくか。
 面と向かって言うのは恥ずかしかったから俺は背を向けて、
 五年振りに会った幼馴染に――。
 再会の挨拶にしては遅すぎるけど――。
「久しぶりだな、春姫はるき
 と、そう言った。そして、心の中で、
(綺麗になったよ、春姫)
 そう付け加えておいた。
「あ……」
 春姫は、背中越しには見えなかったが、
「はいっ」
 そう、笑顔で言ってくれたのだった。

 生まれ故郷である町で過ごす、五年振りの夏。
  空は高く、天の頂に手は届かないけれど――。
   何かが変わる。そんな予感がしていたのだった。

   *
 さて。
 少し現状を整理してみよう。
 名前・神倉八雲。年齢・二十歳。
 日本の有名国立中学を首席で卒業後、イギリスに留学。
 飛び級でハイスクール、ユニバーシティをこれまた首席で卒業し、十九歳という異例の若さで教員免許を取得。
 自分で言うのもなんだが。
 こういう奴を、人は俗に『天才』と呼ぶ。
 そうして俺は生まれ故郷である町に戻ってきた。
 俺の母親の妹にして、幼馴染である春姫の母、風間かざま春日はるひさん(要するに俺の叔母さんだ)が副学園長を務める学園に急遽欠員が出たということで臨時の教員としてスカウトされたというわけだ。
 私立清命学園せいめいがくえん。それが俺が明後日から働くことになる学園の名前だ。
 六年前に出来た新しい学園にもかかわらず世界的にも有名な中高一貫校で、全校生徒一五〇〇人という進学校。中等部・高等部といった分け方をせず、一期生(中一)〜六期生(高三)といった名称で学年を分けているのも特徴の一つだ。
 先刻述べた通り、春日さんが副学園長を務めているということで、ちょっとしたコネでここに赴任することになったのであった。
 住居は風間家に居候させてもらうことになっている。
 初めての教員生活だ、学内でも学外でも何か起こった時にもサポートが必要だろう、という春日さんの粋な計らいのおかげである。
 就職活動その他諸々をショートカットしての、まさに順風満帆なエリートコース。
 後に。
 この進路が俺の人生を大きく狂わせることになることも知らずに。

聖徒会せいとかい?」
 この家に来て初めての食卓。
 俺の歓迎会も兼ねて、と料理上手な母娘が豪勢な御馳走を用意してくれた。
 正直、海外あっちにいた頃は自炊するのも面倒で外食や購買が多かった。
 なのでこうして手料理を振舞ってくれるということが照れくさくもあり、また嬉しくもあった。
 母子家庭である風間家の食卓を囲む三人。会話の話題は専らこれから新しく始まる学園生活のことだ。
 そこで春姫は俺に清命学園の内情を教えてくれた。
「はい。うちは生徒会が多大な権限を持っているんです。ひじり≠ニいう字に生徒の徒≠ナ聖徒会です」
「で、お前はそこに所属してる、と」
「はい」
「執行部員なんですよ。私が顧問を担当しているんです」
 と春日さん。
 この親にしてこの子あり。
 三十代半ばと思しき春日さん。この若さで一五〇〇人の生徒を束ねる敏腕っぷりは娘にも遺伝されているようだ。
「お前トロそうなんだけどなぁ……」
「あ、ひどいです八雲くん。私これでも運動神経いいんですから」
「そうかよ……。ところで、学園内ではその『八雲くん』ってやめろよ。一応生徒と先生なんだからな」
「え……、ダメですか……?」
「公私混同は避けるべきだろう。ねぇ春日さん?」
「別にいいんじゃないですか?」
 だが俺の意に反してのほほんと春日さんが言う。
「……春日さん、副学園長がそんなでいいんですか……」
「私も『八雲さん』、って呼びますから」
 ……天然だ。ここに天然親子がいる。
「明日は学園に行くんですよね?」
「はい。引継ぎとか色々あるそうですから」
「春姫、案内してあげてね」
「はい。任せてください。私も聖徒会がありますからつきっきりって訳にはいきませんけど」
 そんな話をしている間に帰郷初日の晩餐は終わった。

六月二十一日(日)
   *
「……くん、八雲くん」
 ん、んんぅ……。
「八雲くん、朝ですよ。起きてください」
 なんだこの甘ったるい目覚ましは……。
 俺は音源の方に手を伸ばす。
 ――ふにょん。
「き――」
 あれ?
 何だ、この柔らかい感触……。
 男の本能的に嬉し恥ずかしなこれはまさか……。
「きゃあぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「痛たたた……」
 腫れた頬を押さえつつ通学路を行く。
「ごめんなさい……」
 隣ではしゅんと縮こまった春姫。
「まぁ、俺も悪かったよ。まさか起こしに来るなんて思わなかったから」
「はい……、すみません」
 それにしてもあの感触……。前に会った時はまだ小学生だったのに、いつの間にそんな大人っぽい身体になってたんだ?
「……八雲くん、いやらしいこと考えてます」
「そ、そんなことないぞ? それはそうと、日曜まで学園に行かないといけないんだ?」
「あ、はい、聖徒会のお仕事がありますから」
「大変なんだな」
「好きでやってることですから。そんなことないですよ」
 のほほんと笑顔で答える春姫。
「ところで、学園までどれくらいかかるんだ?」
「歩いて十五分くらいですね」
「そっか」
 それから後は特に話題もなく黙々と歩いた。
 やがて、言われた通り十五分程歩いたところで――。
「着きました」
「でかっ!!」
 第一声がそれだった。
 敷地は俺が通っていた大学程もある。
 広いグラウンドに真新しい校舎。
 更にその向こうには体育館や部室棟もあるらしい。
「迷子にならないよう気を付けてくださいね」
「あ、あぁ……」
 この場合、冗談に聞こえないな……。
 昇降口で一度別れ、校内に入ってしばらく歩く。
「ここが職員室です」
 案内された先には確かに『職員室』と書かれたプレートがぶら下がっている。
「じゃあ、私は聖徒会に行きますから」
「あぁ。案内、サンキュな」
 ぺこりと頭を下げた春姫は小走りで駆けていった。
「さて……」
 ここから、俺の教員生活が始まる……。
 期待半分不安半分といった感じだ。
 俺は一つ深呼吸をして――。
 職員室の扉に手をかけ――。
「失礼しますっ」
 そう言って新しい未来へと続く扉を開いた。

   *
 引継ぎも無事終了して、俺は明日から四期生のクラスで担任をすることになった。
 その帰り道……。
 ちょっとこれから世話になる校内を見て回ろうと思い立ったのが運の尽きだった。
「迷った……」
 清命学園恐るべし。
 記憶力には自信のあるこの神倉八雲をして迷わせる校舎の広さ。
 誰かに道を訊こうにも、日曜ということで校内にひと気はない。
 本格的に迷子だった。
「弱ったな……」
 と、ふと通りかかった教室の中から――。
「〜〜〜♪」
(歌声……?)
 美しい、聴く者の心を魅了する魔法でもかかっているような――、
 そんな、可憐な旋律が聴こえてきた。
(誰かいるのか……?)
 俺は扉を開けてみた。
 教室は空き教室のようで、椅子や机は壁際に堆く積まれていた。
 その教室の窓際――。
「――――」
 俺は言葉を失った。
 そこには一人の女生徒が立っていた。
 夕時の日差しを浴びて輝く銀髪。鈴のようなよく通る美声。
 ア・カペラだというのに、全く音程が乱れない。
 数秒か、あるいは数十分か。
 俺は時を忘れてその後姿に見入っていた。
「……?」
 俺の気配に気付いてか、少女が振り返る。しゃらんという音が聞こえた気がした。
 憂いを帯びた瞳、ツンとした高い鼻、小さな口、透き通るように白い肌。とても端整な顔立ちをしている。そして変わったことに、もう暑いというのに左手には肘まである黒い手袋をはめていた。中等部の制服を着ている。歳の頃は十二、三くらいだろうか。幼さを残しつつ、それでいて可愛いというより美しいという形容詞がしっくりくる容姿だった。
 空き教室に一人佇むという雰囲気も手伝って、どこか神秘的な印象を受ける――。
 そんな、綺麗な女の子だった。
 少女は俺を見るとにっこりと笑って。
「こんにちは」
 と、ひどくありふれた挨拶をした。
 それで止まっていた時間が動き出した。
「あ、あぁ。こんにちは」
「誰かお探しですか? 見ての通り、ここには私以外いませんよ」
 君に見惚れてた、とはいくらなんでも恥ずかしくて言えない。
「あ、いや。道に迷ってたんだ」
 丁度いい、この子に道を訊いてみよう。
「あのさ、昇降口……どっちかな?」
「まぁ、迷子ですか? まぁまだ慣れていないでしょうから無理もありませんね」
 ……?
 少女の言葉にふとした違和感を覚えたが、その正体は分からなかった。
 と、少女は窓辺を離れて俺の前に来る。
「案内しますよ。ついてきて下さい」

 教室から出て一分も歩かないうちに昇降口についた。
「着きました。ここが教員用の昇降口です」
「あぁ……ありがとう」
 ……やっぱり何かひっかかる。だがやはり違和感の正体は掴めなかった。
「覚えましたか?」
「……え?」
 考え事をしているところに唐突に質問され、一瞬ドキッとする。
「道、覚えましたか?」
「あぁ、うん。おかげさまでだいたい。サンキュな」
「いえ。お役に立てて光栄です」
 では、と言い残して少女は立ち去ろうとする。
 だが途中で振り返って。
「もう、迷わないで下さいね。神倉八雲先生」
 と、確かにそう言った。
「あ、君――」
 名前を訊いておこうと思ったが、それより早く少女は立ち去ってしまった。
「……不思議な子だったな」
 それに――。
「……綺麗な子だった」
 誰かに聞かれたら危ないと思われそうな言葉を一人呟き、靴を履き替えようとしたところで、ようやく違和感の正体に気が付いた。
『もう、迷わないで下さいね。神倉八雲先生・・・・・・
 …………。
「……俺、自己紹介したか?」

   *
「それはきっと歌姫≠ナすね」
 夕食の場で、春日さんはそう説明してくれた。
「歌姫=H」
「八雲くん、その子は、黒い手袋をしていませんでしたか?」
 あぁ、そういえば……。
「してたな、確かに」
「なら間違いないですね。今年入学した、一期生の清野きよのみことさんです。音楽の特待生なんですよ」
 一期生の清野命、か。なるほど、音楽の特待生ともなれば、あれ程歌が上手いのも納得だ。学園の制服を着ていた以上、生徒なのは確信していたが……。
「どうしました? 八雲くん」
 向かいに座った春姫が怪訝な顔で覗き込んできた。
「いや、その子俺の名前を知ってたんだよ。教職員だってことも……」
「八雲さん、学園ではもう有名人ですから。知られていてもおかしくはありませんよ」
「そんなもんですか……」
 まだ微妙に腑に落ちない点はあったが、春日さんの言うことには不思議な説得力があった。先に感じた、清野という生徒の神秘的な雰囲気も手伝ってそれ以上詮索する気は失せた。
「そういえば八雲さん。学園はどうですか?」
「まだ数時間しか回ってませんが、良い学園だと思います。校舎は綺麗だし、今日会った教員の方も良くしてくれました」
 別に身内贔屓しているわけじゃないが、春日さんが副学園長をしているだけある。凛とした空気の中にも和やかな感じが融合しており、とても居心地の良さそうな学園だった。上に立つ人の影響を多分に受けているのだろうな。
「4−3の担任を請け負いましたが、早く生徒達に会いたいと心待ちにしているのが正直なところです」
「あら、4−3の生徒ならもう既に一人会っていますよ」
「え?」
「あの……、実は私のクラスです〜」
「え、マジか……」
「偶然ですね♪」
 のほほんと言う春日さんの顔には悪戯っ子のような笑みが浮かんでいる。
 ……この人、謀ったな。
「八雲くんと一緒、八雲くんと一緒♪」
 春姫はなんか変な歌歌ってるし……。
 この家族の辞書には公私混同という言葉は存在しないのか?
 呆れる反面、昔と変わらない温かな家庭に頬を綻ばせている自分もいる。
 この空気――、嫌いじゃない。
「八雲くん、おかわりは?」
「ん? あぁ……」
 いつの間にやら俺の茶碗は空になっていた。
「じゃあ頼む。特盛りでな」
「クスクス。は〜い♪」
 和やかな食事は一時間も続いた。

   *
「さて、と」
 明日から俺も先生だ。緊張していないと言えば嘘になる。
 もうガキじゃあるまいし、興奮して眠れないってことはないが……。
 とりあえず今のうちに実家から送ってきたいくつかのダンボールの中から、教員生活に必要そうなものをピックアップしとこう。鞄とダンボールを交互に開けたり閉めたりする。
「これはいるな。こっちは……まだいいか」
 と、鞄の底から一封の袋を見つける。
「……こいつのことも、どうにかしないといけないな」
 こっちで新しい病院も探さないといけないし。
これ≠ホっかりは春姫にも春日さんにも訊けない。
 海外にいた頃も、これ≠ノは悩まされたもんだ。
 とりあえず、明日の放課後あたりネットでこのあたりの病院を探してみるか。
 コンコン。
 その時不意にドアがノックされる。俺は咄嗟にデスクの引き出しに袋をしまった。
「どうぞ」
 わずかに開けた隙間から顔を覗かせたのはパジャマ姿の春姫だった。
「良かった、まだ起きてたんですね」
「そろそろ寝ようと思ってたところさ」
「明日、早いんですよね」
 確かに、七時には学園に来るように言われている。
「まぁ早いって程でもないよ。大学通ってる時は朝日が昇る前に行くこともたまにあったし」
「私は一緒に行けないですけど、道分かりますか?」
「なめんなよ。この年で教師になった頭脳を甘くみるな、もう覚えたっつーの」
 ……学園内では迷ったけどな。それは内緒だ。
「そうですか。私も八時くらいには聖徒会室にいますから、何かあったらいつでも声かけて下さい」
「あぁ、サンキュな」
「あ、本題忘れるところでした。八雲くん、携帯の番号教えて下さい」
「ん、あぁ、そういやまだ電話番号も交換してなかったな」
 枕元に置いていた携帯を操作して、赤外線でお互いの番号とアドレスを交換する。
「えへへ……」
 何が嬉しいんだか、春姫はご機嫌なていだ。
 じゃあ……、と言って部屋を後にする春姫。だがドアノブに手をかけて。
「……明日、教室で会えるの楽しみにしてます」
 背中越しに、はにかみながら、そう言った。
「それじゃ、おやすみなさい」
「あぁ。おやすみ」
 今度こそ春姫は部屋を出て行った。
 ……俺も寝るか。
 デスクにしまった袋から錠剤を二錠飲み込み、布団に潜り込む。
 明日から始まる未知の生活。
「教師、か……」
 子供の頃からの夢だった、教師。
 大丈夫だ、何も心配はない。
 あったとしても、俺の手で排除してみせる。
 俺はいつだってそうしてきたのだ。今回だって、どうとでもなる。
 自分に言い聞かせているうちに、意識は徐々に深い闇へと埋没していった。

六月二十二日(月)
   *
 最初の感情は、安堵。
 風間家に来て二度目の朝。
 自分が眠った時と同じ場所にいることに安堵した。
 時刻は六時を少し回ったところ。基本、朝は強い体質なので目覚ましは使わない性質たちだ。
 何事にも余裕を持って行動する。それが俺の信条である。ましてや今日は通勤初日だしな。
「……よし」
 姿見で頭の先から爪先まで見直して何も問題はないことを確認する。
 鞄を手に階下へ。
 キッチンには人の気配が。覗くと春日さんがシンクの前に立っていた。
「おはようございます、八雲さん」
「おはようございます。早いんですね」
「この時間には台所に立っていないと、一日調子が出ないんですよ」
 歳かしらねぇ、などと冗談を言う春日さん。
「またまた、御謙遜を」
「うふふ、ありがとうございます。コーヒー、ブラックでいいんでしたよね?」
「あ、はい」
 すぐにポットを持ってきて、俺用にと用意しておいてくれたカップに注いでくれる。このコーヒーもインスタントではなく、豆から挽いたものだ。俺がこの時間に起きてくることを分かっていたかのようなタイミングでトーストとサラダが並ぶ。
 まさに至れり尽くせり。一年前にはおよそ考えもつかなかった朝の風景だ。
 朝は食べない主義だが、出された以上は食すのが礼儀だろう。
「今日から学園ですね。緊張してますか?」
 春姫の分も用意を終えたのか、エプロンを外しながら台所からダイニングテーブルに座る。
「していないと言えば嘘になります」
「困ったことがあったら、いつでも私か春姫に言って下さいね? もう八雲さんは家族なんですから、遠慮なんてしないで」
「ありがとうございます。俺の手に負えないことがあったら力を借ります」
 その言葉は果たして、半分本気で半分嘘だ。
 俺は今まで一人きりであらゆる困難を突破してきた。これからだってそのつもりだ。
 俺には一人でもやっていけるという自負心があった。断じて遠慮しているわけではない。
「では俺はそろそろ行きます」
 時計は六時半を指していた。
「行ってらっしゃい。頑張ってね」
 温かな声を背に、俺は家を出た。

   *
「そう……、九つの世界≠ェ……」
「はい。菊理くくりさんの報告によれば、ここ数日、急激に動きが活発化しているようです」
「妙ね……。飯綱いづな、それとなく探りを入れておいて頂戴」
「はい、会長」

   *
 職員室の外がざわついてきたのは、俺が準備万端整った頃だった。
 腕時計で時間を確かめるとなるほど、そろそろ生徒の登校時間のピークである。
 職員達も、担任を受け持っている人は一時限目のロングホームルームの、それ以外は二時限目以降の授業の準備に右往左往だ。
 俺のデスクの上にも、表紙に『4−3』と書かれた名簿が置かれている。4−3は生徒数三十四人で、上から九番目に確かに『風間春姫』という名前が書かれていた。
 廊下が静まってきた頃、春日さん――副学園長が入ってきた。
「みなさん、おはようございます」
 ざわついた中にも凛と響く声に、立ち歩いていた教員も自分のデスクに戻っていく。
 生徒数が一五〇〇人近いので、その分教員も多い。職員室の端から端までは50mくらいの距離がある。なので室内にはマイクとスピーカーが設置されている。そうでもしないと後ろまで声が届かないのだ。
 慣れた体でマイクを取る副学園長。
『えー、今日は皆さんに新しいお仲間をご紹介いたします』
 ……きた。
 やっぱあるよな、普通。
 どよめく室内。ちらりと春日さんを見ると、目が合ってにっこりと笑った。
『先日惜しくも結婚退職なさった田浦先生の後任の先生です。……神倉八雲先生、どうぞ前へ』
 その声に仕方なく立ち上がると周囲のどよめきが更に大きくなり、次いで拍手が巻き起こった。
「さ、八雲さん」
 小声で目配せをする春日さん。
 はぁ……、こういう挨拶って苦手なんだよな。
 なんと自己紹介したもんか一瞬迷ったが、別にこの場でウケをとる必要もなく、無難な挨拶に留めることにした。
 俺は一つ咳払いをして。
『今日からお世話になります、神倉八雲と申します。右も左も分からない弱輩者ですが、何卒御指導御鞭撻の程よろしくお願い致します』
 そう言って深々と頭を下げると、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
『神倉先生はご覧の通りまだお若いですが、イギリスのオックスフォードを飛び級、しかも主席で卒業した英才です。4−3の担任を受け持ってもらうことになりましたが、まだ不慣れなこともあるでしょう。皆様で暖かく見守ってあげて下さいね』
 春日さんがそう補足すると、一層拍手が大きくなった。
 妬み、やっかみなど微塵も感じない。
 なんて、この学園は温かいのだろう。
 俺の顔は自然と綻んでいた。
『それでは皆さん、今日も一日頑張りましょう!』

   *
「そういえば、学園長ってどんな方なんですか?」
 副学園長直々に教室まで案内してもらってる最中、俺は気になったことを尋ねてみた。事実、俺はまだ学園長の顔はおろか名前すら知らない。
「学園長ですか? うーん、ドイツにある姉妹校に赴任してますよ」
 なるほど、そうなのか。こんな学園を束ねるくらいだからさぞや優れた人格者なのだろう。是非会ってみたかったんだが。
「さ、着きましたよ」
 確かに『4−3』と書かれたプレートがぶら下がっている教室の前に着いた。教室内からは活気に満ちた朝の喧騒が聞こえる。
「準備はいいですか? 神倉先生?」
「…………」
 俺は一つふぅーっと深呼吸をして、
「……はい、大丈夫です」
 そう答えたのを確認して、春日さんが扉を開いた。
「はーい皆さーん。ホームルームを始めますよー」
 春日さんに続いて教室に入る。すると……。
「わーっ!!!」
(うおっ、すげ……)
 新任の教師が来るのは聞いていたのだろう、待ってましたと言わんばかりの歓声に巻き込まれた。
 黒板にはでかでかと『ようこそ、神倉先生!!』と書かれている。
 ……心地よい恥ずかしさだった。
「はい静かに。早速紹介します、今日からこの4−3の担任を受け持って頂く事になった……」
 ちらりと目配せ。俺はそれに首肯して。
「はじめまして、これから皆さんの担任を務めさせて頂く神倉八雲です」
 きゃー若ーいとか、かっこいいーとか、こっち向いてーとか、主に女子を中心に黄色い声があがる。
 約一名、はじめましてじゃない生徒もいるが……。
(八雲くーん)
 前から二番目の席でにこやかに小さく手を振っている春姫を見つけた。だからその呼び方はやめろっていうのに……。
「神倉先生は、見ての通り四期生の皆さんとあまり年齢は違いませんが、立派な先生です。でもだからといってあまり堅苦しくならず、友達感覚で付き合ってあげて下さいね」
「はーい!!!」
 またも大きな歓声。拍手とともに。
 そんな中、ただ一人我関せずな顔で窓の外を眺めている女生徒がいた。はしゃぐクラスメイトを横目に、見るからにかったるそうな雰囲気を醸し出している。
「じゃああとはクラス委員に任せましょうか。はやしさん」
「……はい」
 面倒くさそうに返事をして立ち上がったのは、まさにその女生徒だった。
「神倉先生、彼女ははやし飯綱いづなさん。このクラスの委員長です。聖徒会の執行部員も務めているので、情報には精通しています。何かあったら彼女に尋ねると良いでしょう」
「……林です。よろしくお願いします」
「あ、あぁ……、よろ――」
 しく、と言い終わる前に、林という生徒は軽く会釈をしてすたすたと自分の席に戻っていった。
 ……無愛想な子だな。
 まぁ個性があっていいってことにしとくか。
「じゃあ私はこれで。頑張って下さいね、神倉先生♪」
『先生』の部分を強調して言って、副学園長は去っていった。
 ……こっから先は俺一人でなんとかしないといけない。もう微温湯ぬるまゆに浸かっていられる時間は終わりだ。
 俺はもう一度深呼吸をして。
「よーし、ホームルーム始めるぞー」
「はーい!!!」
 まずは自己紹介からだな、などと考えつつ――。
 俺の教員生活が、静かに幕を上げた。

   *
「つかれた……」
 自室に帰ってきて、開口一番それだった。
 俺の担当科目は英語なのだが、月曜は何の因果か授業が三クラスもあるのだ。
 授業初日ということで、どこのクラスも自己紹介だけで済んだのだが、一日に百人以上の生徒の顔と名前を覚えるのはいくら俺でも無理だ。しかも明日からは指導する側に回るのである。実習で多少慣れてはいても、教生と本物の先生はワケが違う。
 こんなのがこれから毎日続くのかぁ……。軽く鬱になる。
 でも大学に通っていた頃のような、どんよりした疲れじゃない。どこか清々しい疲労感だった。
 大学時代はどうしても嫉妬心や猜疑心がついて回ったからな、特に俺みたいに出来が良い学生には。
「そういえば……」
 あの清野って生徒の姿は見なかったな。
 まぁ神出鬼没ってわけでもあるまいし、あんな広い校内じゃ会わない方が普通か。そのうちまた会うこともあるだろう。あんなインパクトのある生徒、一目見れば分かるだろうし。
 そうだ、この近くの病院を調べようとしてたんだ。アレも残り少ないし。
 バッグの中を漁る。アレは常時持ち歩くようにしていた。
「あれ……?」
 ……はて。
 どこいったかなアレは。
 もう一度よく見てみる。
 ……ない。
 鞄の中身を全て机の上に並べてみてもどこにもない。
 どこかで落としたみたいだ……。
「参ったな……」
 その時。
「八雲くん? ご飯できましたよ」
 扉越しに春姫の声がした。
「あぁ、春姫か? 悪い、すぐ行くから先に食っててくれ」
 うーむ……。
 まぁなくなってしまった物は仕方ない。数日くらいなくてもなんとかなるだろう。
 無い物ねだりしてもしょうがない。これも俺の信条の一つだ。
 出した物を鞄にしまい、俺は一階に降りた。

   *
 晩御飯は素麺だった。これもまた絶品だった。
 食事の後に一番風呂を頂き、上はTシャツ、下はジャージと、ラフな寝巻きに着替えてベッドに寝転がっている。
 今日は疲れた。身体的というより、精神的に。ちょっと休んだら明日の準備をして今夜は早めに寝よう。
「っと、その前に……」
 パソコンを立ち上げる。これも春日さんが俺専用に用意していてくれたものだ(因みに赤くもないし三倍早くもない)。本当、春日さんには感謝してもし足りない。
 インターネットに接続して、検索エンジンを起動させ、キーワードを入力する。
『精神科病院』、と――。
 結果はすぐに見つかった。幸いにも電車で二駅ほど行ったところに総合病院があるらしい。医師との相性もあるし、とりあえず近いうちに試しに行ってみるか……。
「よし、っと」
 パソコンの電源を落とす。壁にかけられた時計は二十二時を指していた。
 ……ちょっと早いけど、寝るか。
 アレなしで眠るのに少し抵抗はあるが、なんとかなるだろう。
 明かりを消して、横になる。やはり疲れていたのだろう、眠りはすぐに訪れた。
 そう。
 なんとかなるだろう、と――。
 俺は楽観していたのだ。

   *

――おいで

 ――夢を見ていた。
 夢の中では、大抵自分の行動を操ることは出来ない。
 その夢で、俺の意思とは無関係に道を歩いていた。

――おいで

 ――この道は知っている。
 正確には、つい最近知った道だ。
 この道は……。

――おいで

 ――しばらく歩いて、ある場所に辿り着く。
 この場所は……。
 ……そう、清命学園だ――。


――おいでよ さぁ たのしいパーティーを始めよう――


「――ッ!」
 あ、あれ……?
 ここは……どこだ?
 俺はいつの間にか私服に身を包んで、明らかに自分の部屋じゃない場所に立っていた。
 窓の向こうに、雲間から月が覗いているのが見えた。
 ここは……学園だ。
 さっきまで見ていた夢――。
 いや、あれは夢なんかじゃない。俺が無意識下でここまで歩いてきたんだ。
「参ったな……、なんてタイミングの悪さ……」
 たった一日薬を抜いただけで発作を起こすなんて……。
 これが俺が昔から抱えている病気。
睡眠時遊行症=\―。いわゆる、夢遊病だ。
 でも、今日のはちょっと変わってたな。
 普段は記憶が全くないんだけど、今回はわずかに記憶に残っている。
 それになんだか――──

――おいでよ さぁ たのしいパーティーを始めよう――

 奇妙な声を聞いた気がする。
「にしても……」
 わざわざ服まで着替えさせてくれるんだからな、ご丁寧なもんだ。あ、でも靴はそのままだな。
 しかしまた、なんで学園なんだよ……。
 こりゃ明日あたり、早々に病院行って薬を処方してもらった方がいいな。
 寝たのが二十二時だったから……今は大体零時ってとこか。
「帰ろ……」
 宿直の先生に見つかると厄介なことになる。とっとと退散しますか。
 外では鈴虫が鳴いていた。そんな中――。
 ――ィン
「?」
 今、何か音がしなかったか?
 虫の声だろう、と言われれば納得してしまうような小さな音。
 ――ィン、キィン
 ……違う。
 虫の鳴き声なんかじゃない。明らかに異質な音。
 甲高い、鉄と鉄とがぶつかり合うような音が――。
 ――逃げろ
 どうやら中庭の方から聞こえてくるようだ。
 ――逃げろ
 俺はその場所に――──
 ――逃げろ逃げろ逃げろ戻れ戻れ戻れその先に行ってはいけないその先には何もないその先には誰もいないその先で殺し合いなど行われていない・・・・・・・・・・・・・……!!

――おいでよ さぁ たのしいパーティーを始めよう――

 その場所に、向かってしまった。

 ちょうど月は雲に隠れてしまっていた。
 宵闇の中、音だけが響く。
 キン! キィン!!
 確かに鈴虫の鳴き声に似ている。違うのはその音が二人の人間から発せられていることだ。
(なっ……!?)
 否。
 その音は二人の人間の持つなにか≠ゥら発せられていた。
 気配を殺して近付いたのは、好手だったのか悪手だったのか。
 俺は校舎の影に隠れて二つの人影の演舞に魅入っていた。
 キィン! キィン!!
 耳朶に響くその音は、錬鉄場を思わせる。
 間違いなく鋼と鋼、人を殺すに足る凶器がぶつかり合う不快音だった。
 ――これは夢か? 幻か?
 普通の知能アタマを持っていればそう考えただろう。
 だってそうだろう?
 時代錯誤な獲物を持った二人が、わずか数メートル先で本気で殺し合いを繰り広げているのだから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「はぁぁ!!」
 気合一閃、決して大きくはないが凛としたよく通る声。
「ふんっ! どうやらまた腕を上げたようだなぁ!?」
 それに対し、低く腹に響くような胴間声。
 キン、キン、キィン!!
 そして鳴り渡る甲高い鉄の音――。
 俺の頭は、ある意味でとっくにイカレていた。
 雲の隙間から、月が覗く。その光によって、殺し合いをしていた二人の姿が闇の中に浮かび上がる。
 一人は男。一人は女。
 二人とも手に持った武器は、2mはあろうかという長い槍。
 男の槍はどす黒く、まるで凝固した血を連想させる、芸術的なまでの赤と黒の混合色――。
 女の槍は白銀の、あたかも泉の精霊でも宿っているように、銀露の如く神秘的に輝く――。
 対照的な黒と白が幾度となく混ざり合うその様はまるで出来の良い絵画だ。
 黒槍が女の脇腹すれすれを掠め、
 白槍が男の首筋ぎりぎりを払う。
 そして音叉のように響く金属音。
 現実離れしたその光景は、俺の思考を停止させるのに十分だった。
「ぃやぁぁぁ!!」
「おぉぉぉぉ!!」
 ガギィン――!!
 二槍が奏でる、一際大きな裂帛のような不協和音。剣風が、離れていた俺の元まで届いた。
 それで、停まっていた脳が活動を再開した。そして同時に理解に至る。
 ──ここにいたら殺される――。
 そんなことを即座に判断出来てしまう自分の頭が、こんな時ばかりは恨めしかった。
 逃げなくては……。
 後ろ向きに一歩下がる。
 ――じゃりっ。
「――ッ!」
 なんて、間抜け。
「誰だッ!!」
 逃げるのなら回れ右をして脇目も振らず一目散に駆け出すべきだったのだ。
 砂を踏みしめるかすかな足音にさえ、奴等は反応する。
 男が俺の方に向き直り、俺の姿を視認した瞬間、殺しのターゲットが俺に変わったのだということが分かった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「しまった! まだ人がいたなんて!?」
 女の声がしたが、そっちを見ている余裕なんて皆無だ。
 俺は情けなくも足が竦み、一歩後ずさった格好から動けないでいた。
「チッ……」
「え……?」
 男が消える。
 俺は足が竦んだあまりに、後ろに転んでしまった。次の瞬間――。
 ――ぶぉん!
 俺の頭上――今まで俺の首があった場所を槍の刃が横切った。
「躱した!? ……いや、こけただけか」
 消えたんじゃない。消えたかのように高速で俺に肉薄したのだ。
「待て! ナヅナ!!」
 もう一人がこっちに駆け寄ってくるが。
「テメェは引っ込んでろ飯綱!!」
 ぶぅん!!
「くっ……、ぁ――!」
 無計画に突っ込んできたためか、横薙ぎの一撃をいなし切れずに吹っ飛ばされ校舎の壁に激突した。
「ぐ、かはっ……。けほ、けほ……」
 背中を打ったのか、咳き込む影。
 腰を抜かした俺の目の前には、依然男が立っている。手には血色の槍を持ったまま。
「とんだ邪魔が入ったぜ。どっから湧いて出たのかは知らねぇが……、ま、見られちまったモンはしょうがねぇ……」
 男は槍を振り上げ――。
「……大人しく死んでくれや」
 ――もう恐怖はなかった。
 ――ただ漠然と。
 ――あぁ、ここで死ぬんだなと実感した。
吸命の毒牙ノスフェラトゥ=v
 断頭台の紐から、その手を放した。
 閃光が奔る。
 それは俺の心臓を寸分違わず貫く。
 男の槍は特殊だったのか、痛みは感じなかった。
(―べ)
 槍がゆっくりと引き抜かれる感触。
 引っ張り上げられて、そのままうつ伏せに倒れ込んだ。
〈チッ……、後味の悪ぃ殺ししちまったぜ〉
(わ――を―べ)
〈分かってるさ。今夜は様子見だって言うんだろ。……あばよ飯綱。またいずれな〉
 立ち去る足音と気配。
 即死の傷のはずなのに、まだそんな感覚が残っているのが不思議だった。
(わた―を―べ)
 俺はこのまま――。
 何も為せないまま――。
 訳も分からぬまま――。

(わたしを呼べ、ヤクモ)

「――、ア――」
 自分の口が何かを発音する。
 それが何かも分からぬままに、俺は深い眠りへと落ちていった。
 しかしそれは死に逝く者の眠りではなく。
 幼い頃、母の腕の中で微睡むように――。
 いずれ目覚める為の、再生へと向かう休息の眠りだった。

   *
『ΑΔΑПТ』
「そう……目覚めたの。ありがとう、オモイカネ」
『ΝΟΤ ΑΤ ΑΛΛ』
 ヴン……。
「……八雲さん」

  *
「つっ……、間に合わなかったか……。ッ!? これは、アダプト!?」
 …………。
「まだ息がある……? 莫迦な、ノスフェラトゥの一撃を心臓に受けて……?」
 ……煩い。
 人が寝てるんだ。もっと静かにしろ……。
「おい貴様、起きろ」
 ……なんだ?
 聞き慣れない声だな……。春姫か……?
「おい、起きろと言っている。生きているんだろう?」
 ……違うな、やっぱり多分聞いたことない声だ。
 やかましいな……、もっと……静かに……。
「起きろと言っている!!」
 ガツン!
「〜〜〜!!?」
 後頭部に硬い衝撃を受けて飛び起きる。
 な、なんだ!?
「目覚めたか」
 ここはどこだ? 俺は……どうなって?
 起き上がろうとしたところで右手に不自然な重みがあることに気が付いた。
「?」
 ふと見ると。
 見慣れない何か≠ェ握られていた。
「純白の、剣……?」
「ようやく現状を把握したか?」
「って、うわっ!」
 目の前に白銀の槍を持った少女が立っていた。
 それで、思い出した。
 なんかよく分からない殺し合いに巻き込まれて、殺されそうになった──――
 ──違う。
 ……殺されたんだ。
 心臓に槍が突き刺さる感触、しっかりと覚えている。
 なのに、何故生きている?
 この剣はいったい?
 そして目の前のこの少女は……。
「林……飯綱?」
 今朝クラスで初めて会ったばかりの、あの林だった。
「……ん? お前……神倉八雲か!?」
 ……教師を呼び捨てか。
 って、んなことどうでもいい!
 頭を働かせろ……、状況を整理しろ神倉八雲……。
 今分かってるのはさっきまでこの場で殺し合いが行われていたということ、それを行っていた一人がこの林だということ。
 俺が、一度殺されたということ。にもかかわらず、何故か俺は今生きているということ。
 そして――。
 俺が今握っているこの剣が、彼女達の持つ凶器やりと同種のモノだということ──――。
「俺は……、うわっ!」
 俯いていた顔を上げると、槍のきっさきが俺の眼前に突き付けられていた。
 林の眼には確かな敵意が宿っている。
 俺は、また殺されるのか……?
 あんな風に、抗うことも出来ずに……。
 林飯綱は冷たく見下ろしたまま、

「……答えろ。貴様、どこのアダプターだ」

 生まれ故郷である町で過ごす、五年振りの夏。
  空は高く、天の頂に手は届かないけれど――。
   何かが変わった。それは間違いないようだった。

 ――夜はまだ長い。

――――unlimited Prologue・了


第二章へ進む
のべるに戻る
サイトトップへ