――朝起きて――
――学園に行って――
――授業を受けて――
――友人と他愛のない会話をして――
――寄り道をすることもなく、独り家路に着く――
――同じ毎日の繰り返し――
私は、普通に生きていた。
unlimited
*
一日が過ぎた。
ユグドラシルによる町の倒壊は、局地的な震災ということで片付けられるようだった。
無理もない。
九つの世界¢S員が消滅したことで、アダプトは全て消えてしまったのだから。
そしてもう一つ……。
教員の人達も――。
学園の生徒達も――。
4−3のクラスの生徒達でさえも――。
八雲さんのことを覚えている人は、あの戦い≠ノ携わった人を除いて、一人もいなくなっていた。
……あぁ、そうか。
これが、存在が消えるということか。
一年が過ぎた。
やることを終えた私は学園にも毎日通うようになった。
友達もたくさん出来た。
4−3の担任はしばらく副学園長である春日さんが直々に受け持っていたが、今では後任の若く優秀な男性教員をスカウトしてきて、その人に交代した。
春を経て、今は夏。
六期生の阿須波さん、鈿女さん、菊理さんら三人は三月に無事卒業し、聖徒会は事実上の解散となった。他の学園で言う普通の生徒会≠ノなり、会長を彦根さんが継いだ。
彦根さんは『面倒す』などと、最後まで飯綱さんのようなことを言って那綱さんに譲ろうとしていたが、途中編入した那綱さんには相応しくないだろうという、周囲の至極もっともな意見を受け、渋々ながら引き受けた。
平凡な毎日。代わり映えのない日常。
そんな中――。
鈿女さんと菊理さんが、あの人のことを忘れた。
『神倉先生?』
『聞いたことあるような気もするけど……どんな人?』
二人は最後の決戦に赴かなかったから早く忘れてしまったのだろう。
こんな風に……。
関係の薄い人達から順に忘れられていくのだろうか。
二年が過ぎた。
季節は巡る。
四月から春日さんが学園長になった。
いつまでも学園長の座を不在にしておくのは良くないだろうという私の判断だ。
あの頃五期生だった那綱さんと彦根さんが卒業。次期会長の座は飯綱さんか春姫さんかで少しばかり揉めたが、『母親が学園長なんだから、娘もそれ相応の役職につくべきだ』という、飯綱さんの理屈になっているんだかいないんだかよく分からない言い分で春姫さんに押し付けられた。
まぁ、本音は彼女の『面倒』節が炸裂しただけだと思うが。
そして。
『おれらが会ったことある人っすか?』
『うーん……覚えがないですぅ』
彦根さんと児屋さんが彼のことを忘れた。
とうとう戦いに参加した人の記憶からも消え始めた。
三年が過ぎた。
私もいよいよ四期生だ。
第二校舎の一番下から第一校舎の一番上の教室に移り、これから毎日上ることになる長い階段に辟易することだろう。
一時期、出席日数が危ういと懸念されていた飯綱さんと――こちらは初めから品行方正だったので心配は無用だったが――春姫さんが無事卒業。
那綱さんと飯綱さんは小さなアパートの一室を借りて、離れ離れになっていた時間を取り戻すように二人暮らしをしている。
那綱さんは社会勉強のためにアルバイト、飯綱さんは近くの私大に見事合格し、今ではあの頃の無愛想な彼女からは想像できない程快活になっている。
春姫さんも有名国立大学に推薦入学。春日さんの遺伝子は順調に後世に残されつつあるようだ。
そんな順風満帆な生活を謳歌する各々だったが……。
『神倉? ……知らないな』
『誰かの知り合いと勘違いしてるんじゃないですか?』
兄との和解の手助けをしてもらった飯綱さんと、あれ程あの人のことを慕っていた那綱さんまで忘れてしまった。
いつか――。
私もこうして、忘れる日が来るのだろうか――。
……いやだった。
四年が過ぎた。
唯一設立時から残っていた児屋さんが卒業し、最早当時の聖徒会は面影をなくしてしまった。権限も何もなくなり、普通の風紀委員としての活動程度しかしなくなった。
私はある日の放課後、阿須波さんの下を尋ねた。
阿須波さんならあるいは、あの人の記憶が残っているのではないか、と一縷の望みを託して。
阿須波さんは実家に戻り、神威一刀流の道場を継承した。今では師範としての立ち位置を確立し、日々精進に明け暮れていると、毎年来る年賀状に書いてある。
実際にこうして訪れるのは初めてのことだが、思っていた以上に大きい、絵に描いたような道場風の日本家屋だ。最初は突然の来訪者に訝しんだ家族の人達だったが、私の名前を出すとすんなりと客間に通された。
アポイントくらい取ってから来れば良かったな、と少し反省した。
「お久しぶりです、学園長。……いえ、もう学園長ではなかったですね、命様」
「堅苦しい挨拶は止めて下さい。それより、お忙しいところにお邪魔してしまい申し訳ありません」
「構いませんよ。それより……今日は突然、どうしたんですか?」
私はここまで来て言うか言うまいか迷った。
思わず口を噤む。
「……命様?」
私は意を決して口を開いた。
「……八雲さんのことです」
「八雲さん?」
……あぁ、やっぱり。
阿須波さんも、八雲さんのことは――。
「――あぁ、神倉先生のことですか」
……え?
一瞬、我が耳を疑った。
今、神倉先生≠ニ。彼女はそう言ったのだ。
良かった。まだ覚えていてくれたんだ……。
私は心の底から安堵した。
しかし――。
「……あら?」
阿須波さんが首を傾げる。
「え……」
「ごめんなさい、私今、なんて言ったんでしたっけ……」
「――――」
天国から、一気に奈落の底へと突き落とされたような感覚。
こんな……こんなことって――。
このタイミングで、忘れるなんて……。
そんなの、ない――。
私は、もういないはずの神様を心底恨んだ。
その後、夕飯に高級懐石料理を御馳走してくれたが、味は覚えていない。
五年が過ぎた。
早いもので、私も最上級生だ。
進路を決めあぐねていたところ、突如私は校内放送で職員室に呼ばれた。
「どうかしら? 悪い話ではないと思うのだけれど……」
と言う、音楽科の関根先生。
「イタリア、ですか……」
それは、海外留学の話だった。
学園祭の時に偶然お見えになった、ミラノにある音大の理事会の方が、光栄にも私の歌を高く評価して下さったそうだ。
それで音楽の本場イタリアで修行をしてみないか、とお声がかかったのだ。
「学費も免除して下さるそうよ。大丈夫、清野さんの歌唱力ならあっちでも十分に通用するわ」
「…………」
確かに、将来のことを見据えて考えれば、こんな好待遇の条件を捨てるのは甚だ馬鹿げている。ここで蹴れば間違いなく二度目はないだろう。推薦して下さった理事の方の顔を立てるためにも、ここは受けるべきだ。
けれど……。
「……ごめんなさい」
私は大きく頭を下げた。
「どうしても……ここで、この町で待っていてあげないといけない人がいるんです。大変有り難いお話ですが――お受け出来ません」
「……そう。分かったわ。何も訊かない。先方には上手く言っておくわね」
「ありがとうございます。……失礼します」
頭を上げて退室しようとする。そこへ。
「蹴ったんですね」
珍しく学園長室ではなく職員室の学園長席に座っていた春日さんが、そう言って私を呼び止めた。
「春――学園長……」
思わずいつもの癖で、『春日さん』と呼んでしまいそうになった。慌てて言い直す。
「あんな良い条件で招待してくれるところなんて、他を探してもありませんよ」
「分かっています……。……でもどうしても、私はこの町で八雲さんを待っていないといけないんです」
「八雲さん?」
「はい……。帰ってくるって、その時伝えたいことがあるって、約束しましたから。いつかきっと帰ってきてくれるって、せめて私は……私だけはそう信じてあげていたいんです」
「あの……清野さん?」
「はい?」
私に遠慮がちに呼びかける春日さん。そして雅な動作で左手を頬にやって――。
「八雲さんって……どちら様ですか?」
……頬杖をついて、そう尋ねてきた。
「――――」
「私の知ってる方ですか? ごめんなさい、歳かしら。まだぼけるのは早いですよね。思い出すかもしれないから詳しく教えて頂けませんか?」
……あぁ、本当に。
本当に、こんな日が来るんだ。
絶句するしかない。
小さな頃から八雲さんを知っていた春日さん。その春日さんが忘れてしまったということは――。
(八雲さん、貴方は本当に――)
私は職員室を飛び出した。
「ちょ――、清野さん!?」
彼女は頬杖をついていた。
更に半年が過ぎた。
二学期の終業式が終わった。
「ねぇ命。帰りに一緒にカラオケ寄っていかない?」
「あ、サンセー! ねぇ、清野さんも行こうよ! 受験生とはいえ、たまには羽を伸ばしてもバチは当たらないと思うんだ」
「ありがとう。でもごめんなさい。この後行かないといけない所があるんです」
名残惜しむクラスメイトを尻目に、私はある場所へ向かっていた。
春日さんと春姫さんの家――八雲さんが暮らしていた場所だ。
ふとした拍子に、あの人の記憶が薄らいでいくようで怖かった。
朝起きると、あの人のことを忘れていそうで怖かった。
忘れたことさえ忘れていそうで怖かった。
だから、少しでもその記憶を繋ぎ止めておきたくて、私は走った。
しかし、私はそこで絶望的な光景を目の当たりにすることになる。
「え……」
家の前に捨てられた粗大ゴミの山。
デスク、ベッド、パソコン、本棚――。
間違いなく、八雲さんが使っていた物だ。
そして、それを少し離れたところから見ながら、呆然と立ち尽くす影。私はその影に寄っていって声をかける。
「……春姫さん」
「清野……さん――」
振り返った春姫さんの目は、真っ赤だった。それとコントラストを描くように顔面からは血の気が引き、腫れた目の周りがより一層強調されている。
「清野さん、わたし……」
震える声で言葉を紡ぐ春姫さん。
「私……八雲くんのこと、忘れてて……帰ってきて、これを見たら、思い出して……」
「春姫さん……」
彼女は私に縋りついてくる。
「私っ……八雲くんのこと、忘れかけてる……! あんなに忘れたくないって、ずっと覚えていたいって、そう、思っていたのに……!」
かける言葉が見つからない。私には飛び込んできた春姫さんを受け止め、その肩を抱き止めるだけだ。
「覚えていたい……忘れたくない! 忘れたくないよぉ……」
子供のように泣きじゃくりながら、嗚咽を隠そうともせずに涙を流し続ける。
「八雲くん……っ、八雲くん八雲くん――!!」
そして次の瞬間――。
「――あれ……?」
あの人の存在は、春姫さんの中から完全に消滅した。
「どうして……私、泣いていたんだっけ……?」
「春姫さん……」
そう言う春姫さんの目からは、未だに止め処なく涙が溢れていた。
「どうして、私、泣いているんだろう。どうして、こんなに悲しいんだろう……」
(春姫さん……)
「もういいですよ、春姫さん……」
私はその身体を強く抱き締める。
それでも彼女は。
どうして、どうしてと、譫言のように呟きながら涙を零し続けた。
更に三ヶ月が過ぎた。
季節は幾度となく巡り、今は春。
出会いと別れの季節。
卒業式――。
六年間、この学び舎で様々なことを学んできた。
もっとも、最初の半年くらいはごたごたしていてまともに来られなかったけれど……。
残念と言えば、それが心残りだ。
私は、卒業生代表として答辞を残すべく、式壇に上がった。
壇上から俯瞰していて初めて分かる。
多くの人が泣いていた。卒業生はもちろんのこと、在校生も、教職員も。
そんな中――。
私の目には涙の気配もなく、淡々と言葉を紡いだ。
春日さんから卒業証書を受け取る。
それでも私の目は、乾ききっていた。
卒業証書を入れる昔ながらの蛇柄の紙管を受け取り、さっきまでのしんみりしたムードが嘘のようにお祭り騒ぎになる校内。
いざ当事者となってみれば少しは感慨が沸くかと思ったが……そうでもないらしい。
私は屋上に来ていた。こんな晴れの日にこんなところへ来る物好きは私一人だった。
あの人との思い出が一番眠る場所。あの人と約束を交わした場所。
……けれど、その約束は今も果たされないまま。
眼下に校庭を一望する。たくさんの人がデジカメや携帯などで最後の晴れ姿を記録に残していた。
それを無感動に見つめる――私。
「私……もう卒業ですよ」
誰もいない空間に呼びかける。当然、誰の声も返ってこない。
「六年も待たせて……何やってるんですか、貴方は」
今ではもう――。
あの人の顔も、声も、名前も、温もりも思い出せない。あるのはただ胸の真ん中に大きく開いた虚、そして穏やかな思い出だけだ。
「……アンリミテッドウィッシュっていうくらいなら、私の願い、叶えてくれても良かったのに。……ッ!」
そこまでが限界だった。抑えていた感情が堰を切ったように溢れ出す。
「なにが……っ、なにが神よ! なにがアダプトよ! なにがアンリミテッドウィッシュよ!! 一番……一番叶って欲しい願いすら叶わないじゃない!!」
素手の右手と義手の左手でフェンスを思いっきり握る。右手からは血が出そうなくらいの痛みが伝わってきたが、左手からは何の感触も伝わってこなかった。
涙の雫が落ちる。かあさまを殺された時、この手でかあさまを墜とした時すら流さなかった涙が。
「これが……この腕がどれだけの物よ! 何の役にも立たないじゃない! こんな力いらないよぉ……。返してよ……私の大切な人を……。私の大好きな人を返してよぉ……っ!」
誰も何も答えてはくれない。
誰も何も教えてはくれない。
――ワタシハココカラドコヘモイケナイ。
「帰ってきてよ……帰ってきてよ!」
そして――。
「――八雲さぁん!!」
私は思い出したその名前を、お腹の底から叫んだ。
――壊れた時計は、十八時を指していた。
*
――――。
――幾年、こうして何も無い世界で揺蕩っていたのだろう。
――手も、足も、頭も、身体も。
――感覚などとうに消えてなくなっていたはずなのに。
――ぼくは、無≠ノなったはずなのに。
――どうして、ここに居るのだろう。
――どうして――。
〈――八雲さぁん!!〉
――そんな声が聴こえるのだろう……。
――ぼくは、本当にここに居るべき存在なのか……?
――ここが本当に、ぼくの居るべき場所なのか……?
――……違う。
――ぼくには、確かにあったんだ。
――約束が。
――帰るべき場所が。
――お連れしましょう――
――貴方を、貴方の帰るべきところへ――
――あ
あ――
ぼくは手を伸ばす。
――かちっ。
*
――十八:〇一。
「……何か、伝えたいことがあったんじゃないのか?」
……頭に来る。
第一声がそれとは、デリカシーがないにも程がある。
背中を向けているから分からないけれど、きっとヘラヘラ笑っているのだろう。
「どの口が……そんなことを、言うんですか……」
「なんだよ、世界を救ったヒーローの凱旋だぞ。むしろ花吹雪の用意くらいはあると思ってたんだけどな」
……本当に。
……よく言う。
私の気持ちなんて、知りもしないで……!
「……伝えたい言葉、もう、忘れちゃいましたよ」
「……そっか。残念だな」
「だから……今は一つだけ――」
そう言って私は振り返って走り出す。そして――。
「――もう私の前からいなくなったりしないで!!」
力の限り、最愛の人の身体を抱き締めた。
「もう消えたりしないで! ずっと私の側にいて! それだけで私……もう何もいらないからっ!」
「おいおい、泣くなよ命。俺がいじめてるみたいじゃないか」
「バカ! バカバカバカバカ! 八雲さんのバカ! 誰が泣かせてると思ってるんですか! 六年も待たせて、挙句の果てにそれですか……。一体どの口がそんなふざけたことを言うんです!!」
「命、それさっきも言った。さっきも言ったから」
「何度でも言います! 八雲さんの……大バカ!!」
「ごめん……もう何処にも行かないから」
「絶対ですよ? 約束ですからね? 破ったら……今度こそ許さないんですからね?」
「――あぁ」
顔も、
声も、
名前も、
温もりも。
今は確かにこの腕の中にある。
無限の願望=B
永い年月をかけて――。
恋する少女の願いを、ようやく叶えてくれたようだった。
unlimited wish
*
「う……ん――」
ゆっくり覚醒していく。
すぐ側にある温もり。
俺はゆっくり目を開いた。
隣では。
「すー……、すー……」
一糸纏わぬ姿の命が、すやすやと寝息を立てていた。
そっか……。俺、夕べは命の家に泊まったんだっけ。
帰る場所を失ったということもある。だがそれ以上の理由は――。
『また……遠くへ行かれたら嫌ですから。こうして手綱はしっかり握っているんです』
と言う命を口で言い負かすことが出来なかったからだ。
……手綱っていうのはあれすか。俺は馬か犬扱いってことすか。
しばらく会わないうちに逞しくなったな、命。おにーさん嬉しいやら悲しいやら。
でも六年近くほったらかしにしていた事実はそう簡単に覆るものではなく――。
俺は言われるままに命に連行されたのだった。
「んん……、やくも……さん……」
「命?」
起きたのかと思ったが、どうやらまだぐっすりのようだ。再び規則正しい寝息が聞こえ始める。
――俺はどうして戻ってこれたのだろう。完全に存在が消滅していたはずだったのに。
……あの声。
――お連れしましょう――
あの声は、俺の間違いでなければ、命の――。
――貴方を、貴方の帰るべきところへ――
最後に、叶えてくれたんだな。
娘の、無限の願望を――。
そして、導いてくれたんだな。
俺を、大切な人の下へ――。
心の底から、奇跡をありがとう……。
「……心さん」
「ん……、んうぅ……」
命が寝返りを打つ。どうやらお姫様のお目覚めのようだ。
ぼんやりと開かれる双眸。寝ぼけ眼で俺を見上げる様は本当に愛らしい。
「ぁ――やくも、さん?」
俺の名前を呼ぶ、彼女の声。
俺の返事なんて、決まっていた。
「おはよう、命」
エピローグ
*
更に一年が過ぎた。
「ほらほら八雲くん。ネクタイが曲がってますよ」
そう言って俺の白いネクタイを整えてくれる春姫。
「だ〜もう、自分で出来るからっ。あんまり近付くなって!」
「ダ・メ・で・す。いいから、おねえさんに任せて下さい」
「年上振るなら敬語もやめろよ……」
などとぶつくさ文句を言うが、春姫は聞いちゃくれない。
……五年以上何も無い世界にいた俺は、年齢もそのままの時間軸で停まっていた。だから今では春姫達の方が年上になっているのだった。
「よい……しょ、っと。はい、出来ましたよ」
「あぁ、サンキュな」
ここは清命学園の一つの教室だ。俺は白いタキシード姿に身を包み、慣れない衣装になんだかちくちくする背中を必死で堪えていた。
そこに――。
「どうだ? 神倉」
「おっ、決まってるじゃないか。馬子にも衣装だな。格好いいぞ、先生」
林と那綱がちょっかいを出しに……もとい、様子を窺いに来た。
「ほっとけ、一言多いんだよ。そっちはどうだ?」
「あっちも順調。あとは会場の方だけだが……っと」
那綱の携帯が鳴る。俺達三人もそれを覗き見る。
『こっちもオッケー。いつでもいいすよv(-_-)v』
……火野。お前はきっと何年経っても変わらないんだな。なんだか最後の方に一抹の不安を覚えるんだが……。
「……でも八雲くん。本当にこれで良かったんですか?」
「ん? これでって?」
「なんていうか……、あの頃のメンバーだけで集まって、こうして――」
「あぁ、そのことか。いいんだよ。そもそも俺には戸籍がないからな。普通と同じようにはいかないさ」
そう、俺にはもう戸籍が残されていない。人の記憶からも記録からも消え去り、完全に抹消されていたのだ。
にもかかわらず、命の中にだけは最後まで俺の存在が残っていた。
なれば、今日のこの日は必然……だったのか――。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「ん、あぁ、そうだな」
時計を見ると、確かにいい時間だった。
「では――」
そう言って恭しくお辞儀をする春姫。そして――。
「式場へお連れしますよ。案内人は私が」
『新郎、入場!』
僅か八人の参列者しかいないのに、割れんばかりの拍手が巻き起こる。
舞台に向けて、赤い絨毯が敷かれた体育館。ここが、俺達のスタート地点だ。
北原のアナウンスを受け、俺は春姫に連れられ、壇上で待つ春日さんの下へゆっくり歩みを進める。
「おめでとーやっくん先生!」
真っ先にそう出迎えてくれたのは東だ。
「おめでとうございますぅ!」
相も変わらず間延びした声の山里。
「おめでとさん」
祝福しているのかいないのかよく分からない火野。
「幸せになるといい」
こちらも素直じゃない林と。
「幸せになれよ!」
那綱。
既に半ばどんちゃん騒ぎと化している会場内。背中を叩かれたり、雑言に近い声を浴びせられたりする。
それでもみんなが俺を、俺達を祝福してくれている。
もう二度と手に入らなかったはずのシアワセ。
「さ、八雲くん」
傍らに立ち俺の腕を引っ張る春姫。赤い絨毯の上をゆっくりと歩く。
そして、壇の下に。
「じゃあ八雲くん。私はこれで――」
「あぁ。ありがとうな」
そう言って立ち去ろうとする春姫。その背中を――。
「春姫っ」
どうしてか、俺は呼び止めた。
「……はい?」
一瞬の間を置いて振り返る春姫。その表情は……。
――満面の笑顔だった。
「…………」
どうして呼び止めたのか自分でも分からない。だから俺は。
「いや、なんでもない。ありがとう春姫」
再び微笑んで立ち去る。その足取りは軽やかだった。
『続きまして――』
会場内がどよめく。そして――。
『新婦、入場です!』
どうやら主役のお出ましだ。
照明が落とされる。スポットライトが体育館の入り口に向けられ――。
「――――」
俺は言葉を失った。
純白のドレスとヴェール。いつもと違う、ドレスとお揃いのシルクの手袋。そして、輝く銀髪。
それが天使でなくて何であっただろう。
しかし西園寺に手を引かれて現れた少女は間違いなく――。
「みこ、と――?」
「はい」
「神倉先生、しっかりエスコートしてあげて下さいね」
そう言って離れていく西園寺。
……そうだな。いつまでも見惚れているわけにもいかない。
俺は手を差し伸べる。
「行こう、命」
「はい、八雲さん」
差し出した手を優しく握る命。そして――。
「俺達の……結婚式だ」
結婚指環もない。ちゃんとした会場もなければ仲人もいない。形式も何もない。かっこ悪くたって構わない。たった十一人による人前結婚式。
「汝、神倉八雲は、清野命を妻として、生涯愛することを誓いますか?」
司祭役の春日さんの厳かな言葉。
「はい、誓います」
俺は迷うことなく頷く。
次は、命の番だ。
「汝、清野命は、神倉八雲を夫として、生涯愛することを誓いますか?」
「はい、誓います」
命も迷うことなく頷いてくれる。
「では――」
無言で続きを促す春日さん。俺達二人は向かい合う。そして俺は、緊張しつつヴェールを上げる。
「……八雲さん」
目の前に立つ最愛の女性が囁く。
「ん……?」
「昔……私が八雲さんに『伝えたいことがある』って言ったの、覚えてますか?」
「……あぁ、もちろんだ。結局なんだったんだ? あれ」
「ダメですよ。もう――忘れちゃいました」
「……そっか。それは残念だな」
「だから……代わりに受け取ってもらえますか――?」
爪先立ちになる命。そして――。
私の、気持ち
口付ける。
これから――。
辛いこと――、
楽しいこと――、
哀しいこと――、
嬉しいこと――、
色んなことがあると思うけれど――。
これだけは言える。
俺は――。
命のことが、本当に大好きなんだから。
俺は、いつまでもここにいる
unlimited Epilogue〜I’m here for ever.〜
Fin.
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