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   *
 ――−四:四七:二〇。
 一時間以上の貴重な時間を割いて、俺達はユグドラシルの下まで辿り着いていた。周囲の町は樹の根によりすっかり破壊され、人々は訳も分からずに突如訪れた災厄から逃げ惑う。阿鼻叫喚の地獄絵図と化した世界の中心部に俺達はいた。
「この中に、ニニギ達が……?」
「はい、籠城しているはずです。内部から六つの大きな魔力を感じます」
「ニニギは最上層でしょう。……ここからは時間との勝負です。みんな、覚悟はいい?」
 命と西園寺。
「各個撃破――ですね? 会長」
 林の問いに無言で肯定の意を示す西園寺。
「ウガヤフキアエズ、ホオリ、ホスセリ、ホデリ、サクヤ、ニニギ……」
「一人当たり1,3333333333333333333333333333人すか。分が悪いすねぇ」
「彦根くんは相変わらずひねくれてますねぇ」
 現実主義的な火野と、こんな時でものほほんとした口調の山里。しかしながら二人の顔に余裕はない。
「ホオリは間違いなく私を狙ってきます。……奴は私が」
 林と。
「飯綱が行くなら、オレもそれに付き合わないわけにはいかねぇな」
 那綱が引き継いだ。
「ウガヤフキアエズとは高速戦になります。私に任せて下さい」
 そう自ら買って出たのは春姫だ。
「ホスセリにはフェンリルがついてますし……、おれと児屋でやるしかないっしょ」
「そうですねぇ」
「…………」
 西園寺が押し黙る。
 そうか、ホデリは西園寺の元恋人なんだ……。
「阿須波さん……」
 命が西園寺を呼ぶ。だが彼女の逡巡も僅かな時間。
「ホデリは私が。罪には罰を。それが聖徒会を束ねる長たる私の責務です」
 強い決意をその双眸に籠め、そう言った。
「作戦は決まったな。サクヤは命が、そしてニニギは……俺が倒す」
 ここからは相互不干渉だ。今日、この戦いを終わらせる……!
 と、命が一歩前に躍り出て。
「……Hail Mary, full of grace, the Lord is with thee; blessed art thou among women, and blessed is the fruit of thy womb, Jesus.」
美しい声でそんな歌詞を口ずさんだ。
 この曲は……。
「アヴェ・マリア?」
「きれい……」
「Holy Mary, Mother of God, pray for us sinners, now, and at the hour of our death.――Amen.」
 歌い終えた命に対し、俺達からは自然と拍手が漏れた。
「清野さん、お上手……」
 春姫の言う通り、確かに上手い。それもとんでもなく。『歌姫』の称号は伊達じゃないってことか。
「ご清聴、ありがとうございます」
 恭しく頭を垂れる命。
 そう、それは天使祝詞アヴェ・マリアだった。聖母を讃える祈祷の祝詞のりと
 ……これから神を相手にする俺達にとっては、あまりにも皮肉な話だが。
「私の好きな歌なんです。母から……教わりました」
 そう言うと命は振り返る。それで、母との最後の別れを終えたかのように。
「行きましょうみなさん。……これが最後の戦いです」
 その言葉に皆黙って頷き――。
 俺達は、世界樹の内部へと足を踏み入れた。

   *
 ――−四:一三:五七。
 第一層。
 そこで俺達を待ち構えていたのは――。
「…………」
 「ウガヤフキアエズ……」
 長身痩躯、寡言にして不動。
 の空を護り続けて幾星霜。
 揺るがぬ大木、ウガヤフキアエズであった。
「…………」
 ウガヤフキアエズは何も言わない。こいつが喋っているところはこれまでの短い邂逅の中で未だに見たところがない。
「…………」
 その無言に倣うように、春姫が一歩前に出ると。
「羽撃け――」
 春姫の足元が輝く。そして風の封印を解き放ち具現化されたのは――。
風奏でる翼靴エアリアル・エア=I」
 最早見慣れた。
 空を泳ぐように四枚の翼を生やした聖なるロングブーツだった。
「八雲くん達は行って下さい。時間がありません」
「…………」
 一人で大丈夫だろうな? という言葉を辛うじて飲み込む。先程思った通り、この戦いは互いに干渉し合わない決闘だからだ。
「…………」
 ウガヤフキアエズも俺達に対して反応を起こさない。彼もまた、春姫を生涯の敵と認めたようだ。
「……負けるな、春姫」
 そう言い残し、その脇を駆け抜ける春姫を除いた俺達七人。やはり妨害はなかった。
 そして次の階層へと上る階段に足をかけた刹那――。
 ――ぶおぉん!
 激しい風音が背後から聞こえてきた。

   *
 荒れ狂う風の王。王は新たな息吹を生み、息吹が砂塵を巻き起こす。
「…………」
「くっ……」
 旋風と砂塵は容赦なく少女の身体を切り裂き、その進歩を阻む。ウガヤフキアエズは、春姫が自分に近付くことすら許さないと言うように風属性の魔法を展開させる。
 だがここで引いては翼靴の二つ名が廃る。そして、彼女本人にも負けられない理由がある。
 春姫は膝を曲げ――。
 バネを最大限に利用してウガヤフキアエズに飛び掛かった。
「はぁぁ!!」
 そして疾走に用いた推進力そのままに、回し蹴りを放つ!
 しかしウガヤフキアエズもさることながら、自らを中心にした竜巻を発生させて防御に回る。
 激しい風の前に渾身の蹴撃は容易く防がれ――。
「…………」
 巻き起こった嵐が、意志を持っているかのように、その字が表すように風の竜と化して春姫に襲い掛かる!
「うあぁぁっ!!」
 凄まじい暴風に飲まれ、全身を切り刻まれる春姫。鮮血が迸り周囲を赤く染め上げる。更に。
「…………」
 ウガヤフキアエズが黙って手を翳すと、それに呼応して空間が歪む。それは風の鉄槌と姿を変え――。
風韻の槌エア・ハマー!?)
 巨大な玄翁じみた破壊力を以って、春姫の小さな身体を粉砕しにかかった。
「ああぅっ!!」
 吹き飛ばされ壁に叩きつけられる。エア・ハマーによるダメージと硬い樹の壁に打ち付けられた二重のダメージが襲い掛かる。常人であれば全身の骨という骨が砕け散り、臓腑は破裂し、血管は破れ……ともかく死に至る傷だ。魔力を纏っているとはいえ、かなりの大怪我である。
「くっ……げほ、げほ」
 腹を押さえて蹲りながら噎せる春姫。やはりどこかしら内臓がイッていたのか、大量に喀血した。
「…………」
 ウガヤフキアエズは先程から一歩たりとも動いていない。その場で魔力を繰り、時に攻め、時に守る。真に恐ろしきはその驚異的なまでの集中力か。ホスセリが燃え盛る炎だとするならば、彼は静まった水のそれだ。
 更なる追撃を繰り出すウガヤフキアエズ。鎌鼬――風迅波ゲイル・スラッシャーだ。
「くっ!」
 春姫はエアリアル・エアの翼をはためかせ、それを危うく回避した。次の瞬間、今まで彼女が打ちつけられていた壁には深い傷痕が刻み込まれた。あのままでは身体を輪切りにされていたであろう。
 回避に成功した春姫はそのまま攻めに転じる。
「音速の舞踏技――」
 影すら残さぬ速度を以ってウガヤフキアエズに肉薄する春姫!
「――無影むえい!!」
 そして、そこから延髄目掛けて鋭角な蹴りを放った!
 日本刀並みの切れ味・・・を誇る音速の舞踏技の一。人の身であれば容易に首を刎ねるであろう。しかしそれを――。
(消えた!?)
 ……ように見えたそれは果たして、躱したのだ。
 大きく空振る春姫のキック。
 刹那的な運動性に於いてはエアリアル・エアに匹敵するスピード、ウガヤフキアエズは一瞬にして春姫の背後に回ってみせた。
 彼の神は、攻撃力・防御力の全てを犠牲にして颶風ぐふうを纏い、鎧い、武装することにより疾風の如き動きを獲得した、まさに風神なのだ。
 がら空き無防備になった春姫に手を向け――。
 至近距離からのエア・ハマー!
 ――ズガン!!
「――――」
 苦しみ悶える間もない。
 春姫は背骨が折れんばかりの衝撃を受け、瞬く間に吹っ飛ばされた。
 その距離、実に百m。
 それが、その威力の如何程かを雄弁に物語っていた。
(い……意識、が……)
 もう春姫の意識は消えかかっていた。
 されど――。
「うっ……く、ぅ――」
 彼女は立ち上がった。杖の代わりになる都合の良い物などない、己が身一つで。
「…………」
 ウガヤフキアエズは無感情にそれを見つめ――。
 再び、エア・ハマーを唱えた。
 真正面から食らい、受身を取ることも出来ずにさっきとは逆側の壁に叩きつけられる春姫。世界樹の硬い木製の壁にめり込む。左腕がボキッ、と厭な音を立てた。
 それでも、立ち上がる。
 そして再びエア・ハマーの洗礼を受ける。ウガヤフキアエズは無慈悲に――あるいは苦しまずに逝かせてやるのが慈悲だとでも言うのか――その行為を繰り返した。
 消費し、磨耗し、枯渇した魔力。傷付き、片腕は折れ、満身創痍の身体。
 春姫の中の弱い心が囁く。
 ――もういい。
 ――やめてしまえ。
 ――おまえはがんばったじゃないか。
 戦い始めた日から聞こえ続けてきた、弱さ≠ニいう名の悪魔の声。
 それは止むことなく。
 常に彼女の精神を苛み、すり減らしてきた。
 しかし――。
(やくも……くん――)
 常に彼女を支え続けてきたのは、ただ一人の男への想い。
 たとえそれが、未来永劫叶うことのない願いであったとしても――。
 彼女はいつまでも彼を想い続けるのだろう。
 愛すると決めた。それが彼女の決意――。
(……距離、捕捉。目標まで、百五十m――)
 春姫とウガヤフキアエズの距離は百五十m。
 ベストポジションだった・・・・・・・・・・・
(もう少し頑張ってね、エアリアル・エア)
 最早使い古しのブーツのようにボロボロになったエアリアル・エア。春姫は最後の力を振り絞り、バック転の要領で両足を揃え後方に跳ぶ!
 普通のバック転と違うのは、それが尋常でない高さを必要とすること。
 そして両足が再び地面につく瞬間――。
(これが、最後だから)
「…………!?」
 ウガヤフキアエズが驚愕する。
 春姫は壁に蜘蛛が張り付くように、頭をウガヤフキアエズに向け何もない空間で水平に静止したのだ。
「……音速の、舞踏技――」
 そして――。
 最後に残ったありったけの脚力と魔力を籠め、かべを蹴る! その様は――。
「――無疆むきょう!!」
 ただ風の如く!!
 次の瞬間――。
 百五十mの距離は埋め尽くされ。
 避ける間も、防ぐ間も、迎撃する間すらなく。
 春姫はウガヤフキアエズの身体を貫いていた。
 神の眼すら掻い潜る神速の接敵法。ただ疾いだけ・・・・・・の究極の縮地術。
 無疆えいえんという名を冠した奥義は。
 あらゆる距離を虚無ゼロへと還す――。
 それが、音速の舞踏技・無疆だった。
「…………」
 ウガヤフキアエズはやはり無感動に――。
 風穴の空いた己の身体を見下ろす。
 そしてその身体が光の粒子となって消滅する今際の際――。
「……見事」
 最期まで潔く――。
 巨神兵は、その命を散らしていったのだった。
 力なく倒れ臥す春姫。
「……八雲、くん――」
 意識が昏く沈んでいく中――。
(私、頑張ったよね――)
 ――もう、声は聞こえなくなっていた。

It’s Just Like Wind

   *
 ――−三:三一:一二。
 第二層。
 そこに――。
「キキキ……、逃げずニよく来タじゃないカ」
 仮面の男、ホオリが待ち受けていた。
「……もっとも、ハヤシイヅナ、キミだけハ逃げヨウとしても逃がさんがネ」
 殺意はただ一点、林にのみ向けられている。
『お前だけは許さない』、とでも言うかのように。
 林は無言で一歩前に出る。その隣に並んで――。
「兄さん」
 那綱も打って出た。
「……よう、ホオリ」
「ン?」
 そこで初めて林以外の人間がいたのに気付いたかのように、那綱の方も向く。
「あァ、ビトレイじゃないカ。そうだネ、裏切り者も粛清しないトいけないヨネ。死とイウ罰を以って。……この二人以外ニ興味はナイ。さっさと消えタマエ」
 しっしと虫を追い払うように手を前後に振る。
「神倉、学園長。行って下さい」
「あとは……任せたぜ」
 そうとだけ言って――。
「目覚めろ!」「吸い尽くせ!」
石化の魔棘バジリスク=I」「吸命の毒牙ノスフェラトゥ=I」
 いつかのように同時にアダプトを具現化させた。あの時は対峙して、此度は背中合わせに。
 幾多の困難を乗り越え結ばれた兄妹だ。その絆は神にも引けはとるまい――。
「キキキ、いいネ。その気概……楽しくなりそうダ。デハ、ワタシも相応しい対応をさせてもらうヨ。雷震轟け、打ち砕く雷鎚ミョルニル=v
 天は見えず、虚空より飛来した雷光が奔る。ホオリの手に現れたそれは、稲光を放つ巨大な戦槌せんついだった。
「行きますよ、みなさん!」
 西園寺を先頭に走り抜ける火野、山里、命、しんがりを俺が請け負った。
 そして、次の階へ――。

   *
 仮面を外すホオリ。その向こう側には、やはり貌がなかった。
「醜イよネ……さぞや醜いダロウ?」
 のそりのそりと一歩一歩近付く。層内に殺気が充満していく。
「ハヤシイヅナ。お前モこうしてヤル。目モ、鼻モ、口モ……。ぐちゃぐちゃの挽肉みたいニ潰しテしてあげるヨ」
 バジリスクを構え、いつでも飛び出せる姿勢を取る飯綱。那綱も左右対称に構えて臨戦態勢だ。そして――。
「……真に醜いのはその貌じゃない。貴様のその魂だ」
 飯綱のその一言で、ホオリの憤懣が爆発した。
「貴様ァァァァ!!!」
 飛び掛かってくるホオリ! 約二百kgを誇るミョルニルを手に持ってさえその速度。純粋な筋力では彼の右に出る者はいまい。
 だが飯綱と那綱はその速さを遙かに上回る。左右に散開してその突撃を躱した。
 ぶぅん――!!
 横薙ぎに払われるミョルニル。その風圧は大型台風の最大風速に拮抗する。
 地面や壁が次々に窪み、抉れ、クレーターがいくつも作られていく。当たれば、文字通り必殺≠セ。防御は最早意味を成さず、回避が最優先。隙を見て反撃に出るしかない。
「ハッ! ハッ! ハァッ!!」
 しかしホオリはその隙を与えまいと行動で示すように、あたり構わず乱撃を連発する。癇癪を起こした赤子のように、手を振るい足を振るい、もがき、叫ぶ。
「ちっ……」
 苛立たしげに舌打ちをする那綱。事実、彼らに今のところ反撃の余地はない。
 筋肉には二つの種類がある。一つは単純な筋力、もう一つは筋持久力だ。ホオリは双方に秀でていることを、曲がりなりにも一時味方だった那綱は承知していた。故に、このままホオリが猛襲を続けていても、力尽きるのは大分先のことだということを理解しているのである。
 可能性としては、その前にヘマを踏んでホオリの一撃を食らう方が高いであろう。
 したがって。
 飯綱に目配せをする。この瞬間に那綱がこっちを向くということを分かっていたかのように目が合う。そして頷き合い――。
「はぁっ!」
 飯綱は右から。
「せいっ!」
 那綱は左から、同時攻撃を仕掛ける!
 アイコンタクトのみで意思疎通をはかった双子は、絶妙なまでのタイミングでホオリの両サイドから槍で斬りかかったのだ。
「ヌぅッ!」
 巨大なミョルニルだが、左右からの同時攻撃に対処できるようには造られできてはいない。ほぼ同じ切れ味のバジリスクとノスフェラトゥ。ホオリの左右の上膊じょうはくに深い傷が走った。
「小賢しイ!!」
 ホオリはミョルニルを両手で持ち、その場で自分の身体を軸にして独楽のように一回転させ、遠心力に任せてアダプトを振るった。
「くっ!」
 大型トラックが眼前すれすれを通過したような爆風が起こる。その風圧を利用して一度十m離れた場所まで離脱した。そして、互いにホオリの正面へ移動する。極度の緊張感の中に身を置いているためか、既に僅かに息を切らせている。
 ヒットアンドアウェイ戦法で地道に攻めるしかない。再び頷き合う最強の兄妹。肩を上下させつつも、微笑み合って。
「オノレ、忌々シイ……!」
 一方憎々しげに唾棄するホオリ。憤怒は最高潮に達しているようだが、手傷を負ったことで逆に少し冷静さを取り戻したようだ。
「……仕方ないネ」
「ッ!?」
 ホオリがぼそりとそう呟く。スピードと連携では敵わないと先刻理解したはずである。にもかかわらず十mの先、ミョルニルを構えているホオリがいた。
「この手デ貴様らヲずたずたのミンチにする感触を味わいたかっタんダガ……この際、手を選ぶのはヤメダ――」
 そう言うとホオリはミョルニルに両手を添え――。
「ヌゥゥゥゥゥゥゥゥン!!」
 その場でハンマー投げの選手のように高速回転を始めた! ぎゅんぎゅんと次第に回る速度を上げていく。
「兄さん!」
「分かってる!」
 何かが来ることを予測した二人。咄嗟に全魔力を防御に回す。
 そして――。
「オオォォォアアァァァァ!!」
 奴はあろうことか、己の武器をぶん投げた・・・・・!!
 弧を描いて飯綱と那綱に超高速で飛んでいくミョルニル。まさしくそれはオリンピックの正式競技であるハンマー投げに他ならない。
 ……ただし、横から強襲する一点以外は。
 サイドからの凄まじい瀑布の破壊力を持った一撃を、高々二人の槍兵が防ぎきれるはずもなく――。
「うぁぁぁっ!!」
「があぁぁっ!!」
 槍が折れるほどにたわみ、悲鳴を上げるも敢え無く吹き飛ばされる結果に終わった。
 そして二人を弾き飛ばしたミョルニルは――。
 ばしっ!
 それ自体に思考回路が付いているかのように、放物線を描きホオリの手の中に舞い戻った。
「……ミョルニルが単ナル打撃武器だとデモ思ったかネ? あるいハ莫迦の一つ覚えデ雷を操るダケだとデモ?」
 勝利を確信したホオリが、にやりと口元を歪ませて言う。
 投擲武器。
 神代の時代ときの雷神が持っていたとされるそれは、一度手から放れても相手を打った後に再び手元に戻ることを約束されているのだった。
 一撃必殺の代名詞とも言えるミョルニルの一打をもろに受け、惨めにも地に転がる二人。
 しかし……。
「にしてモ、まだ息ガあるのハ凄いネ。虫ケラ並みダ。最大級の賛辞を送るヨ」
 飯綱も那綱も、まだ息があった。
 肋骨が何本か折れ、内側から破壊される寸前にまでダメージを受けていても、二人はまだ生きていた。
「にい……さん……。そこに、いる?」
 目が霞み、一寸先も見えないままに手を伸ばす飯綱、と。
「……あぁ、ここに、いるぞ、飯綱……」
 その手をしっかりと握る那綱の掌。
 兄の、そして妹の体温ねつを確かに感じる。二人は笑った。しかして――。
「面倒……だな――」
「ちっ……、ありえねぇ……」
「……まダ立つカ」
 二人は立ち上がった、手を繋ぎお互いがお互いを支え合って。
「美しイ兄妹愛だネ。……ダガそんなモノ、圧倒的な暴力の前にハ何の意味も成さナイというコトを教えてあげるヨ。――啼け」
 ミョルニルを高く掲げる。階層内の空気が雷電を伴った黒雲へと変わっていく。そしてそこにある大気全てが雷雲へと変貌を遂げた瞬間。
「――雷宴ライエン
 ホオリがそれを振り下ろしたことにより生じた一瞬の静電気が階層内の全ての電子に誘爆し――。
 カッ、ドォォン……!!
 阿僧祇の雷霆が発生し、飯綱達に降り注ぐ破滅を謳うように轟いた。
 ………………。
 もうもうと巻き上がった煙霧に視界がシャットアウトされ、沈黙の帳が下りる。動く者の気配はなかった。
「魔力反応、ナシ……。キキキ、これデ少しは後悔しテくれたかネ?」
 一人勝利と歓喜に酔うホオリが、耳元に手を当て念話を試みる。
「ウガヤ……こちらも応答ナシか……。油断したカ――いや、所詮ハ船の守人に過ぎなかっタとイウことカ」
 仲間が敗れたというのに、声には愉悦の色が浮かんでいる。仲間、という概念すら彼らにはないのかもしれない。
 と、ふと。

(……油断したのは――)

 念話にノイズが入る。初め耳鳴りにしか聞こえなかったそれは、やがて確かな声となってホオリの脳内に響いた。そして――。
「貴様の方だ! ホオリ!!」
 霧靄を突き破って蘇った飯綱と那綱が――アイコンタクトすらなしの阿吽の呼吸で――ホオリに急接近していたのだった。
「ナニィ!? 雷宴を食らッテ生きているトハ、マサカ!?」

(同調)

 魔力と気配を遮断していたのも、爆発力を手足に蓄えておいたのも――。
「「交わるツイン――」」
「ハヤシィィィィィ!!」
 全て、この瞬時ときの為に!
「「――二槍ランサー=I!」」
 銀刃と黒刀が交叉する。その十字の刃はミョルニルを貫通し、ホオリの身体を四つに引き裂く!
「莫迦、ナ……。人間、風情に、遅れヲとるとハ……この、ワタシが――」
 ――無念。
 最期にそう言い残して、ホオリの身体は静かに光に飲まれていった。
「…………」
「…………」
 二人は黙ったまま向かい合い――。
 飯綱は右手を、那綱は左手を――。
 それぞれ頭の上に片手を高く掲げ――。
 ――パンッ!

brother and sister

   *
 ――−二:四八:一一。
「しっかし長いっすねこの階段。文明の利器エレベーターとか導入しませんかね。あれすか、鈍りがちな今時の若者への救済措置すか」
 ……火野のお小言にツッコミどころがないわけではないけれど、確かに長い。さっきから一階分上るのにかれこれ四十分ずつはかかっている。
 天を衝こう程の巨木の内部だ、それくらいでないと割に合わないというのは理解するに難くないが。
「彦根、どうやら冗談はそこまでよ。……第三層に到着だわ」
 西園寺が歩を止める。彼女の言った通り、ドーム状の大広間に到達した。
 第三層。
 次の階へと続く通路の前に仁王立ちしていたのは……。
「よぅ、ヤクモとココロの娘。あとその他大勢」
 闘志の焔を燃やしつつ、氷の魔狼を操る者――。
 巨躯の神人かみ、ホスセリであった。
「あれだけの重傷がもう癒えているなんて……」
 山里が驚くのも無理はない。
 俺が昨日与えたばかりの致命傷は、もう完全に塞がっていた。
 ……胸に痛々しく残った傷痕を除いて。
「この傷痕は復讐の証だ。……ヤクモ、まずはてめぇから逝けやぁぁぁ!!」
 言うが早いか、拳を固く握り締めて突進してくるホスセリ。俺は咄嗟にロード・オブ・アヴァロンを具現化させようとするが――。
「――覇王鎌クロノス=I」
 ギィン!
 間に割って入った火野のクロノスが、ホスセリの拳を食い止めていた。
「行って下さいセンセー! ここは私たちが!」
「……すまん、任せた! 二人とも!」
「八雲さん、早く!」
 既に階段に足をかけていた命と西園寺に急かされ、俺は駆け出した。
 五人から、一気に三人になった。

   *
「てめぇ……よくも俺様の邪魔をしてくれやがったな……!」
「そんなこと言って、本心ではホッとしてるんじゃないっすか?」
「んだとぉぉぉ!!」
 もう片方の腕を力任せに振るうホスセリ! 彦根はひらりと身を躱し児屋のところまで退避した。
「そんなに死に急ぎてぇならまずはてめぇら二人から血祭りに上げてやる……! ――凍て付かせ! 氷牙狼フェンリル!!」
「オオォォォォン!!」
 ヒステリックな呼び声に応えて現れたフェンリル。既に餓貪の鎖グレイプニル≠ヘ身につけていなかった。
(彦根くん、どうやらあの鎖は一度解き放つと再封印まで時間を要するようです)
(なるほどね。てことは最初っからあの強さで襲ってくるってことすか、いやー、つらいっすねぇ)
 小声で会話をする二人。そして――。
「児屋、ランドグレイヴ!」
「はい! 鋼鉄の神亀ランドグレイヴ・サイズL=I」
 何もない虚空から、体長七mを誇る巨大な神亀を呼び出した。
「へぇ……、小娘召喚士のくせに前よりでかくなってやがんな。楽しめそうだぜ……」
 言葉を操れないフェンリルの代弁をするかのように呟くホスセリ。フェンリルもまた、宿敵を見つけたことを喜ぶように舌なめずりした。
 片や七m、片や八m。この大きさにまでなると、一m足らずの体格差はないに等しい。
「つーことは、俺様の相手はそこの小僧一人ってこったな。物足りねぇが……じっくり殴り殺してやらぁ!」
 そう言って殴りかかってくるホスセリ!
「くっ!」
 咄嗟にクロノスの刃の部分で鉄拳を防ぐ彦根。
(相変わらず出鱈目な身体してやがる――!)
 通常ならば攻撃してきた拳がクロノスの切れ味の前に両断されるはず。しかし、この敵はまるで通常・・ではなかった。
 素手と大鎌が幾度となく互角にぶつかり合う。その間も――。
「ランドグレイヴ!」
「ウオォォォォン!」
 神亀と巨狼も、途絶えることなく頭を衝突させ続ける。ガン、ガン!と、およそこの世に肉を授かったもの同士とは思えない激突音が響く。
 両者相譲らず。彦根はホスセリに、児屋のランドグレイヴはフェンリルにまるで引く気配を見せない。
 それはここまで道を繋いでくれた仲間のため。そして、今度は自らが残る仲間達の道を繋ぐ役目を果たすため。
(引けない理由が……)
「あるんだよぉぉ!!」
「なに!?」
 覇王鎌が奔る! ホスセリの腕に鮮やかな赤い線を刻んだ。
「ランドグレイヴ!!」
「グオォォォ!!」
 ランドグレイヴもまた、無数の棘が生えた甲羅で体当たりをする! 鋭利な突起が、僅かながらもフェンリルの深い毛皮を貫通して身体に突き刺さった。
「この野郎……生意気なんだよ!」
 憤りと膂力に物を言わせてサイドブローを放つホスセリ。
 ――ぶぅん!
 怪腕が唸りを上げる。それが彦根の頬を掠め、たらりと一筋の流血を見せた。
「ちっ……」
 夢中で一度跳んで離れる彦根。
「ちょこまかと……! なら――」
 しかし、それは悪手。
 攻撃の合間を狙って、ホスセリは児屋にターゲットを変更したのだ!
 フェンリルと違い自立行動型でないランドグレイヴを操るのに必死な児屋はそれを避ける術を持たない。そもそも元から運動神経が鈍い彼女の敏捷性はホスセリと大差ない。筋肉がついている分ホスセリに一日の長がある。
「娘! てめぇから死ねぇぇ!!」
「しま――児屋ぇ!!」
「彦根くぅん!!」
 それは断末魔の叫びだったのか――
 ――否。
 すんでのところで飄風の如く駆けつけた彦根が、児屋を抱え倒れるように転がることに成功したのだった。
 ――ぶぅん!
 その頭上で激しい圧力を伴った右ストレートが虚しく空を切ったところだった。児屋程度の矮躯、軽く粉砕できる威力を持った一撃だ。あと一瞬でも遅れれば彼女の命はなかっただろう。
「児屋……、無事か?」
 倒れて腕の中に抱かれる形になった児屋の安否を気遣う彦根。
「はい、私は……、ッ!? 彦根くん、後ろ――」
 その背後――。
 天井をバックに、足を振り上げる巨人の姿を見た。
 がすっ!
「がはっ!?」
 二人まとめて踏み潰さんばかりのストンピング。咄嗟に背中に魔力を集めていなかったら一撃で背骨が折れているところだ。
「お……らぁ!!」
 再び踏みつけようと足を勢い良く振り上げるホスセリ。彦根は研ぎ澄まされた野生の勘だけを頼りに、少女を抱えたまま横転する。
 どがっ!
「ちっ」
 足が地面にめり込み舌打ちをする。今のはさっきのよりも力が籠められていた。おそらく二度目は越えられなかっただろう。
 すぐさま起き上がる両人。
「彦根くんっ、大丈夫……?」
 今度は児屋が安否を確認する番だった。
「いつつ……平気だって……。それより、ランドグレイヴが!」
 見ると、フェンリルにマウントポジションを取られ、必死に足掻いているところだった。短い手足をバタつかせている。
「おれは大丈夫だから。お前はそっちに集中しろ」
「は、はいっ」
 彦根も再度構えを取る、ホスセリがようやく足を地面から引き抜いたところだった。さっきのように児屋を狙われないよう背中に隠すように立ち、近付きすぎず離れすぎずの位置を保ちながら機を窺う。
 どれくらいその状態が続いていただろう。均衡を破ったのはやはり耐えかねたホスセリの方だった。突貫してきて下段からとんでもなく重いアッパーカットを繰り出す!
 万全の状態であれば、難なく躱せたであろうそれをしかし――。
(ぐっ、背中が……)
 先の攻撃で受けたダメージが不意に再発し、動きが止まった。そこに――。
「隙ありぃ!!」
 ――どむっ!!
「ご――」
 ボディに重量感溢れるブローを受け、一撃で内臓破裂寸前にまで持っていかれた。声にならない声を上げる彦根。斜め四五度の方角に三十mも吹き飛ばされ、胃か腸あたりの毛細血管が切れていたのか、大量の血を吐き戻した。
「勝負……ぜー、ぜー……あった、な……」
「……?」
 しかし、次に荒い息を吐き出したのは、彦根ではなくホスセリだった。そしてその瞬間――。
 マウントを確保していたフェンリルの力が不意に緩んだ。
「!? ランドグレイヴ、今!」
 そのタイミングに合わせて、主の声に応じたランドグレイヴが四本の足で押し返すことが出来た。
「ぜーぜー……あと、あと少しなんだ……。もうちょっと……ぜー、持ち堪え、はー……、やが、れ――」
 ますますホスセリの口から熱い吐息が漏れる。この症状は……。
「魔力の……」
過負荷オーバーロード……?」
 ホスセリの最大の落ち度。
 それはグレイプニルを解放した状態で長時間の戦闘を繰り広げたこと。
 フェンリルを封印していた最たる理由。
 あまりに魔力を喰い尽くしすぎるから・・・・・・・・・・・・・・・・・
 元より魔力量の少ないホスセリは、その消費を極力抑えるためにグレイプニルを使用していたのだ。
 使用者からの魔力供給の途絶えたフェンリルは、その本来の力を発揮出来なくなったのであった。
 自分の力を過信するあまり、短期決着に持ち込まなかった。
 それこそが、ホスセリの敗因だった。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
 最後の気力を振り絞り、立ち上がる彦根と――。
鋼鉄の神亀ランドグレイヴ――」
 最後の魔力を駆使して、鋼鉄の神亀が最終封印を解き放つ児屋――!
「――XL=I!」
 ランドグレイヴの身体が風船のように膨らみ、十mもの大きさになった。
「グァァァ!!」
 猛々しい咆号を発するランドグレイヴ!
「ホスセリぃ!!」
 そして、ホスセリに向けて勇猛果敢に突進していく彦根!
「冥府に堕ちろ!」
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「――断吭だんごう!!」
 断末魔の絶叫を上げ――。
 ホスセリの首が刈られ、彦根の鎌によって胴体から切り離された。
「……ただし、魂はここに置いてゆけ――」
「莫迦な……この俺様が消えるだとぉ……!?」
 その視線の先――。
 巨大化したランドグレイヴに咀嚼され嚥下され、消えゆく氷牙狼の姿を見た。
 首が地面に落ちるより早く。
「――ちくしょう」
 ホスセリは、短く最期の捨て台詞を残し、微細な粒子と化していった。
「つっ……かれたなぁ」
「ですねぇ……」
 その場にへなへなと力なく崩れ落ちる彦根と児屋。そしてそのまま。
「あとは……みんなにお任せっすね――」
「ですねぇ――」
 大の字に手足を広げ横たわり、二人は静かな寝息を立て始めた。

Leave your heart

   *
 ――−一:五九:四六。
 第四層。
「やぁ、お三方。御機嫌よう」
 爽やかな笑顔で俺達を出迎えたのは、案の定……。
「ホデリ……」
 西園寺が歯軋りしながら呟く。
 そこに待ち受けていたのは、皮肉にも俺に剣の手解きをした師にして元・聖徒会書記。
 南条照也――改め、炎界を創り出した神、ホデリだった。
「さぁ、早速始めましょう? 僕の相手は――」
「私です、ホデリ。――来よ」
 西園寺が前に出る。彼女は顔の前で両の掌を組み合わせ――。
「――皇帝剣デュランダル=v
 左右に開いていくことで、鞘に納まった一振りの刀を静かに具現化させた。
「皇帝剣のアダプトデュランダル=c…。前に何度か手合わせした時は一度も敵いませんでしたが、今回は果たしてどうですかね」
 そう口にするとホデリは右手を前に出し、その手元が炎に包まれる。そして。
「……灰燼に帰せ、灼焔伯爵ムスペルヘイム=v
 西園寺と同じくらい静かな動作で、刀身が波状を描く剣を出現させた。
 俺は西園寺の横顔を覗き見る。
 その顔色に躊躇いは――。
 ――なかった。
 彼女は俺の方を見ずに。
「この場は任せて下さい。神倉先生、学園長――」
 そう言うや否やその姿が霞む。ほぼ同時の時宜を得、飛び出すホデリ。
「行くぞ、命!」
「はい、八雲さん!」
 ついに二人になる。
 俺達は走るスピードを上げた。

   *
 ――ガリガリガリガリ……!
 デュランダルとムスペルヘイムが鍔迫り合いを演じる。文字通り、激しく火花が散らせる攻防戦になる。
「照也!」
 ギギギギ……!
「まだ僕をその名で呼ぶのかい阿須波? やはり君も人の情を捨て切れないか……!」
 ギィン!
 剣を弾くホデリ。後方に宙返りして着地した。
「『能ある鷹は爪を隠す』という言葉を、古風な君が知らない訳はないだろう? ……見せてあげよう、ムスペルヘイムの特殊能力!」
 そしてもう一度高く跳躍する!
「出でよ――」
 そして炎の剣を一振りすると……。
「――火焔巨兵スルト=I」
 剥き出しのその剣の先端から巨大な炎が発生し、その炎の中から巨人が現れた。身長二百五十cmはあるであろう、手に持った一振りの剣も阿須波の背丈くらいある。理屈抜きでとんでもなくでかい・・・男だった。
「顕現能力……!」
「炎の巨人スルト、僕の右腕さ。……さぁ、やれスルト! 思う存分その猛威を振るうがいい!」
「■■■■■!!」
 およそこの世のものとは思えない咆哮を上げ、襲い掛かるスルト。剣を上から下に振り下ろし、阿須波を強襲する!
「くっ……!」
 防ぎ切れないと判断した阿須波は、大きくバックステップして躱した。約一mの余裕を持って回避した彼女だったが、それでもあまりの剣圧に、スカートにビッと裂け目が入った。
(完全に躱してこれとはね……)
 右手に剣、左手に鞘を持ったまま、どんな攻撃が来ても十二分に対処できる距離を取る阿須波。
「■■■■■!!」
 しかしスルトは獣のような雄叫びで大気を震わせつつ、作戦も何もなく連続して斬撃を放ってくる。
「ちぃっ!」
 徐々に壁際に追い詰められていく。一歩一歩後退しながら反撃の機を計る。だが無我無心で放たれる攻撃故、次撃が読みづらい。長年の居合の鍛錬で見切り≠フスキルを体得した阿須波でさえ、一手先を読むので精一杯だ。
 その間ホデリは離れたところで傍観している。ホデリを討てばスルトも消滅するだろうが、彼女のスピードを以ってしてもスルトの攻撃を躱しながらホデリを討つのはあまりに現実的でない。
 そして、とうとう壁に背を預ける形になってしまう。
「……剣舞・不退転」
 刃を鞘に納め、デュランダルの天地を逆にして左に構える阿須波。左手を鞘の下部に添え、右手はいつでも抜刀出来るよう柄を持ったまま。
 呟いた剣式の通り、不退転の覚悟を決め防御に回ったのだ。その覚悟に応じるかのように、スルトもまた大剣を横に薙ぎ払う!
 ガギギギギギギ!!
 タイミングを合わせ左から右へ跳び、勢いを殺す。そして――。
「……神威一刀流」
 白刃を抜き去る阿須波!
「――傑討けっとう!!」
 次の瞬間、スルトの左肘の辺りが切断された。
 神威一刀流・傑討。
 防御に回りながら攻撃を繰り出す、を基本概念に生み出された抜刀術。鞘で防御、剣で攻撃というシンプルながらも強力な技である。
「はぁぁ!!」
 そして空中で身体を捻り、次の一撃でスルトの巨体を両断した。
「■■、■■■――」
 やはり形容し難い声を残し、スルトは光に呑まれていった。
「流石だね、阿須波。スルト程度では君の相手には相応しくない、か……」
 よく言う、と阿須波は思う。そんなことは確認するまでもなく分かっていただろうに。
「照也……」
 そして、ホデリをそうで呼んだ。
 その一言にどれだけの想いが籠められていたのか。彼女はかつて愛した男を、かつて愛した名前で呼んだのだ。
「……まだ、僕をその名で呼ぶか」
 目を閉じるホデリ。
「その甘さが――」
 そして次に目を開いた時――。
 ……彼の目に、もう光は宿っていなかった。
「君の運の尽きだ――」
 ホデリがムスペルヘイムを構え、彼を中心に足元から火炎が広がる!
「!?」
 驚きを見せる阿須波。やがて火炎は階層そのものを丸ごと飲み込み。
 次の瞬間、周囲の風景は一変していた。
 視界は赫く染まり、火燐が舞う。四方八方に炎が揺らめき、摂氏二百℃を超える焦熱の地獄。その様は――。
「……灼焔伯爵ムスペルヘイム、炎界顕現――」
 まさしく、神代の時代に創世された、燃え盛る光焔こうえんの王国――。
「……この空間は僕が創り出した炎界を一時的に顕現した世界だ。小細工も手心もなし、僕の最終奥義が――」
 膝の屈伸を曲げるホデリ。
「阿須波、君を焼き尽くす!!」
 そして、真正面から阿須波にぶつかってきた!
 鞘を左手に持ったまま片手で剣を握り締め迎え撃つ。再び鍔迫り合いが続くと思われたが……。
「な――!?」
 前後左右から、周囲に蠢いていた炎が彼女に襲い掛かる! まるで、炎そのものが意思を持った概念かのような。それを躱そうとすればムスペルヘイムの一撃を受ける。進退窮まった阿須波は襲ってきた炎に飲まれるしかなかった。
「うわぁぁぁぁ!!」
 地獄の業火にその身を灼かれる。払えど払えど次々に迫る赤い悪魔。服は焼け落ち肌は炭化し、少女の命を削る。
 ただし、火の神たるホデリだけは例外だ。彼の周りにだけ見えない空気の壁があるかのように炎が近付かない。もがきバタつく阿須波を尻目に再び間合いを離すホデリ。
「熱いかい? 苦しいかい? そのまま飲まれてしまえば楽になるよ」
 しかし阿須波は。
「激墜!!」
「くぅっ!?」
 飛ぶ斬撃を放ち、その衝撃波で火炎を打ち消すと同時にホデリに反撃した。咄嗟に防御したホデリだったが、し切れず左腕に傷を受けた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 荒い息を吐き出す阿須波。露出していた肌は黒い燃え殻と化しつつある。それでも少女は火の鳥フェニックスの如く立ち上がった。だが……。
「……無駄さ。一度振り払ったとしても、炎界の炎は君を逃がさない。いつまでも追い続けるさ。……この世界の中で僕に勝つことは出来ない。諦めてくれよ」
「…………」
 しかし、阿須波の瞳からは戦意が消えることはない。
「…………」
 ホデリは「やれやれ」とばかりに首を振るい剣を掲げ――。
 軍隊を指揮する司令官の様に、鋒を阿須波に向けた。
 意思を持っているようにそれに応じ、再び襲い掛かる躍る獄炎。阿須波は成す術もなくそれに飲まれる。
 その直前。
「ッ?」
 ホデリは、剣を鞘に納め必殺の構えを取る阿須波の姿を見た。
(まだ無駄な足掻きをするつもりか……?)
 万が一のことを考慮しムスペルヘイムを構えるホデリ。
 しかし、阿須波は再び焔の禊を受ける。罪も罰も、全て焼き滅ぼすというように、囂々ごうごうと嗤う赤い悪魔。
 そして阿須波が黒い屍と果てるよりも早く。ホデリが杞憂を嘆くよりも早く。

「――神威しんい

 見えない掌がムスペルヘイムを砕き、ホデリの身体を強く押した。

「――零式ぜろしき

 ――どん!!
「なっ…………?」
 阿須波の剣は、確かに鞘に納まったままだった。そして、彼女本人も居合の構えを取ったままであった。
 にもかかわらず――。
 阿須波からホデリまでの空間に、まるで円形の何かが高速で通り過ぎたかのように筒状に空洞が出来ていた。
 構えを解く阿須波。同時に炎界は消え元の空間に戻っていく。
 意に反するアダプトの消滅。
 それは即ち、使用者の死を意味する――。
「……神威一刀流の真髄は居合にあらず。発勁はっけいにあり」
「しんい……ぜろしき?」
 呆然と何が起こったのかも把握できていないまま呟くホデリ。その脳裏に、蘇るものがあった。
『神威零式?』
『えぇ、神威一刀流の最終奥義なの。私はまだ完全には体得し切れていないけれど……』
『大丈夫。阿須波ならきっと、いや必ず出来るよ』
『ありがとう照也。いつか完成した暁には……見てくれる?』
『あぁ、もちろんだよ』
 ――それは遠い日の出来事。
 かつて二人が共に歩んでいた頃の記憶だった。
「そうか……、神威零式……完成、していたんだね……」
 俯き目を伏せたままホデリに近付く阿須波。
「君達を――いや、阿須波……。君を見ているといつしか、人間もまた捨てたものじゃないと思い始めることが出来たんだ……」
 そしてホデリまであと一歩のところまで近付き――。
「阿須波、僕は本当に君のことが――」
 ――ザン。
 言い終わるより早くホデリの身体を斬り捨てる阿須波。
 目元に散った血飛沫が涙のようだった。

good-bye my dear

   *
 ――−一:一〇:三九。
 第五層。
「待っていたわ。ヤクモ、そしてミコト」
 歓迎の言葉は、まるで天使の唄声。
 歌姫・清野命に勝るとも劣らない、鈴を鳴らすような美声を発して俺達を出迎えたのは――。
「――サクヤ」
 最後に残った二人の片割れ、天界を創世した神――その名を、サクヤという。
「もう多くを語る必要はないわよね。……ヤクモ、ニニギならこのすぐ上、最上層で貴方を待っているわ」
「……通してくれるって言うのか」
「どうせミコトが邪魔するんでしょ? わたし、無駄なことはしない主義なの。それに――」
 そう言って、サクヤは妖艶に笑う。幼い外見に似合わず、妙に板に付いていた。
今の貴方じゃ・・・・・・今のニニギは倒せないもの・・・・・・・・・・・・
「……どういう意味です?」
「行けば分かるわよ。じゃあミコト、始めましょう? わたし達、二人っきりの戦争を」
 くい、と服の裾を引っ張られる感触。
 命が、俺の袖をつまんでいた。そして。
(八雲さん……、伝えたい言葉があるって言ったの、覚えてますか?)
 静かにそう尋ねてきた。
 屋上での会話。
 大切なことを伝えると言った彼女の言葉。
 思い出すまでもなく、深く心に残留していた。
(あぁ、もちろんだ)
(帰ったら……。絶対ですよ? 約束ですからね?)
 話したいことがある。だから、必ず生きて帰って来いと。
 命はそう言うのだ。
 ……答えなんて、決まってる。
(……今は、しまっといてくれ)
(…………)
(約束する。勝って帰ってきたら……、その時、聞かせてくれ)
(…………)
 しばし押し黙る命だったが、やがて指を放してくれる。そうして――。
「――いってらっしゃい」
 そう言って、俺の背中を軽く押してくれた。俺は逆らうことなくそのままゆっくりと歩を進め――。
 単身、最後の決戦に赴いた。

   *
 そうして対峙する二人の魔術師。
 互いに魔力値は、オーバーS。最早この地は他者の踏み入ることを許さない禁域だった。
 命と、サクヤ。
 彼女達の戦いは、即ち魔力と魔力のぶつかり合いに他ならない。
「私は……許さない――。かあさまを殺した貴女達を。かあさまが愛した世界を滅ぼそうとする貴女達を」
「許さなくって……それでどうするって言うの?」
「倒すわ」
 真顔のまま即答する命。対するサクヤはぴくりと顔を顰めた。
「大きく出たわねミコト。……それで? あの頃とどこが変わったの?」
「変わったわ。私は、戦える」
「…………」
 サクヤの背後に幾つもの光弾が発生する。
 それは、恒河沙にまで届こうかという弾数。
 一瞬で決着をつけようと、力の差を見せ付けようと言わんばかりに、光の珠は際限なくその数を増してゆく。
「不愉快よ、ミコト。……行くわ。わたしが神たる所以を教えてあげる」
 そう言って一斉に光弾を発射するサクヤ! それぞれが弩弓の破壊力と速度を兼ね備えたそれらは上下左右、あらゆる角度から命を狙い打つ。
 予め断っておくと、命は決して運動神経は悪くない。走るのは同年代の平均女子より速いし、スポーツもそこそここなす。
 ただ、今回の敵は文字通り光の速さを持った銃弾なのだ。回避できようはずもないことは、誰に言われるでもなく重々承知していた。
 命は襲ってきた光弾の数量を一目で看破し、同数・同質量の光弾を放ち、相殺しに回った。
 大爆発と光彩陸離。皮肉にも、繰る属性は互いに光=B美しく煌めくそれはしかし、破滅を招く核の輝きと相違ない。
「やるわね。なら――」
 感嘆と共にそう呟いたサクヤは慌てた様子もなく、再び先程と同等量――いや、それよりも尚多い――の魔力弾を造り出して。
「これでどうかしら!?」
 完成した順に発射してきた!
「くっ……!」
 流石の命の顔にも、冷や汗が浮かぶ。
 さっきは一斉に飛んでくるので比較的対応が楽だった。
 しかし、ここに来て時間差。
 次から次へと降りかかってくる火の粉を振り払うのに精一杯な体だ。
 それでも彼女は善戦している。
 ――帰ってくると約束したから。
 ――帰ってきて欲しいと懇願したから。
 負けられない理由が――。
「――あるから!!」
 全ての弾丸を相殺することに成功した命。そして――。
「――――!」
 サクヤよりも一つだけ多く発生させ、それがサクヤに襲い掛かる!
「障壁……」
 それは敢え無くバリアに防がれ霧散する結果に終わったが、サクヤの神としてのプライドに泥を塗るには十分だった。
「……わたしを防御に回らせるなんて、やるじゃない」
 ますます柳眉を逆立てるサクヤ。どうやら誇り高き女神の逆鱗に触れたようだ。
 両者は先程より立っている場所から全くと言っていいほど動かない。が。
「なら見せてあげる。貴女程度にこんなもの使いたくなかったけれど――」
 そう言って片手を高く翳すサクヤ。そしてこう囁く。
「――天界顕現」
 ――と。
「ッ!?」
 空が広がっていく。降りかかろう程の星空が。
 オリオンが。ペルセウスが。アンドロメダが。
 冬の南中に輝く銀河が、時期を無視して奇跡のように燦々と光を放つ。
 ここが……。
「天界……!」
「ここはわたしの世界。わたしが創り出した世界。わたしが望む通りになる世界」
 夥しいまでの魔力が逆巻く。今、当代最強の魔神が、悠久の時を経て本気・・を見せる!
 魔力を集中させて光弾を造り出そうとした命だったが――。
「無駄よ」
「ッ!?」
 それは何に触れるでもなく、サクヤが手を前に翳しただけで破裂して消えた。
「言ったでしょう? ここはわたしの思いのままになる世界。貴女の攻撃はわたしには届かない」
「…………」
「意味が分からない? ……分かりやすく教えてあげる」
 そう言うとサクヤはマリオネットの糸を操るように指を動かす。すると――。
「なっ……!?」
 三度目の驚き。
 遠く離れたところでサクヤが指を動かすだけで、なんと命の身体が無重力空間に置かれたように宙に舞い上がったではないか。
「こういうことよ。あはははは、成す術もないでしょう? おかしいわね」
「くっ……莫迦にして!」
「あら? 空の旅は好みじゃなかった? なら――」
 サクヤは腕を振り上げ。
「――人間うじむし人間うじむしらしく、地に這い蹲っていなさい」
 その腕を振り下ろし、命を激しく地面に叩き付けた。
「きゃあぁぁぁ!!」
 魔力塊をクッション代わりにして衝撃を和らげるが、硬い地面に打ち付けられる勢いは殺し切れない。
「くすくす、可愛い悲鳴出すのね。貴女可愛いわ。けどね……」
 そう笑って女王のようにつかつかと倒れる命の下まで歩み寄ってくる。そして倒れる命の顎をくぃっと指で持ち上げ――。
「――わたしはわたしよりも美しいものを認めない。決めた。貴女は塵も残さず完全に滅ぼしてあげる」
 美麗な顔を憎しみの魔性に歪めて、そう言い放った。
 サクヤは命から離れて天を仰ぐように両手を頭上に掲げる。それに応じるように、凄まじい魔力を伴いながら空に瞬く星群が躍動を始める!
(大魔法!?)
 咄嗟に障壁を全身に纏い全魔力を防御に回す命。だが――。
「無駄よミコト。何度も言わせないで。この空間はわたしの思うまま。高々Sランクの魔力で――」
 そう言い――。
「……天から降る無量の光芒の、どれから身を守れると思って?」
 死刑台のギロチンを下ろすように、天を仰いでいた両の手をゆっくりと下げた。
「――堕ちる天空フォーリングスター=v
 数多の星が降り注ぐ。舞い散る桜の花弁のように。  地上に降り注いだ天空そらは難なく世界を丸呑みにし――。
 ドォォォォン……!!
 超爆発を起こし、辺りはもうもうとした煙に覆い尽くされた。
「……終わったわね」
 立ち込める煙幕を払おうともせず、歓喜に酔い痴れるサクヤ。
「人間と交わったことがココロ、貴女の最大の過ちよ――」
 その時だった。
「――無垢なる願いアンリミテッドウィッシュ=v
 ――ドシュッ。
 煙を突き破って現れた一条の光線が、サクヤを貫いたのは。
「………………え?」
 何が起こったのか理解できないサクヤ。
 自分の身体を見下ろすと。
 胸の辺りに、直径十cm程度の小さな穴が開いていた。
「どう……し、て」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 晴れていく視界。
 その先、命の左掌が自分に向けられていたことに気付いた。
 手袋の中心が、ちょうどサクヤに開いたのと同じ大きさの穴形に焼け焦げ、その部分から一筋の後炎が立ち上っている。
「……この義手の中には小型の粒子加速器が組み込まれています。荷電粒子砲アンリミテッドウィッシュを発射するための加速器が」
「そん、な――、わたしが、消える?」
「貴女は強い。けれど、最後の最期に言ってはいけないことを言ったわね」
 消滅していくサクヤの体躯。
「人間の力を侮ったのがサクヤ――」
「ウソ、ウソよ……ウソに決まってる……。あは、あはは、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
 壊れた人形のように笑殺しながら――。
「――貴女の最大の過ちよ!」
 一人の女神は、その永かった生を有終させたのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 ばたりと前のめりに倒れる命。堕ちる天空フォーリングスター≠ノより、身体機能は完全停止一歩手前の大怪我。意識は消えかけていた。
 されど――。
(行か――なくちゃ……)
 最後の力を振り絞り立ち上がる。そして勝利を謳うことも敗北を嘲ることもなく――。
 独り、最上層へと足を向けた。

lost heaven

   *
 ――−〇:四〇:〇〇。
 最上層。
 みんなの力を借りて――。
 とうとう、俺はここまで来ることが出来た。
「……来たぜ、ニニギ」
「――ようこそ、ヤクモ」
 眼下に風景を一望しながら、俺に背を向けたままニニギは言う。
「空も海も大地も。地界はかくも美しいな」
「…………」
「勘違いのないよう断っておくが、私もまた、地界を愛する者の一人だ。出来ればこんな暴挙に出たくはなかったのだがな」
「人間は醜い。悪いのは人間達だと――そう言いたいのか?」
「然り。お前もその身に邪神を宿していたのならば分かろう?」
「…………」
 ……それは。
 邪雲が抱いていた孤独や人間に対する憎しみは分かる。また、人間に絶望したニニギ達の気持ちも理解できる。
 けれど――。
「――楽園の神ロード・オブ・アヴァロン=v
 ――納得は出来ない。
 俺はその手に黄金のアダプトとアヴァロンを具現化させた。
「……それが、答えか」
「確かに、人間は愚かかもしれない。邪神に犯されたままの俺なら、お前達に共感もしただろう。でも! 人間は強くなれる。俺が邪雲を打ち破ったみたいに! それを俺は、みんなから学んだ。……地界が美しいと言ったな。それは、地界そこに生きる者が美しくしているんだ!」
「それが、貴様の答えか」
「あぁ。何度でも言うさ。俺は人間を信じる・・・・・・・・
 ニニギの背中からは何の感情も読み取れない。
 歓喜も――、
 憤激も――、
 哀愁も――、
 愉楽も――。
「……失望したぞヤクモ。――最早問答は……意味を成さぬか!」
 外套を翻し俺に向き直るニニギ。そして――。
「――無界顕現」
 そう口にすると同時に、ニニギの足元から闇が染まっていく。それは瞬く間に視界全てを埋め尽くし――。
 やがて、世界は無≠ノ包まれた。ここが……。
「無界……!」
「如何にも。私が創り出した世界、何も無い世界≠セ」
 暗黒の中に俺とニニギの姿だけが静かに浮かび上がっている。不気味な程、くらく、深い。地獄という形容も当てはまらない、そこはまさしく虚無≠フ時空だった。
「この世界の中では造物主たる私への攻撃は全て届かない・・・・。即ちこの世界の中では貴様は私には――」
『――勝てん』
「!?」
 ――がすっ!
「ぐあっ!」
 突如背骨に突き刺さるような激痛が走る。折れんばかりの衝撃を受けて、俺はその場に叩きつけられた。更に――。
 どむっ!
「ぶ――」
 内臓が一発で破裂するんじゃなかろうかという重い蹴りが、横腹に炸裂する。否、現実俺の肝臓は今の一撃で壊れた。ロード・オブ・アヴァロンで再生したに過ぎない。
「げほっ、がはっ……」
 親切にも壊れた臓器を治療してくれるのはいいが、痛みまではなくなってくれない。内に溜まった大量の血を吐き出してようやく楽になる。
 それより、今のは……?
 確かに俺とニニギの間には十m近い間があった。しかし今奴は、さっきまで俺が立っていたところに立っている。移動の気配など全く感じなかった。あれはまさか、正真正銘の……。
「流石は超回復=Bおいそれと命を譲ってはくれぬか。ならば……」
『死ぬまで殺し切るだけのこと!』
 その声は俺の真正面から聞こえた。次の瞬間、二人の間の距離はゼロに埋め尽くされ――。
「なっ――?」
 ギィン!
 人間の体躯程度、容易く大穴を開けようと言わんばかりの鉄拳は、辛うじて間に入った俺の剣に止められた。
「ほう……よく止めた」
「お前……! これは、瞬間移動かっ」
「見破ったか、流石」
 ――そういうことだ。
 速いとか遅いとかいうレベルじゃない。気配を感じなかったにもかかわらず背後に移動してみせたのも、こうして一瞬のうちに肉薄してみせたのも、全てはその一言で説明がつく。
 全人類の懐く夢。永劫叶うことなどないと言われていたそれは、この世界に於いてのみ可能となるのだ。
 これが、瞬間移動――。
 ニニギの姿が消える。不意に剣戟の対象を失った俺は前につんのめる。そこに――。
『どらあぁぁ!!』
 背後から延髄目掛けて強烈な回し蹴り!
 ご、めきっ――。
「――――」
 厭な音を立てて頸骨が砕け散る。発声器官を潰された俺は、悶えることすら許されず即死した。
 致死の傷だ、すぐには回復しない。ごろごろと何も無い地面を転がり、アヴァロンの力で痛みを感じる程に骨が繋がると――。
「ぐ、がはぁっ! ごぶっ――」
 次に待っていたのは、いっそ殺せと泣きつきたくなるような地獄の苦しみだった。呼吸は出来ないし、血液が一気に脳に集まって気持ちが悪い。さっき以上の吐血をするし、涙腺が崩壊し否応なしに涙が出てくる。
「これが我が能力、終わらない夜エンドレス・ナイト≠セ。無に溶け、無より現れる瞬間移動法。無界内でなければ発揮できない半端な能力ではあるが――」
 がっ!
「ぐっ」
 後頭部を踏みつけられる。口の中に冷たい砂利の味が広がった。
「邪雲もこれには手を焼いていたぞ? ……もっとも、彼奴めは今のお前のように無様な姿を晒しはしなかったがな」
「くっ……アヴァロン!」
『承知!』
 身動きが取れない俺の代わりに、顕現させたアヴァロンを攻撃に回す! 完全な不意打ちだったが……。
「『無駄だ』」
 声がダブって聞こえる。次の瞬間ニニギは二十mも離れたところまで移動していた。
 ……さっき『通用しない』ではなく『届かない』と言ったのはこういうことか。
「如何な連撃≠フスキルも、届かねば意味がない。諦めろ。貴様は強いが、下手だ。まだ邪雲を完全に飼い慣らせていまい。この世界の中で私に勝つことは出来ん。ここに於いては、私は文字通りなのだからな」
 確かに、この空間内では奴は森羅を操ることが出来る。ある意味では邪雲よりも強く、高く、凶悪だ。その様はまさしく神話に登場する神そのもの。あるいは人の身で打倒することは叶わないか――!
 だが俺は――。
「言ってろ……っ」
「……なに?」
 俺は立ち上がった。
「この戦いは俺一人の戦いじゃないんだ。長い時間をかけ、たくさんの人を、たくさんの仲間達を糧にようやく辿り着いた決戦だ。……ここで俺が引いたら、その全てが――」
(八雲、くん……)
(神倉……)
(負けんなよ――)
(気合っす)
(ふぁいとですよぉ)
(先生……)
(八雲さん、今行きますっ……)

(負けないで!!)

「――その全てが、嘘になっちまうんでね!!」
『わたしを呼べ! 八雲!!』
 乾坤一擲の勝負に身を投じる覚悟を固め、アヴァロンに魔力を集中させる!
「ぬぅっ! この気魄……!」
「瞬光煌めけ――」
 ロード・オブ・アヴァロンを高く掲げ上げ――。
「――アヴァロン!!」
 振り翳す黄金の輝き。終わらない夜を切り開く一刃の剣。さんざめく光が暗闇に包まれた世界を埋め尽くす!
 そして――。
 バキィィィン――!
 何かが激しく砕け散る音。それに伴い、大規模な魔力が消滅していくのが分かる。
終わらない夜エンドレス・ナイト≠ェ!? 莫迦な……」
「これでお前はもう瞬間移動を出来ない」
 ニニギに鋒を向ける。
「形勢逆転、だな」
「……ふん、ほざけ。まだ無界が消滅した訳でもなければ私が敗れ去った訳でもない。……良かろう。どうやら私も全力・・を出さなければならないようだ」
 そう言ってニニギは手を胸の前で組み――。
「ぬぅぅぅぅぅぅぅ……!!」
 そこを中心に膨大な量の魔力が渦を巻く! この魔力、純粋な量だけなら邪雲に匹敵……いや、それ以上だ――!
「出で来たれ――」
『来るぞ! 八雲!』
 アヴァロンも警戒の意を示す。
「あぁ、分かってる!」
 無界に遍く闇の全てが集っているかのよう。
 そうしてニニギの手の中に具現化されたのは――。
「――貫きしものグーングニル=v
 刀身はニニギの背丈程もある。重量は百kgを超すだろうか。
 ナイト・オブ・バビロン以上に闇黒あんこくを煮詰めたような色をした超大の槍だった。
「最早出し惜しみはなしだ。無界の闇を全て統合させ造り上げたこの魔刃が――」
 それを優に片手で振り回すニニギ。今度は俺にその槍の先端を向け。
「ヤクモ、貴様を破壊する!」
 そしてこちらに向けて疾駆してくる!
 こいつ……、でかいくせに敏捷性も高い――!
 俺はグーングニルを防御する。さっきまでの戦闘で感じていたことだが、ニニギは鍛え抜かれた肉体を余すことなく発揮し、かなりの怪力ぶりを披露している。単純な切れ味ならロード・オブ・アヴァロンの方が上だが、哀しいかな、腕力で劣る俺はじわじわと、だが確実に押されつつある。
「思えば、この戦いは必定だったか……! 私はヤクモ、お前を滅ぼすために二十年も待ったのだからな」
「なんだと!?」
 ギン、ギィン!
「我らが目覚めて以来二十余年、ただ徒に時が過ぎるのを待っていたとでも思ったか! ……全てはヤクモ、貴様を滅ぼすため!」
「ということは、まさかお前達……?」
「その通りだ……っ。地界を滅ぼすだけならばいつでも可能だった! それをしなかったのは、ヤクモ! 偏に貴様を討伐するためにぃ!!」
 ……こいつは何を言っているのか。
 要は。
 邪雲オレを滅ぼすために、地界を滅ぼそうとした、と。
 そんな巫山戯たことを、抜かしやがるのか――。
「ざけ――んなっ!」
 ギィン!
「これも貴様の中に宿った邪神のせいだ! ヤクモォ!」
「――ッ!」
 世界を追い詰めた真の張本人は邪雲……俺だって言うのか――。
 でも……でも!
「違う!!」
 ギィン!!
「くぅっ!?」
 鍔迫り合いを続けていた二人だったが、俺は熱くなり隙が出来たニニギを大きく弾き返す。
「違う、違う!」
「何が違う!? 私はニニギ、亡き偉大なる天帝・オシホミミの跡を継ぎ九つの世界≠束ねる長となった神! そして、貴様はそのオシホミミを亡き者にした張本人、邪神邪雲だ!!」
「違う! 俺を……俺をその名で呼ぶな! 俺は、邪神なんかじゃない!」
「なにぃ……!?」
 そう。俺は邪神なんかじゃない……!
 神も人間も何も無≠「。俺は。俺は!
「俺は……俺は神倉八雲だ!! 邪雲じゃない!!」
「…………」
 熱していたニニギの頭が冷めていくのが分かる。そして、静かに怒りを心頭に発した。
「……ならば、神たる私を屠るか! 神倉八雲!!」
「倒すさ。……俺は独りじゃない。だから戦えるんだ!!」
『往くぞ! 八雲!』
「あぁ! 楽園の神ロード・オブ・アヴァロン――」
 俺は相棒アヴァロンの声に応じ、残る魔力のありったけを籠めてその真名を解放する!
「――限界突破エクシード=I!」
 顕現されたアヴァロンが、元のつるぎに戻っていく。連撃≠フスキルを捨て去り、聖剣が邪雲をも超越する神剣へと昇華する!
「神倉八雲ぉぉぉ!!」
 漆黒の極光を放ってニニギが奔走してくる!
「ニニギぃぃぃ!!」
 俺はそれを真っ向から受けて立つ。一髪千鈞の大勝負!
光を屠るエンド・ザ――」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「――我らの剣エンド=I!!」

 ガギギギギギギギギ!!
「あああぁぁぁぁぁぁ!!」
 正真正銘最後の力を振り絞り、ニニギが解き放たれた魔槍を振るう! 全てを無へと還す覚醒されたその黒刃の前にはロード・オブ・アヴァロン・エクシード≠煖服せざるを得ない。
 だが――。
(――八雲さん!)
 命!?
 そうだ、俺には……!
「地界は……っ」
 俺には仲間がいるんだ――!!
 びきびきびきびき!!
「なにぃ!?」
「終わらせねぇぇぇぇ!!!」
 砕け散る魔槍。その向こう。
闇を切り裂くエンド・オブ――」
「やくもぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

(同調)

「――我らの剣エンド=I!!」
 神剣に貫かれる、最後の神の姿を視た。


「……貴様を滅ぼした時こそ、我らは真の意味で完全神になれる気がしたのだ――」
「…………」
 そのままの体勢で硬直する両者。俺は剣を振り抜いたまま、ニニギはその身を両断されたまま。
「尤も、お前のような半人前の魔神に敗れる私には、それも所詮は叶わぬ願いだったということか――」
「……さようならだ、ニニギ」
「お前との邂逅が必定なれば、この結果もまた運命だったということか。……さらばだ八雲、あとは好きにしろ」
 光の粒子と化して消えてゆくニニギ。「あぁ、最期に――」と、己が消滅を潔しとせず、終焉まで怨み言を残して――。
「私を破ったとてユグドラシルのコアたるこの空間は消えん。精々お前も運命を享受するのだな」
 最強の名を背負った創造主は、音もなく塵へと還っていった――。

Don’t call me by the name

   *
 ――−〇:一二:〇五。
 走っていた。
 行く当てもなく、見える物もなく。
 この世界を抜け出す方法が、きっとある。そう信じて――。
 俺は休むことなく走っていた。

「八雲さん……」
 ようやく最上層に辿り着いた命。身体はボロボロで、もう歩くこともままならないというのに。その小さな身体のどこにそんな気力が残っていたのか。
 そして彼女は、その漆黒の光景に我が目を疑った。

「出口がない……。くそっ! もう時間がないってのに……!」

「この闇は、無界!? ……まさかこれがユグドラシルのコア? 八雲さんは――」

「……命」

「ッ!? 八雲さん!? やっぱり中に……」

「今なら届く気がしたんだ。やっぱり命、そこにいるんだな」

「はい、います! 待っていて下さい、今解呪の方法を――」

「いや、もう時間がない。……頼みがある」

「え……?」

「命。無垢なる祈りアンリミテッドプレイ≠使ってくれ」

「ッ!?」

「アンリミテッドプレイを使って、この世界を原初の状態に戻すんだ。それで無界は元の状態、無へと戻る・・・・・。それで地界は救われる」

「でも……っ、そんなことしたら、八雲さんは!?」

「消えるん……だろうな。でも世界を救うためにはこれしかないんだ。もう時間がない。間もなくユグドラシルの闇はNCSを突き破って再び世界を侵食し始める」

「だからって……!」

「早くしろっ!」

「ッ!」

「…………」

「あ、アンリミテッド……」

「…………」

「だ、駄目……、やっぱり出来ない――」

「命!!」

「出来るわけないじゃないですか! 帰ろうって……伝えたいことがあるって言ったじゃないですか……!」

「命……」

「まだたくさん話したいこと……お喋りしたいことがあったのに……! 八雲さんが消えるなんて、そんな世界で、わたしはっ……」

「それ以上は言うな!」

「八雲さん!」

「この世界を失ってもいいのかぁ!!」

「ッ!!」

「…………」

「……!」

「…………」

「…………!!」

「…………」

 ――−〇:〇一:〇〇。
「………………ッ! 無垢なる祈りアンリミテッドプレイ<b!!」
 一瞬息を呑んでその言霊を紡いでくれる命。原初の状態に戻るべく崩壊していく無界。
 ……泣いているだろうか。泣かせてしまっただろうか。
 ごめんな、命……。
「ありがとう……命……」
「八雲、さん……」
「命……、忘れないで……」
「八雲さん!」
「どうか……、俺、忘れないで……」
「私っ! 八雲さんのことが――」
 ざわぁっ。
 一陣の風が吹いた。
 その瞬間――。
 俺の存在は、地界から完全に消滅した――。
 ――十八:〇〇。

   *
「……さん、清野さん」
「うぅっ……」
「清野さん、清野さん」
 瞼を開けようとする命。
「まぶし……」
 しかし曙光が網膜を容赦なく照りつけ、命の視界を白く染め上げそれを妨げる。それでも次第に光に慣れてきて、少女はうっすらと目を開けた。
 目の前にいたのは……。
「春姫さん……。それに、阿須波さん」
 頭が柔らかい物に乗っている。どうやら命は春姫に膝枕をされているようだ。
「お目覚めですか、学園長」
「他のみんなも無事ですよ。……ほら」
 春姫が指差した方向には、飯綱と那綱が立っていた。すぐ近くで彦根と児屋も座っている。
「ッ! ユグドラシルは!?」
 飛び起きる命。が、重傷でうまく身体が動かない。それを支えるように阿須波が優しく手を添えた。
「大丈夫ですよ。ニニギと共に消滅しました。……地界は、護られたんです」
「地界は、護られた……」
 歓喜の表情を浮かべる命。だが、その顔はすぐに曇る。
「……八雲さんは?」
「ッ……」
「阿須波さん?」
 …………。
「春姫さん?」
 …………。
「飯綱さん?」
 …………。
「那綱さん?」
 …………。
「彦根さん?」
 …………。
「児屋さん?」
 …………。
「ねぇ……八雲さんは? 八雲さんはどこ……?」
「…………」
 この場にいる誰一人――。
 その問いに答えることが出来る者は、いなかった……。
「そんな……」
 崩れ落ちる命。喉を搾り出すような声で言った。
「――どこの誰ですか……! 『みんなで一緒に帰ってこよう』なんて言ったのは!!」
「学園長……」
「どうして……どうしてそれを言い出した人がいないんですか……。どうしてよ! どうして!?」
 一輪の勿忘草ワスレナグサが咲いていた。
 夜が明ける。
 壊れた時計は、十八時で停まっていた。

unlimited Forget-me-not・了


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