かみさまたちのふたつのごさん
それは うまれるはずのないものがうまれてしまったこと
ひとつめは つよくねがう≠アとにより おもいをかたちとなす≠モしぎなちから
それは かみさまたちにとってもうれしいごさんでした
しかし ふたつめは……
ふたつめは まさにあくむのようなごさんでした
けっか きゅうにんいたかみさまはしちにんにへり
のこったかみさまたちも ながいながいねむりにつくことになったのです
かみさまたちがおかしてしまった さいだいのあやまち
それは――
*
北原鈿女は厭な予感がしていた。
毎朝の日課であるタロット占い。今朝はその結果がいつになく芳しくなかったのだ。
「逆位置のWheel of Fortune=c…」
意味は情勢の急激な悪化・危機の到来=B
いつもならば取るに足らないような内容であるにもかかわらず、この日ばかりは気になってしょうがなかった。鈿女は自覚していた。自分の占いは、しばしば悪いことばかりが的中するのだ。
(もう一度、もう一度だけ……)
そう思い、再びタロットを繰る鈿女。そしてもう一回カードを引く。
そのカードは――。
「正位置のThe Moon=A親友の裏切り=c…」
またも厭な結果。しかも心なしか先程よりも悪い気がする。
(まさかね……)
そう思いつつも不安は消えてなくならなかった。
*
船%熾煤Bニニギはとある一室に立っていた。
いつもの窓のある部屋とは異なり、科学実験室のように仄暗い機械質な部屋であった。
その部屋の一番奥に位置する一つのカプセル。上下にケーブルが延び、ケーブルは左右に張り巡らされ機械に繋がれている。その中は緑色の液体で満たされ、そこには一糸纏わぬ姿の女性が浮かんでいる。緑の水に揺らめく銀色の髪が印象的な女性だった。
「まもなく地界は終わる……」
それを見上げ、十数年来の友人に語りかけるように口を開くニニギ。
この部屋はこう呼ばれている。
眠れる戦乙女の間=Aと――。
「見ているか? お前の愛した世界だ、ココロ」
unlimited
六月二十九日(月)
*
「春姫、鍵閉めたか?」
「はい。ガスの元栓も閉めましたし、窓の鍵もカンペキです」
僅かに胸を反らして言う春姫。
珍しく俺と春姫、春日さんの三人で一緒に登校することになった朝。時計は七時を指していた。
昨日の鍛錬は午前いっぱいかかった。俺はそれでリタイアしたが、南条達はその後も続けていたらしい。
俺が殺された回数、通算十三回――。南条や火野は最後まで息を切らすことすらなく、それに反し俺はというと全身汗まみれ。自分の無力さを痛い程感じさせられた一日となった。しかして昨日の午後から今朝にかけて爆睡を決め込んだというわけだ。
にもかかわらず筋肉痛などの身体的な異常は感じない。これも偏にナイト・オブ・アヴァロンの効力だろう。
安定剤のおかげか、ここ最近は夢遊病の発作も起きていない。
平和なものだった。
妙な出来事に巻き込まれて――、
戦いに命を懸ける羽目になって――、
それでも平穏はいつまでも続いていく――──。
『ΑΛΕΡΤ! ΑΛΕΡΤ!』
そんなささやかな願望を、無情にも打ち砕く破滅の音が周囲に響き渡った。
「ッ!?」
三人揃って金縛りにでも遭ったかのようにその場に立ち止まる。俺達の周りを歩いていたサラリーマン風の男性が怪訝そうな顔で通り過ぎていった。オモイカネの音声はアダプターにしか聞こえないのだ。
「敵……九つの世界≠ナすか? 春日さん」
「オモイカネ! ッ、これは……!」
「私にも分かる、この魔力反応、大きい……!」
遅れて俺も気付く。
何か強大な気配――春姫達が言うところの魔力反応が上空から降ってくる……!
「春姫、NCSを! 範囲は2000m。いける?」
「はい、なんとか。……NCS、radius2000m――in……voke!!」
紅紫色に広がる波紋。町一つ覆い尽くす程の巨大な波はやがて外界との干渉を断ち切る隔離結界となる!
「どうするんですか?」
俺は二人に尋ねた。
「念話は……ダメね、妨害されてる。学園に向かいましょう。いざという時の合流地点になっていますから」
「会長も、今朝は一足先に聖徒会室に行っているはずです」
「分かった。急ごう!」
俺達は走り出した。
*
時を同じくして、清命学園聖徒会室。
西園寺阿須波も敵の気配を感知していた。
「幹部クラス、それも二体いる……? いよいよ本格的に動き出したということですか」
(念話は繋がらないか……、大した気の入れようね)
即座に矢のように飛び出す阿須波。万が一念話妨害されていた時のための集合場所として、バトルフィールドに適した遮蔽物のない広い空間――この近辺では学園のグラウンドと取り決めていた。……無論、NCS内で限定の話だが。
(それにしてもこのタイミング……私がこの時間に単独でいるということと知っていたとしか思えない――。まさか内通者が……)
良からぬ不安が消えない。ともあれ、この場所からなら誰よりも早く到達して敵襲に備えることが出来る。だが――。
『待ちなヨ聖徒会長。ワタシと遊ぼうジャないカ』
そんな声が脳に響いてきたせいで、矢は凍り付いたかのようにその場で止まった。
「ッ!?」
今、一瞬念話が届いた。
(この気配……更に幹部クラス!? まさか、一度に三体も――!)
『屋上で待っているヨ。まさカこの校舎を丸ゴト消し炭にされたくハないダロウ?』
「…………」
それを最後に途切れる声。その声の主を察するに、今の発言は冗談ではあるまい。
阿須波は踵を返し、屋上に向かって階段を駆け上がった。
*
俺達が学園のグラウンドに着いた時は既に林、火野、山里、北原、東の五人は集まっていた。
「遅いぞ!」
短気な林が怒鳴る。
「悪い! これでも精一杯急いだんだ!」
「会長と照也先輩は?」
「それが分からないの。照也君はともかく、阿須波は聖徒会室にいるはずなのに……」
今朝の占いはやっぱり当たっていたのね……と独り言を言う北原。
「携帯は?」
「あっ、そうですよ!」
山里が携帯を開いて操作しようとするが――。
「そんな時間の余裕はないようよ、みんな。無駄口はそこまで。……来ます!」
春日さんがオモイカネを通して見ていた透視に反応が出る。するとそれに呼応するかのように、上空から無数の光の柱が降ってくる。
「この光の柱……、同じだ、あの日と!」
春姫と駅前で遭遇した際に降ってきたのと同じだ。やがてそれらは人の姿を形作り――。
「エインヘルヤルです。でもこの数、多い!」
多種多様な武具を持った鎧兵士へと変貌を遂げた。
「二十……、いや、三十はいるっすか」
「どんどん増える……。本格的に来たね……」
「でも所詮雑魚ばっかり……小手調べってことかしら? あたし達もなめられたものね」
火野と東、北原が思い思いに呟く。
「いや、まだ来ます!」
そして林が叫ぶ。
『久しぶりだな――』
舞い降りる二つの人影。そのうちの一つが獣の呻きのような声をあげて姿を現した。
「久しぶりだなぁ!? なぁヤクモ!!」
2mは超えているであろう巨躯。餓虎を連想させるその濁声はプロレスラーみたいな体格とよく似合っている。俺を二回り程大きくして脂肪をつければこんな風になるんじゃなかろうか。
もう一人は……。
「……よぅ、飯綱」
「ナヅナ……!」
短い挨拶、しかし腹に響く胴間声。林に呼びかける声には親しみさえ籠もっているように感じた。
紛れもなく、あの日あの時、俺を殺した男――ナヅナだった。
それにしても――。
「久しぶり……?」
大男の言い方が気になる。まるでかつて会ったことがあるような言い分だ。しかも俺の名前を知られている。だがあんな奴とは会ったこともないし、まさかあんなインパクトの強い奴を忘れるはずもないだろう。
「あぁ、テメェは表の人格だったな。ま、気にすんじゃねぇ。とりあえず自己紹介だ。俺様はホスセリ。テメェらを駆逐しに来てやった」
「表の、人格……?」
ホスセリと名乗った男はますます訳の分からないことを言う――
――もうすぐ もうすぐ
「ホスセリ!!」
珍しく春日さんが声を荒げる。その声に我に返った。なんだ……? どうやら一瞬意識が飛んでいたようだ。
今のは何か言われたくないことを言われた――そんな感じの声だった。
「お母さん、下がって! 菊理先輩も」
「児屋、お前も。とりあえず少し離れとけ」
「くっ……!」
「ごめん、よろしくみんな!」
「お願いします!」
春姫と火野の声に一歩後退する春日さんと東と山里。どうやら彼女達のアダプトは攻撃型ではないらしい。
「さて……」
ホスセリは嫌らしく笑うと。
「紹介も済んだし、殺しちまっていいよな?」
そう言って、溢れんばかりの殺気を放った。
「させない! 羽撃け――」
「目覚めろ――」
「巻き起これ――」
「呪え――」
春姫、林、火野、北原がほぼ同時に呪文を口にする。そして――。
「風奏でる翼靴=I」「石化の魔棘=I」「覇王鎌=I」「勇鋭の聖杖=I」
各々自らの相棒の名を叫び、相棒である武装具もまた、その声に応じ具現化された。
そして俺も――。
「来い――」
(わたしを呼べヤクモ!)
「アヴァロン!!」
頭に響く声の通りに、その手にナイト・オブ・アヴァロンを具現化させた。
「……二度も殺されてやらねぇぞ?」
初めてと言っていい実戦。流れそうになる冷や汗を堪えて、俺はナヅナに鋒を向けて精一杯の啖呵を切る。
「ふん、青二才が生意気な口を叩きやがる……」
悪態を吐くナヅナ。そしてその両手にも――。
「吸い尽くせ、吸命の毒牙=v
俺の胸を貫いた血色の槍――ノスフェラトゥが握られていた。
「さて、全員準備はいいようだな? じゃあ――」
ホスセリは片手を掲げて、
「――犯せ、野郎共」
その手を振り下ろし、決闘の合図を告げた。
*
屋上にて。
阿須波は一人の敵と対峙していた。
「ホオリ、ですか……」
「キキキ、よく名前まで覚えていてくれたネ?」
それは顔を仮面で覆っている、ホスセリには及ばないまでの巨漢、ホオリだった。標準的な女学生の体型である阿須波にとっては頭一つ分程大きい。
「貴方の目的は私の始末、ですか?」
校庭では既に戦闘の気配が窺える。今すぐにでも駆けつけたい気持ちを必死に抑えつつ静かに問う。
「察しがいいネ。正確には足止めだガ……しばらくココで待っていてもらうヨ」
「そういう訳にはいきません。せっかくです。貴方はここで斃れなさい」
冷たくそう言う阿須波。そして両手を前に出し拳と拳を合わせる。
「来よ――」
そしてそのまま横に開いていく。するとその形の通りに鞘に納まった曲刀が出現してきた。
「――皇帝剣=v
皇帝剣デュランダル。それが西園寺阿須波の持つアダプトの真名だった。
阿須波は居合の構えを取る。臨戦態勢だ。
神威一刀流。『神々の威武すら一刀の下に斬り伏せてみせる』という意味を持った古くから残る由緒正しき殺人剣。それこそ長年彼女が培ってきた剣術流派の名称である。
「キキキ、怖イ怖イ。容赦なしカ。……せっかくデ消されてハ堪らナイ。でハ、ワタシもそれ相当の応対をさせてもらうヨ。――雷震轟け」
片手を高々と頭上に翳すホオリ。上空はあっという間に雷雲に包まれ、その手に一条の稲光が煌めく。
そうして具現化されたのは――。
「――打ち砕く雷鎚=v
雷神トールが持っていたと伝えられる、3mはあろうかという巨大なウォーハンマーだった。重量は優に200kgはあるだろう、それを軽々と片手で一振りするホオリ。
――ぶぉん! 激しい爆風が巻き起こる。だが阿須波はそれに動じることもなく構えを保ったままだ。
「ワタシが創世したのハ『獄界』。……今からこの場ヲ地獄に変えてみようカ?」
「……やってごらんなさい。貴方の方こそ地獄に堕ちろ――」
そう吐き捨てるや否や、阿須波の姿が霞む。
次の瞬間、彼女はホオリの背後に回り込んでいた。
「はぁぁ!!」
気合一閃、左手に構えた鞘からデュランダルを抜刀し、ホオリの首を刈りに行く!
「フン……」
その速さに驚愕することもなく、ホオリはミョルニルを頭上に掲げてデュランダルの一撃を防いだ。
ギィン!
鋼鉄のぶつかり合う音が周囲を支配する。ホオリが手にしているのがあるいは人造の物であれば、たとえ戦車の装甲並みの硬度を持っていたとしても両断していただろう。それほどまでに人知を超えた戦い。
お互い表情一つ変えることなく――もっとも、ホオリは仮面をかぶっているので表情は見えないが――数合打ち合う。
「は――」
何撃目かの交錯。阿須波が鞘から剣を抜き高く跳躍、上段から振り下ろす強烈な斬撃を放つ!
「――せいっ!!」
ガギィン!!
それを防ぐホオリ。一際大きな金属音。鍔迫り合いが続く。しかし――。
「……響ケ雷鳴」
――バチッ。
「ッ!?」
短く呟くホオリの声と、静電気のような音。次の瞬間――。
カッ! ドォン!!
天そのものが落ちてきたような轟音が鳴り渡り、ホオリを中心にして周囲に稲妻が走った!
打ち砕く雷鎚ミョルニル。其の称号が示す通り、ミョルニルは自在に雷を操れるのだ。
電熱で煙る周辺。動く者の気配はない。
「キキキ……おヤおヤ、死んダかネ?」
辺りを見回す。今の雷は、直撃でなくとも常人ならば電圧でショック死していてもおかしくない程だ。
そう。
「――神威一刀流」
常人ならば。
「――激墜!!」
ザシュッ!
「ヌぅッ!?」
横一文字に斬撃が飛んだ。咄嗟に防御に回ったホオリだが、腕を斬られ身体にまで傷が及んでいた。血が身体を伝い滴り落ちる。しかしながらその反応の速さには敬意を表さざるを得ない。
「……よく防ぎました。今の一撃は胴を両断するつもりで放ったのですが」
言うまでもなく、阿須波の居合による遠距離奇襲である。先程の微弱な音にさえ反応して咄嗟に、それこそ電光石火の如く離脱し反撃に出たのだ。
しかし如何な瞬速を以ってしても相手は雷光。阿須波の服は所々が焼け焦げ、夏服の合間から露出している肌も一部炭化しつつあった。
されど、その眼に宿る意志に弱気は一切見受けられない。戦いの中に身を置いてこそ輝きを増すその姿は、一種の中毒者のようだった。
「……キキキ、ワタシの方こそ聊か甘く見ていタようダ。非礼を詫びるヨ」
「詫びの言葉などいりません。代償はその命で払って頂きます」
「キキキキ! いいヨその気概! 楽しイ、楽しいネェ!!」
戦闘狂。戦いが過酷を極めれば極める程ホオリは悦ぶ。
阿須波も再びデュランダルを鞘に納めいつでも飛び出せる体勢をとる。
そして再び、広い屋上には甲高い金の音が鳴り渡り始めた。
*
カッ! ドォン!!
「ッ? なんだ!?」
杞憂の語源ではないが、まさに天が崩れ落ちてきたかのような爆音が轟く。俺はそれに一息気を取られた。その隙を突いて――。
「ウォォォォ!!」
猛虎の咆哮をあげてエインヘルヤルが襲い掛かってくる!
名前が北欧神話の英霊の魂ならば、その様子は同じ神話に登場する狂戦士のそれだ。
「くっ」
剛剣を辛うじてアヴァロンで受ける。剣戟の硬直を狙って――。
「……ふっ!」
林がフォローに回ってくれ、バジリスクが剣士の首を断った。
光となって消滅していくエインヘルヤル。さりげにフォローしてくれるあたり、案外面倒見はいいのかもしれない。
「迂闊だぞ神倉! 余所見をしている場合か!」
だがしっかり叱咤は浴びせてくる。流石だ。
「でも、今の音!」
屋上の方から聞こえてきたぞ、今のは。
「多分、会長が……。気配がします、あっちも敵と交戦しているようです」
春姫も寄ってきた。
「雷使い……。ホオリか?」
「おそらくは――」
一言二言交わすと二人は左右に飛び出す、そのまま残る敵の掃討にかかった。
(上だ! ヤクモ!)
「ッ!」
不意に脳内に飛来する声に反応して、咄嗟に剣を右にして掲げる。
ギィン!
巨大なトマホークを持ったエインヘルヤルの上段からの攻撃を防ぐ。
ギギギギギ……!
すごい怪力だ、力押しでは負ける……! ならば――。
「ふっ――!」
「!?」
剣を斜め下にずらすと同時に身体を左に躱しその猛攻をいなす。力任せに振り下ろした鈍撃は勢いそのままに深く地に突き刺さり、致命的な隙が生まれる。
「はぁっ!」
ナイト・オブ・アヴァロンの切れ味は既に折り紙付きだ(なんといっても、オモイカネによるとステータスAランクである)、次の一撃で鎧ごとエインヘルヤルの身体を断ち切った。
俺を狙ってくる敵は一段落ついたようだ。それというのも――。
「音速の舞踏技、水切!」
春姫が空中で静止したまま右足、次いで左足で連続の蹴撃を放つ。すると、まるで鎌鼬のように二つの烈風が発生し、衝撃波が襲い掛かる!
ザザザン!
烈風が甲冑を切り裂き、一気に数体のエインヘルヤルを消滅させた。
「それで動いているつもり? 私はまだせいぜい二割ってとこなんですけど……ねっ」
相変わらず春姫の足はまともに地面についていない。目にも止まらぬ早業で敵を攪乱している。
林もまた。
「はっ! はっ! はぁっ!!」
長柄の槍を我が手のように操り、次々とその数を減らしていった。
だがその背後に――。
「飯綱ぁ!!」
ナヅナのノスフェラトゥが強襲する!
強烈な打突。しかし林は後頭部に目でも付いているかのように、僅かに横に移動しただけで危なげなく回避した。
「単調な攻めだな、私もなめられたものだ」
「ぬかせっ!」
いつか見た光景の再現だ。白銀の槍と赤銅の槍が衝突し交錯する。
そこに――。
「飯綱離れて! ――切り裂け、氷刃!」
北原の魔法だ。100cm程の長い杖の先端を向け、呪文を呟く。その呪文に応じるように、大気中の水分が凝固し、鋭く尖った堅利な氷の刃と化す!
「凍結の矢=I!」
三本の氷の矢が一斉にナヅナへと発射される! 一本が40cmもある巨大な氷刃だ、当たり所が悪ければ即死だろう。
しかしナヅナは避ける素振りを見せず、ノスフェラトゥの柄を翳すと――。
「無駄だぜ!」
「なに!?」
驚愕の声は北原のもの。心境は俺も同様だ。
どうしたことか、氷の矢は音もなくノスフェラトゥへと吸収されてしまった。
「ノスフェラトゥの柄には魔力を吸収して自らの力に還元する能力があるんです! だから無闇に魔法は使わないで下さい!」
「わ、分かったわ!」
「ナヅナは任せて下さい! 私が抑えます!!」
そう言って再びナヅナと対峙する林。
「へっ……、これで一対一で勝負が出来るってもんだな」
「なに、すぐに終わらせてやる……さっ!」
そう言って俺達の戦闘の輪から一歩離れたところに跳んでいく両者。
「――断吭」
遠くから聞こえる、やる気のなさそうな声。
それは火野だった。大振りのクロノスにそぐわない俊敏な動きで、エインヘルヤルを蹴散らしていく。
「またつまらぬ物を斬ってしまった……とか言うと、かっこいいんじゃないかと思ってます」
巨大な鎌を手に吭を次々と刈り進む様は、まさに寓話に出てくる死神以外の何者でもない。
(強い……!)
敵は三十、いや、その数はどんどん増え、今では四十近くまで達している。しかもそのうち二人――ナヅナとホスセリはアダプターだ。
にもかかわらず、春姫をはじめ、林も火野も北原も、全く引く様子を見せない。
これが……実戦経験を積んだ百戦錬磨のアダプターの戦い――!
もしかしたら、俺が出る幕はないのかもしれない。だが、未熟者とはいえ傍観しているばかりではいられない。
近くにいた双剣士に駆け寄る。そして俺は昨日南条に言われたことを思い出していた。
『大切なのは決める≠アとと引く≠ナす』
(決める≠ニ引く=\―!)
まず一撃目。駆け抜けた勢いを活用して左下から右上へ振り上げる一撃!
――ぶぉん!
空を切る音。双剣士は軽くバックステップを踏んで難なく躱してみせた。
まずはそれでいい。この角度・この速度で繰り出す攻撃を回避するにはそれがベストだ。俺は反撃の隙を与えずすかさず二撃目。振り上げた剣を、今度は一歩踏み込んで振り下ろす!
連撃を食らい後手に回るしかない双剣のエインヘルヤル。両手に持った剣を頭上で交叉させて俺の二撃目を防ぐ。
ギィン! ギギギギギ……!
鍔迫り合いになる。ここまでは予想通り……!
形勢は不利とみてとったのか、膝の屈伸を利用して俺の剣を押し戻そうとする相手。
そして、その瞬間こそを俺は待っていた。
(今だ――!)
押し返そうとしたその瞬間――。
俺はアダプトを消し、膝を曲げ姿勢を低くとる。
「!?」
突然対象がなくなったことに驚くエインヘルヤル。バランスを崩し胴体に大きく空間が出来る。これも予想通り。俺は初めから三撃目で決着をつけると決め≠トいたのだ。
そして俺は再びアダプトを出現させ――。
(これが俺の……)
「三撃目だぁぁ!!」
その空いた胸目掛けて、会心の突きを放った!
ザクッ!
鎧を貫通し、肉を貫く確かな感触。手応えあった……!
二振りの剣が力なく手から落ち、それもろとも名もなき兵士は消滅していった。
「はぁ、はぁ……ふぅ」
額に滲む汗を拭う。まだまだ敵は残っている。そして最も気になるのは……。
「はっはっは、やるじゃねぇかヤクモ。ただのド素人かと思ったが……、伊達にアイツの転生先じゃねぇってことか」
先程から一歩もその場を動いていないホスセリのことだ。
「雑魚はいくら集まっても雑魚ってことか……。しょうがねぇ――」
かったるげに呟くと、
「そろそろ俺様が、直々に嬲り殺しにしてやるよ」
ホスセリは襲い掛かる寸前の野獣の如き静かな殺気を放った。
「くっ……」
「この殺気……、尋常じゃないわね」
春姫達三人も一度集まる。林は未だ数歩離れた場所でナヅナと交戦中だ。
「どうするっすか」
火野が静かに問うてくる。エインヘルヤルは大分数を減らしたとはいえ、まだ二十体くらい残っている。全員でホスセリに向かっていって後ろから襲われたら一巻の終わりだ。
……どうする? どう出る?
「ホスセリの狙いは八雲くんのようです。八雲くんは下がってエインヘルヤルの足止めを……」
そう春姫が提案する。それがもっとも賢明な判断に思える。しかし俺は――。
「……いや、俺が狙いだからこそ俺が行く。ナイト・オブ・アヴァロンがあれば多分大丈夫だ」
両手に持った相棒を掲げて言う。
絶対にやらない。だからこそ行く。ギャンブルは好きじゃないが、賭けの常套手段だ。
……分の悪い賭けだけどな。
「そんな! 危険すぎます、やるならあたし達が……」
「いや、そっすね。先生は多人数を相手にするより一人に集中できていいでしょ。死んでも生き返る再生能力があるんだから大丈夫じゃないっすか?」
つっけんどんな言い方だが、火野も俺のことを心配してくれているのは分かるし、何より俺の意志を尊重してくれているのだ。
「北原、お前の魔法で後方から支援してくれ。春姫と火野はエインヘルヤルの足止めを頼む!」
「……っ」
一瞬歯を食いしばった春姫だったが。
「……分かりました。八雲くん、気を付けて」
「了解しますた」
「サポートは任せて下さい」
四人、獲物を構え直してそれぞれの敵と向かい合う。
「くっくっく、嬉しいねぇ……。ヤクモが俺様の相手を自ら買って出てくれるなんてよぉ……」
のそりのそりと近付きながら、嫌らしく舌なめずりをするホスセリ。それは紛れもなく餓えたケダモノそのものだった。
「じゃあ――」
そう言うとホスセリは一瞬その大柄な身体を沈み込ませて――。
「おっ始めるぜぇ!! パーティーをなぁ!!」
膝のバネを最大限に利用して、巨体に似合わぬ敏捷さで跳びかかってきた!
「行け!」
俺の言葉を合図に飛び出す各人。俺は奴が着地するタイミングを見計らって先制攻撃を仕掛ける!
「はぁぁ!!」
先手必勝剣戟一閃。しかしホスセリは――。
「おらぁ!!」
己が拳一つで、俺の剣と互角に渡り合ってみせた!
(なっ……!?)
鋼鉄の鎧すら斬り裂いた刃が拳を同等? そんな馬鹿なことが……。
「先生、退いて! 咲け、凍結の花――」
後方で魔法の詠唱に入っているのが聞こえた。北原のその声に反応して、俺は後ろにジャンプする。
彼女が杖を一振るいすると、それに応えるようにホスセリの周囲の大気が急激に冷却される。水蒸気が凝結し、そして――。
「霜の華=I!」
ホスセリの顔が、腕が、足が、全身が凍て付いてゆく!
夏に降りる霜。
液体窒素を頭からかぶったようなものだ。並みの皮膚ならば爛れて使い物にならなくなるだろう。
しかし――。
「ふんっ!」
ホスセリは犬が水滴を弾き飛ばすように身体を一度身震いさせると、凍て付いた氷を全て振り払ってみせた。
「嘘でしょ!? なんて身体してるのよ……!」
「はっはっは、なんだこりゃあ? 涼しいぜぇ〜?」
こいつ、なんて出鱈目さだ……!
俺の剣も通用しない、北原の魔法も駄目。
どうやって戦えばいい? どうすれば勝てる!?
「へっ、もう打つ手なしかよ? じゃあ……」
奴はさっき跳びかかってきた時と同じように膝を曲げると。
「俺様から行くぜ!!」
今度は一直線に疾走してきた!
脂肪がつき、基本鈍重そうに見える身体だが、それを補って余りある筋肉があるのだろう。瞬発力・爆発力は目を見張るものがある。
俺に向かって――それこそレスラーのように――ショルダータックルを繰り出してくるホスセリ!
「ぐぅぅっ!」
俺は剣で防御しつつ後ろに破壊力を受け流そうとするが……。
――無意味。
「ほぉら……よっ!!」
「うあぁっ!!」
100kgを軽く越えるであろう体重に、70kg程度しかない俺が立ち向かおうというのがそもそも無理があったのだ。
「やっくん先生!?」
無様に弾き飛ばされ、離れたところに待機していた春日さん、山里、東の三人のところまで転がっていった。それでも辛うじてアダプトだけは手放さずにいられたのは、我ながら執念深いというか不幸中の幸いというか。
「くっ……!」
「大丈夫ですか、八雲さん?」
「俺は……なんとか。それより――」
全身のすり傷はすぐにナイト・オブ・アヴァロンの力で癒える。今はそれより――!
「はっ、次はお前の番かぁ? 女!」
単独になった北原が危ない! ホスセリはもう北原の眼前まで迫っている。
――間に合わない!
その瞬間。
「鋼鉄の神亀・サイズM=I!」
ドズン!!
「ぐあぁ!?」
吹っ飛ぶホスセリ。
突如虚空より現れた何かがホスセリの左側面から奇襲したのだ。
その何かとは……。
「……亀?」
そう、それは確かに亀だった。だが一見するだけで明らかに普通の亀ではないことは分かる。
まず、体長が5mはある。そして、甲羅からは無数の鋭い棘が生えていた。
「山里、今のはお前が?」
今声を張り上げたのは山里だった。確認の意味も籠めて尋ねる。
「はい。私のアダプト、鋼鉄の神亀ランドグレイヴ≠ナすぅ」
「召喚系アダプトは貴重なんだぞ! えっへん!」
自分のことでもないのに――ましてや今は戦闘中だ――東が威張る。だがその能天気な声に少しは張り詰めっぱなしだった緊張が必要最小限にまで解れた。
召喚……、アダプトの中にはそんなものもあるのか……。
「ちっ……。召喚系か、雑魚がちょろちょろしやがって……」
体当たりを受けて遠く、砂塵の向こうでホスセリが立ち上がるのが見えた。どこかを負傷しているようには見えない。なんてタフネスだ……!
わらわらと近くにいたエインヘルヤルが近寄ってくるが――。
「うぜぇ! 邪魔だ!!」
うち一体を、持ち前の豪腕を唸らせ殴り殺した。
「ひどい! 仲間を!」
「仲間だぁ……? ははっ、こんな連中ココロがいりゃあいくらでも湧いて出る有象無象じゃねぇか!」
ココロ……?
「ホスセリ! 貴方達、やっぱり――!」
先程と同じく、珍しく声を荒げる春日さん。またも触れられたくない琴線に触れられたようだ。
「春日さん? 何を怒って……」
「先生! 来ますよ!」
いるのかと訊こうとしたのだが、今は戦闘の真っ最中だ。北原の言う通りホスセリは見るからに殺気立っている。
俺はすぐさまそちらに向かっていった。北原と、山里のアダプトランドグレイヴ=B心強い味方が増えたが、まだ敵の脅威は微塵も減っていない。
ホスセリは未だに身一つで戦っている。
そう。
つまり、奴は切り札たる己がアダプトをまだ使用していないのだ。
俺の攻撃も北原の魔法も、巨大なランドグレイヴの猛攻でさえ傷付かない屈強な身体。どうすればいい……?
「……先生、少しで構いません。一人で足止めをしていてもらえますか」
北原が低い声で静かに尋ねてくる。
「無理な相談だというのは分かっています。ですが――」
「何か策があるんだな?」
黙って頷く。
「詠唱に時間がかかります。あたしが今放てる最強の魔法をぶつけますので」
――最強の魔法。
今の今まで温存していたのだろう。しかしそれは逆を返せば最後の手段ということだ。
英断の時だった。
「ホスセリがまだ本気を出していない今が最大のチャンスなんです。どうか、ご聴許を」
「……分かった。頼んだぞ」
「……はいっ」
緊張が走る。それが伝わったのか、グルルルと唸りを上げるランドグレイヴ。
「行きます! 氷雪乱れて冬華成る――」
詠唱が始まった。俺はアダプトを構えてホスセリと対峙する。
「……ぶっ殺す」
静かに殺意を漲らせるホスセリ。緩慢な動きで近寄ってくる。
今の俺の役割は時間稼ぎだ。少しでも長く、一秒でも長く――。
「…………」
俺は深呼吸を一つする。そして。
「行くぜ! ホスセリ!!」
頼れる二人の相棒と共に、敵へと向かっていった。
*
「神威一刀流――熾裂!」
「ヌぅぅッ……!」
屋上での戦いもまた、苛烈を極めていた。
阿須波もホオリも満身創痍。コンクリートの地面の諸所に血痕が見受けられることからも、両者の決闘の凄惨さが窺えるだろう。
「ハァ、ハァ。キキキ……。楽しイ、楽しいネェ……」
だがホオリは嗤う。心底愉しげに。
「はぁ、はぁ。存外しぶといのですね、貴方は」
「君こソ。ただノあの女ノ盲信者だト思っていたガ、どうしてナカナカ……」
その言葉を聞いて阿須波の眉がぴくりと動いた。纏った気配が色を持つように殺気立つ。
「……あの女、とは誰のことです。心様ですか、それとも――」
「どっちモだヨ」
即答するホオリ。その仮面の向こう側はどんな顔をしているのだろうか。
――嘲っているのだろう。あの女と、そして阿須波を。
阿須波は、ますます滲み出る殺気を隠そうともしない。
「口を慎みなさい。あのお方達を侮辱するのは断じて赦しません」
その言葉は果たして、最後通牒だった。
「キキキ、元よリキミに赦しを請おうなどとハ思っていないヨ」
その言葉を聞いて、彼女の中で何かが弾けた。
「……そうですか。ならばその咎罪――」
そう言って高く跳躍する阿須波!
「ヌぅッ! この闘志……!」
「――その命一つでも贖えぬと知りなさい!!」
鞘から愛剣を抜き去るとその中空で反転し――。
「神威一刀流――」
校舎そのものを――──、
いや、星すらも薙ごうといわんばかりの特大の斬撃!!
「星薙!!」
あれは如何なミョルニルでも防げない。後ろに跳んで間一髪躱すホオリ。
ズ、ザン!!
闘神・素戔嗚尊が思う様その猛威を振るったかのよう。
屋上の広い横幅、フェンスの端から端まで、上下には三階まで達しただろうか。清命学園の校舎に甚大かつ痛々しい斬撃の痕が刻まれた。それを人の所業だと誰が信じよう。
神威一刀流・激墜。俗に言う『居合抜き』だが、恐ろしいのはその範囲。最大射程距離、実に6m。刀剣という武器が持つ間合いの狭さを完全に覆す奥義である。しかしながら、神威一刀流に於いて、それはまだ初歩に過ぎない。それを更に巨大化させて飛ばす、数ある神威一刀流の技の中でも最上位に位置する絶技。それが星薙だった。
「怖ヤ怖ヤ……。今のは流石にワタシも死ぬかト思ったヨ」
「御安心なさい。その恐怖、すぐに取り去って差し上げます。……死という救済を以って」
謐然とした殺気を伴って阿須波は毅然と言い放った。
*
ランドグレイヴはその巨体ゆえ、どうしてもスピーディな動きが出来ない。しかし今はそれがかえって効果的だった。
「はぁっ!」
俺が先制で剣撃を加え――、
時間差でランドグレイヴがホスセリに向かって体当たりを繰り出す!
「ちっ!」
ホスセリが大きく舌打ちをする。肉体的にはともかく、精神的にはかなりのダメージを与えられているようだ。
「おぉぉ!!」
ホスセリの蹴り!
――ズドン!
ランドグレイヴの下顎に命中する。とてもキックの音とは思えない音を立てて、重さ一トンはあるのではないかと思われる神亀の前身が宙に浮かび上がった。ズズゥンという振動とともに逆さまに倒れる。
「ランドグレイヴ! 大丈夫!?」
山里の声だ。主の叫びに大丈夫だと言わんばかりに「グルゥ」と一鳴きするが、なかなか起き上がれない。
そこに追撃を加えようとするホスセリを――。
「させるか!」
俺が咄嗟に食い止める。
先程から大概このパターンだった。北原、まだか……!
「あんまり調子に……! 乗るんじゃあねえぇぇぇぇ!!!」
とうとう堪忍袋の緒が切れたように、雄叫びをあげるホスセリ。力任せに俺を殴りつけてきた!
「くぅっ……!」
鳩尾に向けて放たれたとんでもなく痛そうな拳。防御もなしに受ければ人一人の矮躯、紙のように風穴が開くんじゃなかろうか。
ナイト・オブ・アヴァロンで防ぐも、刀身が折れそうな程にしなる。
「ぐあぁぁっ!」
そして結局そのまま吹き飛ばされる俺。口の中を切って血の味が広がる。
「殺す! 殺す!! ぶっ殺すぅ!!!」
いよいよ逆上し、顔面を真っ赤にして突進してくるホスセリ。その足取りは覚束ないとは言わないまでも、決して早くはない。やはり重量級なだけに素早さを欠いているようだ。
接戦に於いて、感情とは必ずしもプラスに働くとは限らない。わけても、最も失ってはいけないのが『平常心』である。
(冷静さを失った。それがお前の……)
――霜を履んで、ここに堅氷至る!!
「運の尽きなんだよ!!」
北原の詠唱が完成する! そして――。
「氷河の棺=I!」
魔力を籠めたセブンスワンドの先を地面に突き立てる。するとそこからホスセリに向けて大地に氷河が伸びる! 更にホスセリの足元にまでそれが届くと――。
「なにぃっ!? 莫迦――」
空気中の水分全てを凝結させ、永久凍土と成す!!
莫迦な、という声にもならない。一瞬にして凍結したその氷の棺がホスセリを飲み込んだ。
夏だというのに風は冷たい。偏に氷河の棺の賜物だ。
「やっ……た――?」
その場に膝からくずおれる北原。精神力を使い果たしたようだ。
「八雲くん!」
「ふくかいちょー、生きてますかー」
エインヘルヤルの残党を掃討し尽くした春姫と火野も寄ってくる。
「はぁはぁ、な、なんとか、ね……」
切れ切れの声で応対する北原。
……これで、終わった、のか?
未だ存在しているのは俺達聖徒会の面々とようやく起き上がったランドグレイヴ、そして氷の檻の中に囚われたホスセリだけだった。
「やりましたね! お疲れ様です、みなさん! ようやく幹部クラスを一人仕留めることが出来ました。これは我々にとって大きな前進です!」
感極まったのか、やや興奮しつつ春日さんが皆を労う。だが――。
「まだですよ、春日さん」
「八雲さん?」
「あれを砕くまで……油断出来ない」
俺は凍り付いたホスセリを指差して言った。
「なんとなく厭な予感がします。あれをしっかり砕かないと」
「……そうですね」
「そっすね。この中で一番攻撃力が高いの先生なんで、お願いしていいすか?」
「あぁ」
火野の言葉に小さく頷くと俺は氷塊の下へと歩み寄った。
そして剣を振り上げる。
次の瞬間、氷は粉々に砕け散るだろう。
「――凍て付かせ」
そう。
確かに、氷は砕け散ったのだ。
「――氷牙狼=I!」
「なっ――!」
驚きの声はこの場にいた全員のもの。俺は半ば吹き飛ばされるように退避した。
溶けるということを知らない氷の山を砕いて現れたのは。
全身を鎖で縛り付けられた、体長8mを超す極悪なまでに大きい狼だった。
ホスセリは――まだ生きていたのだ。
厭な予感の正体はこれだったのか……、もっと早く気付いていれば――!
「……ふぅ〜。ありがとよ、おかげでよぉく頭が冷えたぜ。ま、確かに冷静さは大切だわな」
何事もなかったかのように口を開くホスセリ。
「召喚系……アダプト!」
「そんな、こんなに大きい……!」
それに対し驚嘆の色を隠し切れない春姫と山里。
「改めて紹介するぜ。こいつが俺様の可愛いペット、氷牙狼フェンリル≠セ」
そう紹介する主の声に応えるかのように、「ウオォォォォン!!」と身の毛もよだつ咆哮をあげるフェンリル。
「そんな……氷河の棺も通用しないなんて……」
腰をついたままの北原が、最早打つ手なしと言わんばかりに呟く。確かに、もう万策尽きた……!
「安心しな。一気に皆殺しにするような勿体無い真似はしねぇからよ。……じわりじわりと、た〜っぷり時間をかけて弄り殺してやる――」
絶望が広がってゆく。
「やっちまいなフェンリル! まずはそのでかいのからだ!」
「ウオォォォォン!!」
さっきよりも一際大きな雄叫び。フェンリルが最初にターゲットにしたのは……ランドグレイヴ!?
先刻、主が散々苦汁をなめさせられた腹いせだろうか。
「ウガァァァ!!」と叫んでこちらに向かってくる!
「ランドグレイヴ! お願い!」
ランドグレイヴも、山里の声に応じてフェンリルに突貫する!
ガン! という大きな音を立てて衝突する二頭。それにより生じた爆風が周囲に吹き荒れた。
「おぉっと、こっちも忘れんな……」
そんな声が背後から聞こえた。
俺は第六感に任せて転がるように前方に跳ぶ!
「――よっ!」
ズガァン!
次の瞬間、俺が今まで立っていた場所がまるで小型隕石の衝突を受けたかのようにクレーター状になっていた。
いつの間にかホスセリが接近してきて、拳を振り下ろしたのだ。
「フェンリルは自立行動型でな。俺様は魔力にそれ程長けちゃいねぇが……おかげでご主人様の言うこともなかなか聞かねぇじゃじゃ馬なのよ」
まずい、まずすぎる……。フェンリルとホスセリ、一度に二人の相手をしないとならないなんて……!
春日さんと東は攻めるタイプじゃない。北原は魔力が枯渇していて立つことすらままならない。山里はランドグレイヴを操るのに必死だ。動けるのは俺と春姫と火野しかいない――。
ドン! ドン! と、幾度となく召喚系のアダプト同士がぶつかり合う音が地響きを立てる。
「ランドグレイヴ、負けないで……!」
どうやらあっちも劣勢のようだ。
絶体絶命とはまさにこのことを指すのだろう。
俺は――。
「……春姫、北原を連れて離れていろ」
「八雲くん? そんな、ホスセリはどうするんですか!?」
「この場合おれ達二人で抑えるっきゃないっしょ。いやー、しんどいすねぇ」
大口を叩く火野だが、その頬にはたらりと汗が流れている。やせ我慢なのは丸見えだ。
「一番動けるのはお前だ春姫。……頼んだぞっ。続け火野!」
そう言い残して、俺はホスセリに向かっていった!
「はぁっ!!」
上段から振り下ろす――、
「っせい!!」
下段から振り上げる――、
「うぉぉぉ!!」
八双の構えから全霊を籠めて斬りかかる――! しかし。
「かゆいんだよ!!」
そのいずれも効果はゼロ。そしてカウンターで放たれる右ストレート!
ガツン!!
脳が直接揺さぶられたような錯覚を受ける。ホスセリが繰り出したパンチが――。
ものの見事に、俺の左頬にクリーンヒットしていた。
「――――」
「ッ! 八雲くん!!」
息すら出来ない。
声にすらならない。
一寸先すら見えない。
無情にも俺は何メートルも離れたところに吹っ飛ばされ、仰向けに転がった。
「先生! ……くっそぉ、ホスセリィ!!」
火野が怒鳴るというレアな体験も体感出来ず、俺は何も考えられずに大の字に手足を広げて天を仰ぐだけだった。
その時。
バキ、バキバキバキ……。
「ランドグレイヴ!?」
鋼鉄がゆっくりと砕け散るような不快な音と、誰かの悲痛な叫びと、馬の嘶きに似た悲鳴が聞こえた。
音の方を見ると。
鋼鉄の神亀が、健闘虚しく氷牙狼に喰われているところだった。
背に生えた棘などまるで用を成さないかのように。
甲羅を噛み砕かれ、手足をもぎ取られ、臓腑を食いちぎられる――。
まさに、餓えた狼が空腹を満たす狩りの光景だった。
「消えて! ランドグレイヴ!!」
その声に反応して消えるランドグレイヴ。完全消滅ギリギリ一歩手前で山里の身の内に強制的に呼び戻すことに成功したようだ。
獲物を失ったフェンリルはつまらなげに新たな獲物を物色し始める。
そしてその目に捉えられたのは――。
(春日……さん!?)
避難しようと、最も奴の近くに移動していた春日さんだった。
「グワァァァ!!」
俺にはその雄叫びが、先程よりも瑞々しい獲物を見つけることが出来たことを喜ぶ轟笑に聞こえた。
「ッ!?」
「春日、っ、さん――!」
「! お母さん!!」
遠くで春姫が叫ぶが、傍らに北原を抱えているので駆けつけることも叶わない。いや、もし単独だったとしても、あの距離では間に合おうはずがない。
その瞬間。
世界がスローモーションになった。
大きく口を開くフェンリル。
抗う術を持たない春日さんはただ立ち尽くすだけだ。
そしてその無慈悲なる顎が春日さんを飲み込もうとしたまさにその時。
「春日さぁん!!!」
動くことも思い通りにならなかったはずの俺の腕が、春日さんを突き飛ばした。
「あうっ!」
かなり強い力を籠めて突き飛ばしたせいか、地面を転がる春日さん。すぐに東が立ち寄る。足を挫くくらいはしたかもしれないが、あの程度なら大きな怪我はないだろう。
良かった、助かったんだ。助けられた。俺が助けることが出来たんだ。
でも……、あれ?
俺の身体……宙に浮いてる?
……違う。
……あぁ、そうか。
俺は――。
春日さんの代わりに、フェンリルの牙に喰らい付かれたのだ。
〈八雲くん! いやぁぁ!!〉
……はるきのひつうなこえがきこえる。
――だいじょうぶだから。だからなくな。
そういってやりたかった。
でもこえはでなくて。
〈はははは!! 自ら進んで喰われに行くとはつくづく愚かだなぁヤクモ!!? ははははは!!!〉
ぺっ、とはきだされるかんしょく。そしてどしゃっ、とじめんにころがった。
〈鈿女先輩! 鈿女先輩!! 八雲くんを助けて……!!〉
〈やってる! もうとっくにやってるわよ!! でも無理なの!!〉
……まえにしんだときはいきかえったのに。どうしてこんどは?
……あぁそうか。
まえにからだにうがたれたあなはひとつ。だけどこんかいはそれがむすう。
どんなきせきをもってしても、もうおれをすくうことはできまい。
みぎてになにかにぎっていたらしい、かたいかんしょくがきえていく。
〈いや、いやぁ! 消えないで……消えないでぇ!!〉
〈無駄だ小娘。知ってるだろ? 意に反するアダプトの消滅は使用者の死を意味する。くくく……そいつ、もう助からねぇよ〉
……きえていくいしき。
…………かすんでいくしかい。
………………なにもかもがしろくそまってゆく。
……………………おれのいしきは――。
――おやすみ 八雲――
さいごにきこえたそんなこえとともに、プツンとシャットダウンされた。
*
――沈殿していた意識。
――それはまるで水底に堆積した汚泥のように。
――ゆっくり、ゆっくり、悠久ともとれる程長い時間をかけて浮上してゆく。
――久しく見ていなかった陽光が網膜を照らしつける。
――吾はゆっくりと瞼を開く。
────さぁ 覚醒の時だ────
*
「八雲くん!?」
最早死体以外の何物でもなかったはずの八雲が、幽鬼の如くゆらりと立ち上がる。傷口からは、致死量を超えた血が未だ止め処なく零れているにもかかわらず。
「八雲くん!? どうしたの!? 大丈夫なの!? お願い、返事をして!!」
敬語を使うことも忘れる程に取り乱した春姫の声にさえまるで反応しない――そもそも、左右に一つずつついているその耳に届いているかどうかもあやしい。
「ぅ……、痛ッ――」
ようやく起き上がった春日が苦悶の表情を漏らす。どうやら八雲に突き飛ばされた時に頭を打ったせいで数瞬意識が飛び、足首を捻挫してしまったようだ。菊理に肩を貸してもらう形で立ち上がる。
「大丈夫ですか? 副学園長」
「えぇ、私は平気よ。それより、八雲さんは……?」
「それが、やっくん先生、あれ……」
菊理は信じられないという青ざめた様相で指差す。
その先には血の海の上に君臨する八雲の姿があった。
「八雲さん!? 八雲さん!!」
一歩、また一歩、更に一歩。ゆっくりと、しかし着実に足を前に進める八雲。
どこにそんな余力が残されていたのか。とっくのとうに死んでいておかしくない、否、死んでいないことの方がおかしい傷だというのに。
「…………」
八雲の名を連呼していた春日だったが、不意にその声が途絶える。
どうしたことかと彼女の横顔を窺う菊理の顔が、驚きの色に染まった。
春日の表情はかつてない程硬く、鋭く、冷たく――。
そしてその両の瞳には、一つの感情が浮かんでいた。
あれは――諦観か。
そして、春日はこう呟く。
「――そう。目覚めたのね、邪雲」
「莫迦な……、生きてるはずがない! どうして動ける!? まさか……」
ホスセリが驚いたような焦ったような声を張り上げる。
……焦っている?
何に?
真紅の装束に身を包んで尚立ち上がる八雲に? あるいは――。
その先にある、畏怖すべき何かに――?
「ッ! やっちまえフェンリル!! 遠慮はいらねぇ、骨一本も残さずに喰い尽くせ!!」
「ウォォォォン!!」
主の命令に、御意と応じるように哮るフェンリル。
疾風の如く八雲に向けて駆け抜け――。
そのまま横払いに前足を猛烈に振るう!
時速200kmで走る大型トラックのようなものだ。数歩離れたところに立っている春姫と鈿女もろとも吹き飛ばせるであろう激しい風圧が起こる。その瞬間的な衝撃たるや一キロトン。人の身で受ければ、バラバラになること請け合い。
そしてその凶悪な爪が、徒手空拳の八雲に達しようとしたまさにその時のこと――。
「――神門の騎士=v
八雲の……、否、かつて八雲だったモノの口元が、あやしく吊り上った。
――シュッ。
刹那。風を切る音。驟雨の如く降る鮮血。
誰もがその目を疑った。
ずしゃりという音を立てて地に落ちたのは。
高々と宙を舞っていた、氷狼の前足だった。
「ギャァァァァ!!?」
四肢のうち一つを失ったフェンリルが悶え苦しむ。彼も自身の身に何が起こったか、即座には分からなかったに違いない。
八雲の左手には――。
暗黒を煮詰めたかのような、漆黒の魔剣が握られていた。
「ハ、ハハ、ハハハハハハハハハハハ!!!」
「やくも……くん?」
いつしか、八雲の身体の傷は塞がっていた。
確かな恐怖を抱いてホスセリが口を開く。
「邪……雲――」
ヤクモは。
「……おはよう、ホスセリ」
その口端を更に歪めさせて、ありふれた挨拶をした。
ソレは左手に持った黒剣を前に翳し、刀身に右手を添えると。
「――いい朝だ」
己が目覚めを祝福するかのように、不敵に笑う――。
――時計は、八時を指していた。
*
「ムッ!?」
「この魔力は……!」
ホオリが何かを察知したらしく狼狽し始める。阿須波もまた、突如校庭に出現した魔力に敏感に反応しているようだ。
「チッ……、不味いネ。ホスセリ、しくじったカ……」
吐き捨てるように呟いて高く跳躍し、屋上のフェンスを飛び越えようとする。
「待ちなさい! 逃げるのですか!!」
「悪いガ、キミの相手ヲしている暇はなくなっタ。本命が出て来たヨウなのでネ」
そう言って約20m下の地面に飛び降りるホオリ。すかさず阿須波もその後を追ってフェンスを跳び越す!
――しゅたっ。
膝の関節を最大限利用して、着地の勢いを殺す。口で言うのは簡単だが、それが地上六階からコンクリートの地面に向けてともなると、それは既に人間業ではない。
着地した際にどこも負傷していないことを確認すると、阿須波は即座に走り出した。
*
――08:01。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
荒い息遣い。
その声が誰のものかなど、一分前に誰が予想し得ただろう。
「莫迦な……」
飯綱との戦闘を中断させてまで駆けつけたナヅナが発した言葉は、この場にいる全員の心中を代弁していると言って良い。
声の主は――ホスセリだ。
あれ程圧倒的な力を持っていたホスセリは、ただ一人の人間の登場により瞬く間に形勢を逆転させられていた。
――訂正しよう。
アレは人間ではない。
アレは八雲ではない。
一つ。持っている剣が違う。
美しく純白に輝く剣を持つ八雲に対し、アレが持っている剣の色彩は漆黒。
一つ。口調が違う。
乱暴な言い方の中にも優しさを内包している八雲に対し、アレは語り口こそ優しいもののその向こう側には生きるもの全てに向けての憎悪が秘められている。
そして最大の相違点。
纏っている気配が違う。
大切なものを命を賭して護った八雲に対し、アレは――。
己が唯一絶対と信じて疑わず、土を踏みしめるように人の命を奪う悪魔――。
「どうした? ホスセリ。幾久しい再会だというのに随分と陳腐な歓迎ではないか」
「くそっ! おい! 起きろこのクソ狼!! 今すぐアイツを噛み殺すんだよ!!」
そう言って傍らに寝転がるフェンリルを罵る。
無論自分の意志で転がっているわけではない。寝転がされたのだ。
だが動かない。
フェンリルは……既に死に体だった。
右前足は失っている。片目はつぶされている。牙は砕かれている。爪は引き剥がされている。尾は刈り取られている。いよいよ呻きを上げる余力すら残っておらず、絶え絶えに白い息を吐き出すだけだった。
にもかかわらずホスセリはヒステリックに声を荒げる。
「立て! 俺様が命令してるんだ!! 起き上がりやがれくそったれ!!」
とうとう癇癪を起こした子供のように、動かないフェンリルの大きな身体を蹴り上げる始末だ。かくいうホスセリの身体も所々が傷付き、グラウンドの土に赤い染みをいくつも作っていた。
今では立っているのはホスセリを除くと、その惨状をもたらした悪魔のみ。区別も差別もない。老若男女問わず目に映るものは全て敵だと言うように全員をなぎ倒していた。
「そう怒ってはいけないよホスセリ。なに、フェンリルはよくやってくれた。獣の分際で吾のナイト・オブ・バビロン≠相手に一分間保ち堪えたのだからね」
この一分の間で、周囲はA-5型爆撃機による核攻撃でも受けたかのように、凄惨に満ち満ちた地獄のような光景へとその姿を一変させていた。
しかしそれを成し遂げたのは核兵器などではない。一振りの剣だ。
「攻撃力、SS――」
地に臥した春日が、オモイカネのステータスを見て呆然とした様子で声を出す。
纏っているのは魔力というよりも、ただ純然たる悪意。破壊のみを追及し、破壊にのみ特化した最凶最悪の兵器――。
それこそ、破壊の剣のアダプトナイト・オブ・バビロン≠セった。
「ち……っくしょうっ! 俺様が、この俺様が負けるはずねぇ!! 負けていいはずがねぇんだ!!!」
「諦めろホスセリ。忘れたわけではないだろう? オシホミミ達を含めた九人でも吾を滅ぼすことは叶わなかったことを」
一歩ずつホスセリに向けて足を進める黒い悪魔。その歩み一つで大地から生気が消えて死滅していくようだった。
そして、半ば放心状態のホスセリの前に立つと剣を振り上げ。
「――じゃあ殺すぞ? なに、抵抗しなければ苦痛もない」
虫を殺す程の罪悪感も覚えない声で、そんなことを言い放った。
振り下ろされる凶刃。
――ザン!
頭上で両手を交差させ、防御に回るホスセリ。だがそんな護り、ナイト・オブ・バビロンは容易に貫く。ホスセリの右手が身体から離れ宙を舞った。
「ぐあぁぁぁぁ!!」
更に――。
――ザク!!
「ひぎぃ!!」
隻腕になった彼に一欠片の慈悲も与えず残った左腕を断ち切った。両手を失い、声にならぬ声を上げるホスセリ。
「自ら恐怖を長引かせるような真似をするか。理解に苦しむ。忠告はしたのだがな――まぁ良い、今度こそ死ね」
再び刃を翳し、容赦なくその身体を貫こうとする。そこに――。
「邪雲ォ!!」
屋上から陣風の如く駆けつけたホオリが男の横腹目掛けて、ミョルニルの痛烈な一撃を繰り出す! だが……。
「ふん……」
男は剣を盾代わりにして難なく防ぐ。
「ホオリか。これまた懐かしい顔ぶれよな――」
ビキビキビキ!
「ナニィ!?」
罅が入る音。攻撃する側であったはずのミョルニルの両先端についている鎚の部分の片側は粉々に砕け散ってしまった。そして。
「――飛べ」
身体を反転させて、回し蹴りならぬ回し斬り≠放った!
「グ、ヌぅぅ……っ! ガぁッ!!」
残った方の鎚で食い止めたホオリだったが――男のどこにそんな怪力が秘められていたのか――剣撃の勢いをいなし切れずに数十メートル先の校舎の外壁に衝突した。
「ッ! みんな、この様は……!?」
ホオリに遅れて駆けつけてきた阿須波が、この世のものとは思えない光景を目の当たりにして驚愕する。
「か、かい……ちょう……、逃げ――」
倒れたままの春姫が、僅かに頭を上げ、「逃げて」と言おうとするが。
「――うぐっ」
八雲の姿をした悪魔はその頭を踏みつけた。
「黙っていろ娘。せっかく新しいエサが現れたのだからな」
かつて八雲だった頃の面影など、まるで残っていない。情など知らぬと、愛など知らぬと示すように、春姫の後頭部を無言で蹂躙する。
戦う力を失ったホスセリからは早くも興味が失せたようだ。次に、奴がターゲットにしたのは新たに現れた阿須波だった。
決して急ぐことはしない。一歩一歩――獲物に辿り着くまでの道のり、それすら愉楽の一つであるかのようにゆっくりと歩を進める。
「くっ……!」
深淵に臨んで薄氷を踏むが如し。
無言のプレッシャーに気圧されつつも、居合の構えを取り、いつでも迎え撃てる体勢になる阿須波。だが彼女はホオリとの戦いでかなり疲弊している、既にまともに動ける身体でないことは本人が一番分かっているはずだ。
……もっとも、『万全ならば通用する敵か?』と問われれば、答えは否だが。
だが、あと数歩で奴の刃が阿須波を捉えようとしたその時。
「――さがっていて下さい、阿須波さん」
天使のような凛としたよく通る美しい声で、誰かが阿須波の背後からそう声をかけた。
振り返る阿須波。そしてその目が驚愕のあまり円を描く。
「貴女は――」
天から無数の星々が降り注いだかのように光を放つ銀髪。
黒く、肘まである長い手袋をはめた少女。
阿須波の脇を通り抜け、威風堂々と最凶の敵に真っ直ぐと向かっていくその姿は女神でなければ魔王であろう。
突然の意外な人物の介入に、男も流石に戸惑ったようだ。
「誰だ貴様? ココロ――いや、違うな。だがまぁ吾の前に進んで出てくるってことは……」
黒い悪魔はナイト・オブ・バビロンを振り翳し――。
銀の聖女は祈りを捧げるクリスチャンのように胸の前で手を組む――。
「殺して構わんのだろうな?」
断頭台の紐を断ち切り、刃が降った。
次の瞬間、周囲に飛び散る血雨を誰もが夢想した。
されど――。
「――無垢なる祈り=v
――08:05。
次の瞬間に飛び散ったのは赤い体液ではなく、少女の手の中から放たれた無数の光だった。
「な、なに!? 初期化だと!? や、やめろぉぉぉ!!」
光に包まれていくと同時に、初めて歓喜以外の感情を表に出し、男が発狂したかのように頭を抱えて叫ぶ。その叫びは次第に小さくなっていき――。
「ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」
声が途切れると同時に、男は糸が切れたマリオネットのようにその場に倒れ込んだ。
「何が……どうなって?」
さっきまで荒れ狂っていた暴風は凪のように静まり、事情を把握できない春姫の声が響く。事情を把握できていないのはなにも春姫だけではない。この場にいる全員がそうだ。
――春日と、阿須波を除いて。
「――う……」
「ッ!? 八雲くん?」
突然、男が生き返ったかのように勢いよく身体を起こす。その瞳に宿っていた輝きは……。
「う……。あ、あれ? 俺は、一体……?」
紛れもなく五分前までの八雲の、神倉八雲本人のものだった。
「ご無事ですか? 神倉さん」
身体を起こして両膝をつく八雲。そんな彼を覗き込む小さな姿は――。
「清野……命?」
憂いを帯びた瞳、ツンとした高い鼻、小さな口、透き通るように白い肌。
それは歌姫≠ニ呼ばれる少女、清命学園一期生の清野命だった。
阿須波が八雲と命の下へと走り寄ってくる。そして――。
「学園長! どうしてこちらに!?」
そんな、トンデモナイことを口にした。
「がくえんちょおぉぉぉ!!!?」
八雲が素っ頓狂な大声を上げる。八雲だけではない、愕然の声が上ったのは発言者である阿須波と春日以外の全員からだ。
八雲の頭の中に疑問符が大量発生する。
学園長って誰のことだ? え? 清野? それにこの有様は一体? みんなはどうなった? ホスセリは? なにより俺は一体どうなって? どうして生きているんだ?
その時だった。
「ッ! 西園寺さん! 後ろ!!」
「オオォォォォォ!!」
校舎の壁に激突していたホオリが復活し、阿須波の背後から最後の一撃を放ったのは。
(しま――)
しまった、と思って振り返っても、時既に遅し。
ハンマーの部分が片側だけになったミョルニルは、すぐ眼前にまで迫り来ていた。
あれはもう避け切れない。そう覚悟して目を閉じた阿須波だったが――。
「会長ぉぉぉ!!」
ホオリの近くにいて、かつ比較的軽傷だった飯綱が神風の如く肉薄し、阿須波を護ることに成功した。
――バキッ。
顔につけた仮面にバジリスクを突き立てる。しかし掠った程度では仮面に阻まれてその向こうの本体にダメージを加えることは出来なかった。だが――。
「ッ!!」
過剰なまでに反応して後ろに退るホオリ。そして仮面を空いている左手で押さえる。
バキバキバキ……。
しかし仮面は音を立てて壊れていく。その向こう側にあった顔は――。
「――貌≠ェ……」
「……ない?」
能面のよう。否、能面ですらない。
その向こう側には目も。鼻も。口も。
貌と呼べるものが何一つなかった。
「……ミ、タ、ナ?」
――ぞくり。
一人の例外なく背筋に悪寒を走らせるような恐ろしい声。口がないのにどこから発声しているのか知らないが、ホオリは聞く者を凍り付かせる、地の底から響いてくるような声を出した。
ホオリにとって、あの仮面を取られることは――自分の無面を見られることは竜の逆鱗だったらしい。とてつもない殺気を放つ。とても瀕死の傷を負っているとは思えない迫力にその場にいた全員が息を呑んだ。
「コロス、コロス……。貴様ァァァ!! 殺シテヤルゥゥゥ!!!」
激昂して今にも飯綱に飛び掛ろうとするホオリ。しかし――。
「まあまあ落ち着いて下さいホオリ。どうやら今日はここまでのようですよ」
聞き覚えのある、背後からのそんな声が彼を制した。
八雲をはじめ、皆して声の方を見るとそこに立っていたのは――。
「南条!」
「照也!?」
八雲と阿須波が声を揃えた。
ホオリの背後に立っていたのは――。
今の今まで姿を見せなかった、聖徒会書記の南条照也だった。
「照也君! 今までどこに!?」
「時間切れのようですよ。ほら――」
『こんな急事の間中どこにいたんだ』、という非難の籠もった鈿女の発言を無視して、照也は上空を指差す。そこには……。
「な、なんだ!? あれは……」
八雲が驚くのも無理はない。いつの間にか、グラウンドの上空には巨大な何か≠ェ浮かんでいたのだ。
あれは──。
「船……?」
「神風を運ぶ船=c…!」
そう。菊理の言う通りそれは船≠セった。海ではなく、空中に浮かぶ風を運ぶ船。
「ウガヤ! どうイウつもりだネ!!」
その先端、ホスセリよりも長身でホオリよりも痩躯の男が腕を組んで立っていた。
「ウガヤフキアエズ!」
「…………」
春姫にウガヤフキアエズと呼ばれた男は黙ったまま顎を背後にくぃっと向ける。
『どういうつもりも何も、もう戦闘続行は不可能だろう? 三人とも』
「ニ、ニニギぃ……」
ホスセリが息も絶え絶えに呻き声を上げる。ウガヤフキアエズの背後に、もう一つ人影が現れた。
(あれが……!)
『作戦は失敗だ。ココロの遺産にしてやられたな』
(あれが、ニニギ――)
鍛え抜かれた全身。オールバックで固められている灰色の頭髪と整った美髯。羽織った装束は祭壇に捧げられた神御衣のような威厳を放っている。
しかし、何よりも印象的なのはその双眸。ホオリのように殺気を纏っているわけでもなければ、ホスセリのように餓えた獣のようオーラが漲っているというわけでもない。
あれは――そう、猛禽類のそれだ。先天性の眼力。石化の魔法でもかかっているかのような、視線だけで圧倒されるのに十二分に足る迫力を持っている。
「ニニギ……!」
命が静かに低く呟く。確かな憎悪の念を抱いて。
『それよりも……』
聞こえてはいるだろうが、ニニギは命の言葉に反応を示さない。そのまま照也の方を向いて。
『長らくの諜報活動、ご苦労だったな、ホデリ』
「はっ」
そう言って、照也もそれに応じた。
「ホデリ……? 南条、お前一体何を……」
八雲が至極尤もの疑問を口にする。対する照也も至極尤もそうな顔をして。
「やだなぁ先生。みなまで言わせないで下さいよ」
いつもと変わらぬ笑顔を湛えたまま。
「照也……、貴方まさか――」
「流石にご察しが良い、その通りですよ会長。僕の本名は火照。九つの世界≠フ幹部です」
阿須波の質問に、泰然自若な顔で答えてみせた。
「なっ……!?」
「そんな、照也先輩……!」
『クククク……そういうことだ。……さて、ココロの娘。この場はお互い痛み分けにしようかと提案するが、どうかね?』
ニニギが命に向けて喋る。
「……いいでしょう。その要求、呑みます」
「学園長!」
「阿須波さん、この場でまだ戦える者は誰がいますか?」
「……ッ」
悔しげに歯噛みして引き下がる阿須波。確かに肉体も精神も、損害のない者は皆無だった。冷静に考えて命の意見は大局を見据えた英断と称していい。
『交渉成立だな。……ウガヤ』
「…………」
ニニギがウガヤフキアエズに指図すると、ウガヤフキアエズは黙って手を前に翳す。するとエインヘルヤルが出現する時に現れるような光の柱がスキーズブラズニルから降ってきた。
ホスセリの上、
ホオリの上、
ナヅナの上、
そして照也――ホデリの上。
「邪雲ぉ……。待ってやがれ。絶対、絶対に俺様は戻ってくる。テメェを殺しにな……。絶対、絶対だ!!」
両手を失ったホスセリと。
「ハヤシイヅナとか言ったネ……。その名前、覚えテおくヨ。必ず、この怨みは晴らしてヤル……!」
仮面の代わりに掌で顔を覆ったホオリの二人が、次々に捨て台詞めいた怨言を吐いて光の中に消えた。ナヅナは……。
「……あばよ飯綱」
その一言だけを残し、背を返す。しかしそれを──。
「ナヅナ! 待て!」
飯綱が呼び止める。叫んだといってもいい。
その顔はいつもの気丈な彼女とは異なる……歳相応の女の子の顔に見えた。
「ナヅナ、帰ってこい! お前はこっち側の人間だろう! もう九つの世界≠ノ居る必要なんてないんだ!!」
「飯綱……、もうオレを追うな。もう……止まれねぇんだよ」
「そんなことない! ナヅナは……いつだって私に優しくしてくれた。いつだって私を護ってくれた!」
徐々に、弱かった心を露わにしていく飯綱。
ぱらぱら、ぱらぱらと。
彼女の心が身に付けていた鉄の鎧が剥がれ落ちてゆくようだった。
「もう戻れねぇよ。オレに居場所なんて……ない」
「そんなことないわ! 居場所なら私が作ってあげる! そんな優しさを……っ」
飯綱の目尻に涙が浮かぶ。それはあっという間に線となって頬を伝った。
「そんな優しさを、教えてくれたのは兄さんじゃない!!」
「!!」
(林とナヅナが……兄妹!?)
「…………」
ナヅナはそれ以上何も言わず――。
ホスセリ達同様、光の中に消えていった。
「うぅっ……。兄さん、兄さん……!」
その場に崩れ落ちる飯綱。阿須波がその肩を優しく抱き締めた。
「兄妹愛か……。美しいじゃないですか?」
その一部始終を黙って見届けていたホデリが皮肉げに口を開く。
「彼も哀れですよねぇ。いえ、愚かと言うべきか……。究極的に九つの世界≠ニ共に歩むことは出来ないというのに」
「……ッ」
「飯綱さん。そろそろ夢を見る年頃でもないでしょう。むしろ兄離れをするには絶好の機会ではないですか」
ぎりりと歯軋りをする飯綱。親の仇を見るような鋭い目付きでホデリを睨め上げる。
「所詮はにんげ――」
「黙りなさい!!!」
怒号一声。声の主は――。
――阿須波だった。
「会長……」
「飯綱を侮辱するのは赦しません。ホデリ、もしそれ以上口を開くようなら、この場で私が命に代えても貴方を討ちます!」
「…………」
その剣幕に負けたのか、それとも他の理由があったのかは分からない。ホデリは確かにそれ以上何も言わずに、光の柱に飲まれて消えた。
『さて、この場は先刻述べた通り、引かせて頂く。だが、これはあくまで撤退≠セ。敗北≠ナは決してないことを断わっておく。地界は間違いなく破滅に向かっていることを忘れるな』
ニニギはそう言って、上空に浮かぶスキーズブラズニルの最先端に躍り出る。そして両手を広げて大統領の演説のように宣言する。
『聞け! まもなくラグナロク≠ェ鳴りユグドラシル≠ェ再誕する! それが――この世界の終焉だと知るがいい!!』
その言葉を最後に船は更に高度を上げ、やがて雲海の中に霞んで見えなくなっていった……。
…………。
「終わった……のか?」
八雲が心ここにあらずといった感じで呟く。誰も、肯定も否定もしなかった。
そんな中鈿女が――。
「……今朝のタロット、全部当たっちゃった……」と独り言を言った。
敗者ばかりの日。
長かった激闘は。
ここに、ひとまずの終着をみたのだった。
――08:20。
────unlimited LOSERS・了
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