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*
「随分と手痛くやられたな?」
「ッ……」
スキーズブラズニル内。いつもの部屋でニニギは敗残兵達を出迎えた。
両腕を失ったホスセリ。仮面を割られたホオリ。ナヅナは……どちらかというと精神的なダメージが大きいかもしれない。
無傷なのは未だ清命学園の制服に身を包んだままの南条照也――もとい、ホデリだけだ。
「傷、見せて」
サクヤが立ち上がり、ホスセリの前に立つ。ホスセリは黙ってなくなった腕を見せた。
サクヤは腫れ物に触れるように優しくそこに手を翳すと。
――ポゥッ。
その周囲が蛍の光のような淡い輝きに包まれる。それに伴い、トカゲの尻尾のように音もなくホスセリの腕が再生を始めた。
そして一分足らずで、なんとホスセリの両手は元通りになっていった。
「ふぅ……」
ため息を一つ吐き、動作の確認をするように肘を曲げたり肩を回したりするホスセリ。そして何も問題がないことを確かめると。
「ちっくしょおぉぉぉぉぉ!!!」
振動で窓ガラスが割れるのではないかと案じさせる大声と共に、傍らに備え付けてあった木製のテーブルを粉々に打ち砕いた。
「邪雲の野郎……、この俺様をこんな目に合わせやがって……!!」
怒りにわなわなと身を震わせるホスセリ。目は血走り、顔面は湯気が立つのではないかと思わせる程に紅潮していた。
「荒れていますね、ホスセリ」
それを傍目に、涼しい顔でホデリが言う。
「ホデリ! テメェがもっと早く来てりゃあこんな無様な姿見せることなんてなかったんだよ!!」
子供のように青筋を立ててホデリの胸倉を掴んで八つ当たりする。
「何を言うかと思えば……。責任転嫁はやめてもらえますか? 確実に仕留められる状況下で仕留め損なった貴方のせいでしょう」
「ん……だとぉ!!?」
「そう荒れるな。ホデリに待機を命じていたのは私だ。責めるなら私にしろ」
「……ちっ」
ニニギにそう諭されては立つ瀬がないホスセリ。しぶしぶといった体で引き下がった。乱れた胸元を直すホデリ。
「フェンリルとミョルニルも直すから。眠れる戦乙女の間≠ノ持ってきておいて」
「……分ぁったよっ」
ホスセリはそう言うや否や部屋を飛び出していった。ホオリもそれに続く形で退室しようとしたが。
「……ハヤシイヅナはワタシが殺す。文句ハないだろうネ?」
扉に手をかけた状態でそう尋ねた。
「……たりめぇだ。ある訳ねぇだろ」
その問い掛けにナヅナが答えた。
「キキキ……。オヤオヤ、ワタシはニニギに尋ねタつもりだっタんだガ?」
「……ッ」
舌打ちするナヅナを見届けてホオリは今度こそ部屋を出て行った。
「ニニギ、僕も下がります。そろそろ人間の服にもうんざりしてきましたからね」
「うむ。ご苦労だったな」
最後に慇懃に一礼した後、部屋を出て行くホデリ。残されたのはニニギとサクヤとナヅナの三人だけだった。
「……自分も失礼します」
それだけ言ってナヅナも部屋を後にしようとする。その背中に――。
「大丈夫だろうな? ナヅナ」
ニニギのそんな呼び声がかかった。
「…………」
ぴたりと動作を止めるナヅナ。だがそれも一瞬のこと。彼は。
「……無論です。……失礼を」
バタンと扉が閉まり、室内は再び静寂を取り戻す。
サクヤはホスセリが壊していった机の残骸の上に手を翳す。すると先程ホスセリの腕を治したように、机が本来の姿を取り戻していく。
そんな作業をしながら、サクヤは。
「彼、多分もうダメよ。壊れかけてる」
心配しているのか、同情しているのか、それとも憐憫しているのか。それは定かではないが、そう言った。しかしニニギは。
「構わん。所詮我々とは一線を画す存在だ。アダプターとはいえエインヘルヤルと大差はない、むしろこれまでよく頑張ってくれたと言いたいくらいだ」
情け容赦なくそう言い放った。
『もう奴は用済みだ』、と。
テーブルが元に戻る頃、
「……哀れね」
サクヤの呟きだけが、室内に響いた。
*
――08:30。
ほぼ全損に近かった校舎やグラウンドの破壊の痕跡を、残り少ない魔力で修復した後(NCS内で起こった破壊は魔力で補完することが出来るのだ)、俺達は学園内の一つの教室に集合していた。
今まで前を通ったことはあっても、中に入ることは許されなかった一室。
それがここ――学園長室だ。
聖徒会室を一回り程大きくしたような感じ。床には赤絨毯が敷かれ、両脇には黒革のソファが置かれている。このソファもかなり金使っていそうだし、一番奥にあるデスクも一目で高級品だと分かるブランド物だ。
清野はそのデスクまで歩いていき。
「……さて」
……ごく当然のようにそこに腰を下ろした。
「改めて自己紹介させて頂きます。私が清命学園学園長、清野命です」
……うそだろ。
そう言いたかった。
開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。
清野は確かに自らを学園長≠ニ名乗ったのだ。
「皆さん、信じられない気持ちは多々あるでしょうが、彼女は紛れもなく当学園の学園長であらせられます。副学園長の私が保証します」
「春日さん、そんな大層な紹介は結構ですよ」
苦笑いしつつ傍らに立つ春日さんに抗議する清野だが、こっちはちっとも笑えない。
ほんの十二歳の少女が、学園を束ねる長?
「……マジで?」
「マジです」
春日さんから即答が返ってくる。どうやら正真正銘マジらしい。
「きよ……、いや、が、学園長? 本日はお日柄も良く……」
「そう硬くならないで下さい神倉さん。今まで通り私のことは『清野』で結構です。……というより、私からのお願いです。皆さんも。どうか今まで通り私と接して下さい。突然ご無理な話かとは思いますが、一つ」
ほんのり赤面しつつ――照れているのだろうか――しかし必死な表情で、額をデスクに押し当てるようにして懇願する清野。
「学園長、何もそのような……」
春日さんの逆側に立つ西園寺が、見るに見かねてといった様子で止めに入る。それでも彼女は顔を上げない。
「学園長……いや、清野。分かった。俺は今までと同じように接しさせてもらう。みんなもそれでいいか?」
俺は確認のために周囲を見回す。
「清野さんがそう仰るんでしたら、私は……」と、まずそう口を開いたのは春姫だ。
「分かりました。……阿須波? 貴女は知っていたのね?」次いでそう西園寺に非難の籠もった視線を浴びせる北原。西園寺は目を伏せて「ごめんなさい」と言うだけだ。だが。
「……ふぅ、まぁ、貴女のことだから何か考えがあってのことなんでしょう? いいわよ別に」と最終的には温かく迎えてくれた。
「ありがとう、鈿女」
「会長の意志ならば、従います」無愛想にそう言ったのは林。
「ミコちゃんが学園長だったなんてオドロキだけど……いいよボクは。授業をいつもサボってたのはこのせいだったの?」
ミコちゃんとは清野のことだろう(ミコトだからミコちゃんか)、東の問いに清野は「えぇ、まぁ……」とお茶を濁した。
「サボり癖がある生徒だって、聖徒会でも目ぇつけてたんすよ」
「びっくりしましたぁ……」
今度は火野と山里が立て続けに口にする。
事情を知っていたと見える春日さんと西園寺を含めて、これで全員が清野の正体を認めたということになる。
「ありがとうございます、皆さん」
ようやく顔を上げる清野。自己が受け入れられたことを純粋に喜ぶ、無邪気な笑顔だった。
こういう仕草は年齢相応だ。
「……では、本題に入りましょうか」
しかし、次の瞬間には顔を険しくする清野。切り替えの早い子だ。
聖徒会の有する三大特権のうちの第一特権。
『必要に応じて顧問の許可をもらうことにより、授業を自由に休講とすることが出来る』
つまり。
「……俺の身に何が起こったか、だな」
無言で頷く清野。
――そういうことだ。
『……おはよう、ホスセリ』
断片的に残っている記憶。
『――じゃあ殺すぞ? なに、抵抗しなければ苦痛もない』
ホスセリをあれ程までに苦しめたモノ。
『黙っていろ娘。せっかく新しいエサが現れたのだからな』
春姫の頭すら蹂躙して、あの場にいた全ての命を滅ぼそうとしたモノ。
ソレの正体を、こうして訊きに集まったのだ。
「……清野。訊かせてくれ。俺の、いや、ヤクモという存在のこと」
「……長い話になります」
そう前置きをして、清野の口から真実が語られ始めた。
「古の時代の話です。まだ世界が生まれてもいなかった頃のこと。九人の神々が世界を創世しました」
「?」
話の筋が掴めない。
どこにでもある世界創世の神話だろうか。それとヤクモと、何の関係があるのか分からなかった。
怪訝な顔をする俺に気付いたのか、清野が。
「順を追って説明します。どうかしばらく私の話に耳を傾けて下さい」
と釘を刺した。
「その九人の神が創世した世界というのが次の九つ。
神々が住む世界、神界。
悪魔達が住む世界、魔界。
天使達が住む世界、天界。
人間達が住む世界、地界。
死んだ魂が逝きつく世界、獄界。
世界と世界の狭間の世界、圏界。
炎の世界、炎界。
氷の世界、氷界。
そして何もない世界、無界です」
ここまではよろしいですか? という視線を投げかける清野。俺は続きを促すべく首肯した。
「そしてその世界創世に携わった神々。それがニニギら九つの世界≠ナす」
「九つの世界=c…。ニニギ達は神だった言うのか!?」
「その通りです。世界を創り出した九人の神。それがオシホミミ、チヂヒメ、ニニギ、サクヤ、ホデリ、ホスセリ、ホオリ、ウガヤフキアエズ、そして、私の母、ココロ――」
「ココロ……!?」
聞き覚えがあった。ホスセリが言っていた。『エインヘルヤルはココロがいればいくらでも湧いて出る』、と。更には俺が聞いていた学園長の名前も清野心だったはずだ。
それに、清野の母親って……。
「はい。私の母、清野心は本名をココロと言い、地界を創世した一人の神です」
「じゃあ、清野さんも神様……なんですか?」
春姫が尋ねると、清野は首を横に振った。
「いえ、私はハーフです。人間と、九つの世界≠寝返って人間側についた裏切り者の間に産まれたどっちつかずの半端者……それが私です」
やや自嘲気味に言う清野。
神と人間のハーフ……しかも。
「九つの世界≠、裏切った?」
「えぇ。その経緯を話すには、まず彼らが犯した過ちについてから説明しなければなりません」
ここからが重要なのですが……と一つ息を吐いて清野は続ける。
「オシホミミを筆頭とする九つの世界≠ヘ、その名の示す通り九つの世界を創世しました。
オシホミミが神界を。
チヂヒメが魔界を。
ニニギが無界を。
サクヤが天界を。
ホデリが炎界を。
ホスセリが氷界を。
ホオリが獄界を。
ウガヤフキアエズが圏界を。
そして、母ココロが地界を。
ここまでは彼らの計画通り。彼らは互いにその世界を護っていくことを誓いました。……ですがその副産物として、二つの誤算が生じたのです」
「二つの……誤算?」
俺は訊き返す。
「そうです。産まれるはずのないものが産まれてしまった。それがアダプト≠ニ――『邪神』・邪雲」
「アダプトと……」
「邪神……邪雲?」
「アダプトの誕生は、想定外のことではあれ、オシホミミらにとっても有益なことだったと聞きます。計らずとも、力が手に入ったのですから。ですが……」
清野は再びふぅっと息を一つ吐いた。
「邪雲の存在は、まさに悪夢のような出来事でした。彼の者は自らを唯一絶対と信じて疑わず、生きとし生ける者全てを憎む悪魔でした。そして邪雲は、ついに九つの世界≠ノ牙を剥いたのです」
「私も心様から聞いています。その戦いは全世界の存亡を賭けた大戦だった、と」
と語る西園寺。
「九対一という劣勢において尚、邪雲の力は圧倒的でした。破壊の剣のアダプトナイト・オブ・バビロン=B全アダプト中紛れもなく最強の攻撃力を誇る最凶の武器――」
「結果その戦いの中で、総統オシホミミ、そしてチヂヒメが消滅することになります。そして残る七人の神も長い眠りにつかざるを得なくなりました」
と、春日さんが続けて言った。
「しかし彼らも徒にやられはしませんでした。死闘の末、九つの世界≠ヘ邪雲を時空の彼方へと封印することに成功したのです」
時空の彼方へ封印した……。でも。
「なら、それがどうして蘇ったんですか?」
「転生したのです。神倉さんの中に」
「ッ!?」
俺の中に……転生した?
「悠久の時を経て、邪雲は失った力を取り戻していきました。そして万全の力を回復させたその時には再び蘇る、と。母はそう言っていました」
「邪雲には超回復≠ニいう特殊能力も備わっていたそうです。その名の通り、受けた傷を即座に癒す能力です。並大抵の攻撃では彼にダメージを与えることすら出来ません」と、春日さん。
受けた傷を癒す、超回復=\―。
「それって……」
「はい、ナイト・オブ・アヴァロン≠ニ類似点が見受けられます。恐らく八雲さんがアダプトに目覚めたのは、その影響かと」
「そんな……。どうして、俺の中に、邪神が……?」
呆然とするしかない。
この身に邪神を宿していたなんて……。
「神倉さんが罹患しているという原因不明の夢遊病。……不思議に思ったことはありませんか?」
え……?
「清野……それはまさか……」
「……おそらく、それは抑えきれなくなった邪雲の意志が表に顕現しようとする副作用――」
「――――」
――おいでよ さぁ たのしいパーティーを始めよう――
あの声……。
あの戦闘を目撃させて俺をアダプターとして覚醒させるのも、邪雲の計算内だった?
「申し訳ありません神倉さん。春日さんにお願いして、この学園に貴方を呼び出した張本人は私です。……邪雲を覚醒させる結果になると知りつつ」
「清野……」
「本当に、なんとお詫びしたら良いか――いえ、お詫びの言葉で赦されるものではありませんよね……。恨まれても仕方のないことだとは承知しています。全ては私怨……私がニニギに対して抱く憎悪から出たものなのですから」
清野の顔は今にも泣き出しそうだ。
「長い眠りから覚めた後……ニニギらは絶望します。神を崇めず、地界を我が物顔で跋扈する人間に。『世界を正しい姿へ』の信念の下、人間達を滅ぼそうとしたのです。ですが母は地界を、人間を心から愛していました。方向性の違いから、母は九つの世界≠ゥら離散することになります。それが十五年前――私が産まれる三年前です」
「私が心さんに出会った時期です。夫を亡くして独り春姫を育てていくことに希望を見出せなかった私に道を示してくれました」
春日さんと。
「私が心様に救われたのもその頃です。心様は実家の厳しい鍛錬に挫折し、折れかかっていた私の心を癒してくれました」
西園寺が続け様に言った。
「お二人は、直に心さんに会ったことがあるんですね」そう言ったのは北原である。
二人の心さんに関するエピソードを聞き届け、再び口を開く清野。
「しかし、平穏は長く続きません。……先程も言ったように、いずれ邪雲の目覚めと、人間を滅ぼそうとする九つの世界≠ニの闘争が始まることを予見していたのです。そうして六年前に設立されたのが――」
「……清命学園。そして聖徒会、か」
俺の言葉にこくりと頷く。
「私の名前――清野命に因んで創立された学園。そして適性を持つ選ばれし者のみにアダプトを授け興された聖徒会。そうして隠遁生活を送りつつ戦いに備えていました。しかし……」
当時のことを知る清野、春日さん、西園寺の三人が沈痛な表情になる。
「ころ……された、のか?」
不躾な質問だったと思う。だが気を悪くした様子もなく僅かに頷く清野。
「……その三年後、今からも三年前のことですね。ニニギに見つかり……父と共にその魔手に掛かりました」
その際に……、と言って、清野はずっと左手につけていた長い手袋をすっと腕から引き抜いた。
肘まで隠されていたその腕は――。
「……義手?」
そう、それは義手だった。
人工の機械仕掛けの腕。おそらく春日さんと西園寺しか見たことはないであろうそれを、彼女は俺達の前に晒した。
「この通り、私も左腕を失いました。まぁ、命があっただけ御の字というものですが」
そう言うと、いそいそと手袋をつけ直す。確かに、長く見られていて気分の良いものではないだろう。
「ですが、心様は身罷られても尚、安眠を許されなかったのです」
「……遺体を連れ去られたんです。ニニギに」
「選定の女神ヴァルキリー=Bそれが母のアダプトの称号と真名です。英霊の魂を運び、エインヘルヤルとする能力です。その能力だけを特殊な装置を用いて利用され続けているんです……今この時も」
――それで、か。
ホスセリが言っていたことに合点がいった。北欧神話で死者の魂を運ぶ戦乙女ヴァルキリー。それによってエインヘルヤルを生み出していたのか。
最愛の母が、死して尚安息を許されず、力だけを利用されている。清野がニニギに対して異常なまでの憎悪を抱くのも無理はないことだった。
「……以上が、邪雲と九つの世界≠ノついて私が知り得る全て。九つの世界≠ノ打ち勝つためには神倉さんの中に眠る邪雲の力が必要だったのです。……今更弁解するつもりはありませんが――」
――本当は、貴方を巻き込むつもりはなかった――
と、清野は己の咎を全て吐き出したのだ。
俺の夢遊病の正体。
俺の内に眠る邪神の存在。
敵対する、あまりにも強大な神。
そして、幼くして両親を殺され、復讐のためにその手を汚した少女――。
俺は……どうすればいい?
――そんなの、決まっていた。
俺は――。
「ニニギ達は……俺達の住む世界を、地界を滅ぼそうとしているんだろう?」
「…………」
清野は黙って頷く。
「それなら、俺達にとっても満更無関係でもないさ」
「神倉さん……」
確かに、理不尽だ。
邪神に犯されている俺の身体も、自分達が創った世界を滅ぼそうとする神々の存在も。
でも……。
「理不尽なんて、案外身近に転がってるもんだ。ある日突然強盗に殺される。ある日突然交通事故に遭う。ある日突然不治の病を宣告される」
この歳で人生を達観しているつもりじゃないが……。
「俺の場合、それがちょっと特別だったってだけさ。清野は悪くない」
「神倉さん……」
清野は目を見開いて、見るからに驚きの意を示している。
「それに、一度邪雲に飲まれた俺を、清野は救ってくれたじゃないか。あれもアダプトの力なんだろう?」
「はい……。私のアダプト無垢なる祈り=\―事象を『原初の状態に戻す』力を備えています。……あまりにも強大な存在、例えば邪雲のような存在には効力は薄いですが」
中途半端な私にぴったりな能力ですよね、と苦笑いをする清野。
俺は……ちょっと頭に来た。
「……自分を中途半端だなんて言うな」
「え?」
「自分をそんなに卑下するなって言ってるんだよ。じゃあ逆に訊くけど、完璧な人間なんているのか?」
「神倉さん……」
「お前はお前でいいんだ。俺が、誰にも中途半端なんて言わせない。そして、俺は俺だ。……邪雲じゃない」
ますます驚愕に目をまん丸にする清野の肩に、ぽんと添えられる手があった。
春日さんだった。
「学園長。分かったでしょう? こういう人なんですよ」
西園寺が清野の側を離れて、俺の前まで来る。そして。
「神倉先生……ありがとうございます。学園長を赦してくれて」
そう言って、深々と頭を垂れた。
「赦すも何も……。俺は俺の意志で戦うことを決めたんだ。礼を言われる筋合いなんてない」
面と向かって言われるのが照れ臭かったので、顔を背けて答える。
「みんなも……ついてきてくれる? ……鈿女、菊理、春姫、飯綱、彦根、児屋」
今度は俺以外に向けて西園寺が一人一人の顔を見ながら尋ねる。その瞳は不安で揺れていた。
みんなは……。
「……愚問よ、阿須波」
北原がまずそう切り出した。
「あたし達は、みんな貴女を追ってここまで来たのよ。敵が何者とか、学園長が誰かとか、そんなのは関係ないの」
そう言って親友の肩を抱き締める北原。
「私は会長の意志に殉ずるだけです」
「ボクはバカだから難しいこと分かんないけど……会長ほっとけないから」
「お母さん達だけ残して、行けませんよ」
「乗りかかった船っすしねぇ」
「頑張りますよぉ」
私もおれもと、他の面子も口々に声を揃える。
「ありがとう、みんな。本当に……」
とびっきりの笑顔を浮かべて言う西園寺と。
「ありがとうございます……。皆さん、ありがとう……」
感極まったのか半泣き声で言う清野。だが決して涙は流さない。それが彼女の決意の強さだった。
「学園長? そろそろ……」
「そうですね。皆さん、今日はゆっくり休んで下さい。心身共に消耗しているでしょう」
「聖徒会第一特権を以って、今日の皆さんの欠席は不問に付します。どうか今日は帰宅して身体を休めて下さい。……八雲さんも」
みな各々に御意の意を示す。そんな中、林だけが黙ったままでいた。
「……飯綱?」
西園寺に呼び掛けられて、はっとなる林。
そうだ、林はナヅナのことが……。
「す、すみません会長。なんでしょう?」
「……ちょっと、聖徒会室で話をしましょうか」
「え……」
「悪いようにはしないから。ね?」
半ば西園寺に引きずられるような形で学園長室を後にする林。
………………。
…………。
……。
*
所変わって、聖徒会室。
「――そう、ナヅナが……」
背中越しに飯綱に尋ねる阿須波。
「……はい。林那綱。私の実兄です。……今まで黙っていて申し訳ありませんでした」
「どうして、九つの世界≠ノ?」
「……私達兄妹は、幼くして両親を亡くしたのはご存知かと思います。ですが入れられた施設では虐待が相次ぎ、安住の地を手に入れることは出来ませんでした」
結果、各地を転々とし、人々の汚い部分ばかり目の当たりにさせられた――と林飯綱は語った。
「人間に絶望しかかっていた頃……私の前には会長が現れて下さいました。ですが、兄の前に現れてくれたのは、ニニギだけだったんです――」
「……そう」
「ッ……」
飯綱は歯噛みして、その場に土下座をした。
「本当は優しい人なんです! 今はちょっと目が曇って『正しいこと』が見えなくなっているだけで……! だからどうかお願いします、那綱を……兄を助けてあげて下さい……!!」
「…………」
阿須波はしばらく黙っていた。その間中、飯綱は額を地面にこすりつけ続けた。
やがて。
「飯綱」
阿須波が、短くその名前を呼んだ。そして――。
――跪く飯綱の身体を、しっかりと抱き締めた。
「……大丈夫。貴女のお兄さんはきっと分かってくれるわ。きっと助けてあげられる」
「かい……ちょう……」
頭を上げた飯綱の目には大粒の涙が浮かんでいた。
「でもね、飯綱。あの人を助けてあげられるのは貴女だけよ。私達はその手助けしか出来ない。……分かるわよね?」
「ッ……は、い……」
涙で切れ切れだったが、飯綱はしっかりと頷いた。
「いい子ね。だから……今は泣きなさい。今は……泣いていいのだから」
「……ッ! うわあぁぁっ!!」
そこまでが限界だった。
飯綱は阿須波の胸の中に飛び込み、子供のように泣き出した。
「うぅっ……、兄さん、兄さん……兄さぁん!!」
泣きじゃくる飯綱を、阿須波はしっかりと抱き止め。
母親のように、その髪の毛を手で梳いてやり続けた。
*
「大丈夫……みたいだな」
「ですね」
俺達は聖徒会室の扉の前で、息を潜めて中の様子を窺っていた(林はともかく、西園寺には気付かれているかもしれないが)。
もしかしたら、ナヅナのことで林が何かお咎めを受けるのではないかと懸念したからだ。でもそれは――。
「ほら、あたしの言った通りでしょう? 会長はそんな狭量な人間じゃないって」
「ま、おれは初めから心配してなかったすけどね」
「でも、彦根くんもこうしてここに来てるんだから同罪ですよぉ」
「あ〜、ほっとしたら力抜けちゃったよ〜。ボクもう帰ろっと」
そう言って真っ先にその場を後にしようとする東。
「でも……」
しかし途中でポツリと。
「そういえば、恋人同士だったんだよね」
そんなことを呟いた。
「え?」
「――会長と、テル君」
「!!」
西園寺と……南条が恋人同士、だった?
「…………」
俺以外の面々に、驚きの色は見えない。ただ辛そうに顔を伏せているだけだ。
知ってたのか、みんなは……。
東は、もうそれ以上何も言わずに立ち去っていった。
誰より傷付いたのは……西園寺なんだ。
誰より裏切られたのは……。
聖徒会室の中からは、未だ林のすすり泣く声が聞こえる。
西園寺は、どんな気持ちでその頭を撫でているのだろうか。
彼女はどんな気持ちで――。
『私が貴方を討ちます!』
あの言葉を、紡いだのだろうか。
授業中ということで、廊下に人影はない。
時計は、九時を指していた。
*
――出せ
「う……っ」
……夢にいい夢と悪い夢があるのだとしたら、これは間違いなく悪い夢だ。
しかも、とびっきりの――。
――出せ
「うぅっ……、ぐ……」
目の前に広がる暗闇。
光があれば闇は生まれる。
……しかし、闇からは何も生まれない。
眼前の光景は、そんなことを思わせる程の漆黒だ。
――吾を出せ
「ぐぅぅ……、が、あ――」
声が聞こえる。
遠くから? 近くから?
……分からない。
――吾を表に出せ
「づぅっ! は、あ、がぁっ!!」
……もう、止めろ。
――吾を――
……頼むから。
――表に――
……止めてくれ――!
――吾を表に――
出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ!!!!!!
「があぁぁぁっ!!」
飛び起きる。
「八雲くん! 八雲くん!! しっかりして下さい!!」
「はぁっ……、はぁっ……、はぁっ……!」
気が付くと、喉はからから、全身はスコールにでも降られたかのように汗まみれだった。
季節のせいだけじゃない。むしろ室内はエアコンが効きすぎていて肌寒いくらいだ。
「八雲くん、八雲くんっ、大丈夫ですか?」
「はっ、はっ、はっ……。は、はるき……?」
「はいっ、春姫ですっ」
ここは……?
「俺の、部屋……?」
「そうですよ。私達の家の、八雲くんの部屋です」
……ようやく状況が掴めてきた。
目の前にいる女の子は春姫で、ここは俺の部屋。時計は七時を指していた。
「八雲くん、起きてこないから、心配して、それで起こしに来たら、すごくうなされていて、それで……」
ひどく狼狽えている様子の春姫。それで、俺は逆に冷静になってきた。
あの後解散になり、俺達はすぐさま帰路に着いた。クーラーをつけてベッドに横になると、まだ午前中だったが、あまりの疲労から俺は瞬く間に眠りに落ちていった。ちょっと一眠りのつもりだったのだが、外が明るいことから察するに今はもう翌日で、その間――二十時間近く俺は爆睡し切っていたということだ。
そして、俺は悪夢にうなされていたようだ。
悪夢――
――吾を表に出せ――
「ッ!?」
違う、夢なんかじゃない。
あれが俺の夢遊病の正体。
あれが――邪雲だ。
……一度表に出たからって調子に乗ってやがるのか。
明らかに尋常じゃなかった。
「八雲くん、大丈夫ですか? ……ひどい汗」
そう言ってポケットからハンカチを取り出して額に滲んだ汗を拭き取ってくれる春姫。
「……あぁ、大丈夫だよ」
「でもあのうなされよう……、普通じゃないですよっ」
「大丈夫だって。……ごめん、心配かけた」
春姫はまだ心配げな顔で覗き込んでいたが、「……八雲くんが、そう言うんでしたら」と言って渋々ながら引き下がってくれた。
「悪い、着替えるから……」
「あ、はい、ごめんなさい。もう朝食の支度出来てますから……」
そう言い残して、部屋を後にした。
「…………」
着替えると言っておきながら、まだ少し呆然としていた。
ゴミ箱を見ると、昨日着ていたワイシャツがぼろ布と化して乱雑に詰め込まれていた。これでこっちに出てきて三枚ダメにしたことになる。
そして、朝はこれ、か――。
まったく……鬱になる――。
俺は汗で濡れたTシャツを脱いで、スーツに袖を通した。
最悪の朝だった。
六月三十日(火)
*
「センセー、聖徒会の副顧問になったからっていきなり特権使って〜」
「しょっけんらんよー。ぶーぶー」
「うるせぇっ。オトナには色々あるんだよ」
既にクラスの生徒達とは軽口を叩き合えるくらいにはなっている。
……相変わらず取り巻きは女子ばっかってのはあれすか。喜んでいいんすか。
最悪の気分のまま迎えた朝。一昨日は日曜だったので、都合二日ぶりの通勤だ。
平穏は、どこまで行っても平穏。それが当たり前。
当たり前でなくてはならない。当たり前にしなくてはならない。
それは、力を持つ俺達の役目だ。
護らないといけないんだ。平和を。子供達を。
広い校舎に、始業を告げるチャイムが鳴り響く。
「よーし、じゃあ今日もホームルーム始めるぞー」
そして、一日が始まる。
*
何事も起こらずに放課後になった六月最後の日。
……言い換えれば。
何事も起こらなかったのは、放課後になるまでだった。
教員のお勤めを終え聖徒会室に足を運ぶと、清野も含めた全員が既に集合していた。
議題は専ら、今後予測される九つの世界≠ゥらの襲撃に対する緊急の対応その他だ。
ホデリという戦力を加え、更に強大になった敵勢力。そして、邪雲≠ニいうブラックボックス――。
事態は刻一刻と、しかし確実に劣勢へと向けて傾いていっている。
これだけの危機的状況だ。いくら話し合ったところで、一気に形勢逆転を狙えるようなストラテジーがそう都合良く思い浮かぶはずもなく。
「あーもう、どうしたらいいんだよ〜ぅ」
と、お気楽担当の東が匙を投げかかった時――。
『ΑΛΕΡΤ!』
ある意味今のこの空気にお似合いな機械音声が、室内に響いた。
「敵!? そんな、昨日の今日で!?」
清野の発言は、誰もが思っていたことだ。こっちはまだまともに回復もしてないってのに!
疲れ知らずのモンスターじゃあるまいし、連日連夜断りもなく押しかけてくるんじゃねぇ――!
「こんなに続け様に襲撃があることって、あるのか?」
俺は清野に尋ねた。
「あっちには回復のエキスパート、サクヤがいますから、傷はもう癒えているかもしれません。ですが二日続けてはいくらなんでも異常です。……春日さん、数は?」
「ちょっと待って下さい。オモイカネ。……これは!?」
「どうしたんですか? まさか……」
そんなに、絶望的な数字が? 一同に緊張が走る。
「いえ、逆です。その、数は……一、なの」
*
同時刻――。
「なに? ナヅナが?」
「はい。船内のどこにも姿が見えません。おそらくは、先走ったものかと……」
スキーズブラズニル内。ホデリがニニギに報告をしていた。
ナヅナが、船内のどこにもいないのだ。
「申し訳ありませんニニギ。目を離した僕の責任です。すぐに連れ戻して――」
「捨て置け」
連れ戻してきます、と言おうとしたホデリを、ニニギが短く遮った。
「お前が戻った以上、最早アレは無用の長物だ。名誉ある死を選ぶのなら良し。あるいは……。ククク、いずれにせよ、ご苦労だったな、ナヅナ。そして――さようならだ」
そう、この場にいない彼に向けて、ニニギは別れの言葉を囁いた。
*
俺達は中庭へ移動した。まだ放課後ということで残っている学生や教職員も多い。危害を及ぼさないための処置として、NCSも発動済みだ。
西園寺がいつでもアダプトを具現化させられる体勢をとる。それに続くように俺達も戦闘準備を行う。
「来ます!」
春日さんの声に応じるかのように、空から一つの人影が舞い降りてきた。
その人影は――。
「……よぅ」
「ナヅナ……?」
「兄さん!」
それは少なからず意外な人物だった。ナヅナも昨日の戦闘で疲弊しているだろうに。
「後続の気配は……ありません」
春日さんが確認する。
「ツレはいねぇよ。今回はオレの独断だ」
「まさか、兄さん!?」
「勘違いすんじゃねぇ飯綱。オレはお前と決着をつけに来たんだ」
「決着……?」
「あぁ。……もう、全部終わりにしようぜ。飯綱」
そう言うナヅナは苦しそうだ。別に息が乱れているとかそういうのではなく、雰囲気が。
「本当にこれで……終わりなの?」
「あぁ、終わりだ。……終わらせる。お互い曲がりなりにも長い付き合いだ、言おうとしてることは分かるだろ?」
林は……。
「……分かった。終わりにしましょう」
「飯綱!?」
「会長達は見ていて下さい、何があろうとも」
「そんな……独りで?」
北原が林の身を案じる。しかし、彼女の決意は固い。
「昨日の戦闘でも私は比較的軽傷です。まともに戦えるのは他にいないでしょう?」
「でも……」
まだ不安の色が拭えないみんなを――。
「いや、林に任せよう」
俺が止めた。
「これは林の戦いだ。そうだろう?」
「八雲くん……」
「先生……」
「感謝する、神倉。……絶対に最後まで諦めない。私が、兄さんを説得してみせます!」
そう自らを鼓舞するようにして、勇んで一歩前に――ナヅナの方へ――出る。
「……兄さん」
「ッ……。オレを、もうその名で呼ぶなっ」
「兄さん。私が兄さんの目を覚まさせてあげるわ。貴方が教えてくれたこと、今度は私が貴方に教えてあげる」
「……能書きはいい。始めようぜっ――!」
そうして――。
「目覚めろ!」「吸い尽くせ!」
「石化の魔棘=I」「吸命の毒牙=I」
哀しき兄妹同士の最後の戦いが幕を上げた。
*
ギン、ギィン!
――過去何度、この二槍は交錯を重ねてきたのだろう。
銀と、赫。
対極に位置する、しかし同時に隣合う二色の槍が、沈みゆく太陽の光を浴びて煌めく。
火花を散らして槍と槍とが激しくぶつかり合う。
「兄さん戻ってきて! ニニギ達は世界を滅ぼそうとしているのよ!? どうしてそんな奴らに加担するの!」
剣戟の合間を縫って説得を試みようとする飯綱だが――。
「お前には……分かるか!」
ギィン!!
弾かれる飯綱の銀槍。二人の距離は自然と開く。
「……ぬくぬくと人に拾われ救われたお前には分かるわけないっ。誰もオレに手を差し伸べてはくれなかった! そんな中ただ一人オレを救って下さったのがニニギ様だ! だからその信念に共感した!」
ナヅナは……既に半狂乱だった。自分で言っている内容を自分で理解できているかどうかあやしい。
「お前の言うことは確かに正しいのかもしれねぇ……。それでも! オレは今更引き返せやしない!!」
「……確かに、私に兄さんの気持ちは分からない」
飯綱はぽつりと呟いた。
「でも今は……今では、分かることもあるの」
「……なんだよ」
腹に響く低い声で質すナヅナ。
飯綱は阿須波や八雲の方を見て。
「人の絆。人の情。人の温もり……全て、昔兄さんが教えてくれたことよ」
「そんなもの……忘れた。オレは人間を見限ったんだ。居場所なんてもうどこにもない」
「言ったでしょ。居場所なら私が作ってあげるって。兄さんの居場所なら、いつだって私の隣にあるのよ」
それでもナヅナは首を縦に振らない。
「分からない……分からない! オレは、オレはもう人の温もりなど忘れた!!」
ナヅナの精神は、既に崩壊しかかっていた。人間と神との間でずっと揺れ続けてきたのだ。もう、限界だった。
「そう……。なら、思い出させてあげる。人の絆の強さを」
しかし飯綱はその顔に笑みを湛えてそう言うと、手にしていた槍を逆手に構えた。
「何を……する、つもりだ?」
「そんなの、すぐに分かるわよ」
そして地面の方に向いた槍の鋒を、自分の足の甲へと向ける。
(まさか……!)
そして――。
「――石化の魔棘=v
(ありえない――!)
そのまま、飯綱は自分の足に槍を突き刺した。
すると、刺した部分を中心にして、飯綱の身体が足元から徐々に石へと変わっていく――!
石化の魔棘バジリスク=B
その称号の表す通り、バジリスクには斬りつけた相手を石化させる呪いが付加されているのだ。
それを今、自分に使用した。つまり、飯綱は今ゆっくりと物言わぬ石像となりつつあるのであった。解呪の方法はたった二つ。使用者の意志で呪いを解除するか、あるいは――。
「私は絶対呪いを解呪しない。最後の最後まで、兄さんを信じて微笑んでいるわ」
「飯綱、お前……」
「賭け金は私の命。この賭け、どっちが勝つかしらね」不敵に笑いつつ、飯綱が言った。
*
「飯綱さんっ!」
林の下へ駆けつけていこうとする春姫を。
「八雲くん?」
俺は手で制した。
「駄目だ春姫。今彼女達の邪魔をすることは許さん」
「でもっ。あのままじゃ飯綱さんが石になっちゃう……」
「そうよ! 阿須波、貴女なら分かってくれるでしょう? 今ならあたしのセブンスワンド≠ナ治せるっ」
しかし西園寺は。
「……許可しません」
「どうして!」
「あれが、誇りを賭けた戦いだからです」
「え?」
春姫と北原が同時に首を傾げる。
「あの戦いは飯綱の誇りを賭けた戦い――」
「……そして、誇りを守るための戦い――」
俺は続けた。
「だから頼む。どうか……今は林の好きにさせてやってくれ」
「…………」
「それに、今止めたらアイツ、一生お前達を恨むと思うぞ?」
「大丈夫、あの子は強い子だから。信じましょう。飯綱と……彼女の愛する人を」
*
……既に飯綱の身体は胸元まで石化していた。自分の命が消えていくにもかかわらず、彼女は依然微笑んだままだ。
ナヅナは何もしない。ノスフェラトゥをだらりと垂らしたまま呆然と立ち尽くすだけだ。
「なんで……」
「兄さん……」
「なんでそこまで出来るんだ!? 自分の命を捨てるような真似をしてまで! 怖くないのかよ!!」
ナヅナはいよいよパニックに陥っているようだ。
『怖くないのか』、その問いに飯綱は――。
「……怖いわ。今にも解呪したいくらいに……死にたくない」
「!? ならどうして!!」
「死ぬ以上に怖いことがあるからよ」
「え……」
「それが兄さん、貴方がこのまま壊れていくこと。このまま愛を知らずに朽ちていくことが何より……怖い」
「い……づな……」
飯綱の目にも、うっすら涙が浮かんでいた。それはつぅと線となって頬を流れ、首筋まで石になっている身体に吸われて消えていった。
「だって、兄妹……じゃない。たった一人の……大切、な――」
言葉が途切れ途切れになる。発声器官が石化しつつあるのだ。もう呼吸するのも苦しいはずだ。
「に、いさ――」
そして、次の瞬間。
飯綱の身体は完全に石と化し――
――トン。
化す――前に、何か硬い物を軽く当てるだけの音がした。
ナヅナが、槍の柄の部分を飯綱に押し付けていた。
するとどうだろう。石化していたはずの飯綱の身体が元に戻っていくではないか。
――これが、二つ目の解呪方法。
前に飯綱が鈿女に言っていた。『ノスフェラトゥの柄には魔力を吸収する能力がある』、と。
ナヅナが、バジリスクによる石化の魔力を吸い取ったのだ。
「ぐ、ごほっ、げほっ……」
蹲って噎ぶ飯綱。石化の呪いから解け、一気に気道を酸素が通った反動だ。持っていた槍がカランと音を立てて転がった。
もう一つ、カランという音。
見ると。
ナヅナもまた、その場に崩れ落ちていた。
「……分かっては、いたさ――」
「ごほ……、兄さん……」
「分かってはいたさ! 何が『正しいこと』なのかくらい! でも……どうしようもなかったんだ! だってしょうがないじゃないか! オレは人間を裏切ったんだ!!」
「兄さん……」
「そんなオレが……どうして帰ってこれるんだよ。どうして許されるんだよっ……」
拳を握り締めて地面を叩くナヅナ。何度も、何度も。やり場のない怒り、悲しみ、寂しさ、苦しみ……。色んな感情が狂おうように混ざり合い、ぶつかり合う。
飯綱はゆっくりと立ち上がってナヅナに近寄っていく。
そして彼の前に跪き。
ナヅナの後頭部に手を添えて、そっと頭を包み込んだ。そして――。
「……許すよ」
「……え?」
「私が、全部許してあげるよ。私が、ずっと傍にいてあげるよ。もうどこにも行かなくていい。ううん、もう、どこにも行かせてあげない」
優しく、優しく。
悪夢にうなされて起きた赤ん坊を、母が優しく包み込むように。
飯綱はナヅナの身体を、思いっきり抱き締めた。
「だからもういいの……もう、いいんだよ」
「あ……」
ナヅナの目から、大粒の涙が零れる。
「もう、迷わなくていいの……?」
「うん……」
「もう、戦わなくていいの……?」
「うん……」
「もう、我慢しなくていいの……?」
「うんっ……」
「もう、独りで部屋に閉じこもって泣かなくてもいいの……?」
「うんっ……。ごめんね、ずっと私をかばった後、そうして独りで泣いていたんだよね。ごめんね、気付いてあげられなくて……」
「う……」
どれだけの時が流れたのか。
どれだけの血が流れたのか。
どれだけの涙が流れたのか。
全てはこの瞬時のため――。
「うわあぁぁぁぁぁぁ……!!」
堰を切ったように飯綱の胸の中で泣きじゃくるナヅナ。優しさに包まれて。
離れ離れになっていた兄妹は――。
ようやく、共に道を歩むことを赦されたのだった。
長い――、
長い、旅路だった。
*
「……林那綱です。飯綱の双子の兄、です」
虫の居所が悪そうに、そわそわとしているナヅナ――もとい、那綱。
無理もあるまい、あれだけ号泣しているところを大人数に目撃された上に、さっきまでは敵同士だったのだから。
俺達は再び聖徒会室に戻ってきていた。春日さんはいつの間にかどこぞへと行ってしまったが。
西園寺がデスクに座り、正面に立つ林と那綱を見据えていた。
……確かに、この二人が並んで立っていると、なるほど流石は双子、そっくりである。名前も似てるし、どうして今まで気付かなかったんだと言いたいくらいだ。
「聖徒会長、西園寺阿須波です。……林那綱。これから貴方の処分について発表したいと思います」
「……はい」
西園寺の表情は険しい。かつて俺を審問した時と同じ顔だ。
「貴方は九つの世界≠フ一員、それも幹部でした。そのことに関して弁明はありますか?」
「……ありません」
対する那綱は、俯き、声は聞き取り切れない程小さい。
戦時における敵勢力の幹部クラスの身柄確保。普通なら捕虜、最悪の場合処刑もあり得るが……。
「オレは聖徒会の決定に従います。どんな処分でも甘んじて受け入れる所存です」
「会長! どうかご慈悲を!」
那綱の隣に寄り添うように立っていた林が、跪き懇願する。
「林那綱。貴方に二つ尋ねたいことがあります。あらかじめ言っておきますが、黙秘権はありません。虚偽も認めません」
「……はい」
西園寺の口調は明らかに厳しい。まるで裁判官か、警察の取り調べのそれだ。
「貴方は完全に九つの世界≠ゥら離れた。そう受け取ってよろしいのですね?」
「…………」
しばし逡巡する那綱だったが――。
「……はい。結構です」
小さく、しかしはっきりと頷いた。
「それでは、これから貴方はどうしたいですか?」
「…………」
再び黙り込む那綱。そして。
「……虫のいい話かとは思いますが、出来ることならこの世界を護るために共に……飯綱と共に戦いたい、です――」
最後の方は小声でよく聞こえなかったが、確かに『共に戦いたい』と口にした。
「オレはずっと『正しいこと』の何たるかを模索してきました。……そして、九つの世界≠ノは自分の求める『正しさ』はない。ここは自分の居場所ではない、と。そう確信しました」
「そうですか……」
険しい顔のまま目を瞑る西園寺。深い思慮の海に落ちる時、目を閉じるのが彼女の癖のようだ。
「か、かいちょ――」
やがて、沈黙に耐え切れなくなった林が口を開こうとした時。
「……ホデリは私達の側についていながら裏切りました」
「ッ……」
息を呑む林と那綱。しかし西園寺は目を開くとにこやかに笑って。
「味方が敵になることがあるのです。その逆というのも、またあるのでしょう」
そう、言った。
「そ、それって……」
「まぁ平たく言えば――」
椅子から立ち上がり、那綱の前に歩み寄ると。
「私達聖徒会は貴方を歓迎します。共に歩み、共に戦いましょう」
握手を求めるように手を差し出して、そう言った。
「会長……」
恐る恐るといった感じで、差し伸べられた手を両手で抱え込むように掴む那綱。そして、二人は固く手を握り合った。
「目を見れば分かるもの。貴方は悪い人ではないわ」
「ッ――。ありがとう、ございます……!」
「やったぁ! 兄さん……良かった……!」
またボロボロと泣き出す那綱。林は感極まってそんな那綱に抱きついた。
「まぁ……しょうがないわよね……」
素直じゃない北原などはそんなことを呟いた。他の面々はすっかり歓迎ムードだ。
こうして。
俺達に、力強い仲間が増えた。
*
那綱はその後、五期生に編入し、同時に穴の空いた聖徒会書記を担当することになった。
ひとしきり泣いた那綱は、俺の下に歩いてきた。そして。
「別に……、オレは謝らねぇからな」
と言った。
……あの日、俺を殺したことだろう。俺は一瞬面食らったが。
「……へっ、残念だな。もし謝られてたら、ぶん殴って目元を目立たなくしてやるんだったけどな」
事実、彼の目は真っ赤に腫れ上がっていた。あれだけわんわん泣けば当然だろう。
「……言ってろ」
そう捨て台詞を残して去っていった。頬が紅潮していたのは見なかったことにしておいてやろう。
とそこに。
「話はまとまったかしら?」
さっきから姿が見えなかった春日さんが、ようやく戻ってきた。
「お母さん。今までどこに?」
「ふふっ、ちょっと……ね」
そう言って笑う春日さんの顔には悪戯っ子のような笑みが浮かんでいる。
「学園側に許可をもらいに行っていたのよ」
……許可?
「副学園長、まさか……」
「なんの話ですか?」
「ふふっ。正解です。今夜は聖徒会恒例行事、『みんなで学園に泊まり込んでお互いの親睦を深めようの会』を執り行いまーす♪」
「……『みんなで学園に泊まり込んでお互いの親睦を深めようの会』?」
……いや、聞かなくても分かるんだけど一応、な?
「八雲さんこの行事はですね、みんなで学園に泊まり込んでお互いの親睦を深める会なんですよ」
やっぱりそのまんまだった!
「そういえばやっくん先生は初めてだねぇ。ボクこの行事だーい好き! まんせー♪」
真っ先に諸手を挙げたのはやはりというか東だった。
……因みに東、『まんせー』は『万歳』だからな。多分『さんせー』って言いたかったんだろうが。
「那綱さんというお友達も増えたことですし、ここは一つ無礼講といこうじゃありませんか!」
随分手際がいいな……っていうかこの人――。
「……知ってましたね? 春日さん」
この決定が下されること。
「さぁて、なんのことでしょう?」
すっとぼける春日さん。
……まぁ、いいか。
「じゃあ、私はこれで失礼しますね」
そう言って立ち上がる清野。
「え? 清野さん帰っちゃうんですか?」
「私は、聖徒会の一員ではありませんから……」
そう言って遠慮しようとする清野を――。
背後から、東ががっしりと羽交い絞めにした。
「だーめ。そんなつれないこと言わないの。ほら、ミコちゃんも仲間仲間♪」
「で、でも私はっ――きゃあっ」
そしてそのまま東菊理、その場で高速回転。
「ほらほらほらほら〜! 観・念・し・ちゃ・い・な・よ〜!」
「菊理さんっ! 目、目回るっ。分かりましたからぁ〜!」
「くくっ、あははははは……」
その光景を見て、那綱が笑った。腹を抱えて楽しそうに。
こいつの笑い顔なんて、初めて見たけど――。
(……結構、いい笑顔するんだな)
「あはは……。ありえねぇ……、なんでだろ、ありえないくらい楽しいぜ……」
目尻にうっすら涙を――今度は嬉し涙を――浮かべつつ。
那綱は、いつまでも笑い続けた。
林も嬉しそうに。
「言ったでしょ。ここが貴方の居場所だよ、兄さん」
と言った。
*
「神倉っ! ……先生」
トイレに立った俺の背に呼び声がかかった。『先生』の部分はほとんど聞き取れなかったが。
「どうした? 林」
俺は振り返る。そこに立っていたのは少し息を切らせた林だった。
「え、あ、う……。いや、あの、その……」
「?」
なんだろう。いつもの彼女らしからぬ、もじもじとしたこの様子は。普段なら言いたいことは歯に衣着せず辛辣に言う彼女がこんなにも口ごもるとは珍しい。
「なんだ? なんでも言ってみろ。俺に何か用か?」
「用……といえば用なんだが、いや、なんですが……その……」
ますます挙動不審に陥る林。しかも微妙に敬語だ。
「遠慮するなよ。お前らしくないぞ」
「〜〜〜!」
林は意を決したように顔を真っ赤にして。
「その……さっきは、ありがとう、ござい、まし、た――」
……超小声で、そう口にした。
「さっき、って?」
「その……。さっき、兄さんを説得しようと私が自分にバジリスクを使った時、会長と一緒になってみんなを止めてくれただろう? いや、止めてくれちゃいました……でしょう?」
……無茶苦茶たどたどしい敬語でそんなことをのたまう林。俺は思わず耐え切れなくなって。
「……ぷっ」
「なっ、なんで笑う!?」
「はは、悪い悪い。林って意外と可愛いんだなって思ってさ」
「なっ――」
俺がそう言うと、林はさっき以上に顔中を、耳までゆでだこ状態にした。
「ばっ、ばかもの! か、からかうな!」
「からかってなんかいないぞ。俺、林のことは好きだからな」
「――――」
いよいよ顔を沸騰したヤカンみたいにして、ゼンマイ仕掛けの玩具のようにぴたりと止まる。
だがそれも一瞬のこと。
「イ、イイタカッタノハソレダケダ。……ジャアナ」
日本かぶれしたアメリカンのような片言でそれだけ言い残して、ぎりぎりと音がしそうな程カチコチな動きで回れ右をして立ち去っていった。最新の二足歩行ロボットでも、もう少しスムーズな動きが出来るんじゃなかろうか。
……にしても。
「俺、何か変なことでも言ったかな?」
これは後になって知ったことなのだが。
オンナゴコロ≠ニいうやつは、大学の卒論よりも難しいらしい。
*
遠き山に日は落ちて、夜。
みんなで他愛のない会話を、たくさん那綱に聞かせてやった。
学園であった楽しいこと。ムカついたこと。テストの点が悪くて親に大目玉を食らったこと。学食の券売機の一番下にある、何も書いてないのに光る謎のボタンのこと。帰りがけに見つけた、コーヒーのおいしい喫茶店のこと。
女性陣は実に多彩な話題を持っていた。西園寺や北原も例外ではない。『女三人寄れば姦しい』というが、それが八人ともなると騒がしいどころの話じゃない。
特に、林がいつになく饒舌だった。まるで兄との長年の空白を一晩で埋めようとするかのように。
俺達男性陣は専ら聞く側だったが、それでも十二分に楽しかった。こんな場を何度も設けていれば、そりゃあ東みたいな人見知りしないタイプじゃなくたってファーストネームで呼び合うくらいの仲良しにもなるだろう。
那綱はあまりに世界のことを知らなすぎた。一つ一つの話を聞く度に驚きの連続。そして、最後には笑顔。この短時間で、様々な表情を見せてくれた。それを林は純粋に喜んでいた。
そうして夜も更け、日付が変わる頃にお開きとなった。
宿直室から寝具をみんなで協力して運び出す。もちろん男女で寝る場所は別々だ。男性は聖徒会室に、女性は数が多いので、広い学園長室で眠ることになった。
布団といっても学園の備品なのでそうしっかりした物ではない。男三人、雑魚寝する形になる。
なんだが学生時代の修学旅行を思い出して、俺の口からは自然と笑みが漏れた。
「電気消すぞー」
「ういっす」
「あぁ」
明かりを落として、横になる。だがこんなおいしい状況下でそう簡単に寝てしまう程、俺は人間が出来ていなかった。
修学旅行の夜の話題といえば……。
「……なぁ火野。火野は好きな女の子とかいないのか?」
――やっぱ恋話でしょう!
……案外ガキだなぁ俺も。
しかし火野は。
「先生はあれすか。おれのイニシャルが『H.H.』だからっていつもえっちなことばっか考えてると思ってるんすか」
「…………」
俺の口撃を、いつもの飄々とした様子で受け流した。
「でもほら、いつも山里と一緒にいるだろう? あいつとかどうなんだ?」
「児屋はお兄ちゃんが欲しかったって言ってましたからね、兄貴代わりすよ」
そこに那綱が口を挟んだ。
「普通の男同士は……そんな話をして盛り上がるのか?」
「まぁ一概には言えないけど……そう、かな?」
世間知らずな那綱はそんなことも知らなかったのだろう。「そうなのか……」と驚いたような声を出した。
「先生、おれもう眠いんすけど。寝ていいすか」
「ん? あぁ悪い。おやすみ、火野」
「おやすみっす――」
そう言って寝返りを一つ打つとすぐに寝息が聞こえてきた。
(早ッ!)
那綱と二人になって話すことがなくなった俺は、仕方なしに大人しく寝ることにした。
……しばらくして。
「……なぁ、神倉先生」
と、那綱が小声で話しかけてきた。
「ん、なんだ?」
「…………」
起きているとは思わなかったのか、少し戸惑ったようだ。
更に少しの間を置いて。
「オレ、本当にこれで良かったのかな……」
と、そう己の胸の内を吐露した。
「…………」
……九つの世界≠裏切って、俺達の下に来たことか。
不安なんだろう。揺れているんだろう。それは無理もないことだった。
けれど――。
「それは誰にも分からない。那綱、お前自身が決めることだ」
「オレ、自身が……?」
その答えを出すのは俺じゃない。そんなものは誰かに決められることじゃない。常に自分の心が決めるんだ。
俺だって――自らで戦うと決めた。
「お前は、間違ってたって……そう思うのか?」
「…………」
少しの沈黙。そして。
「思ってない、と思う……」
そう言ってくれた。
「そっか。なら、それでいいんじゃないか?」
「…………」
那綱はもうそれ以上何も言わず――。
すぐに、規則正しい寝息が聞こえてきた。
これは完全に俺の推測だが、九つの世界≠ノいた頃は、一晩たりともまともに眠れなかったんじゃないだろうか。
ずっと孤独だった戦士はようやく心休まる時間を手に入れたのだ。
たとえ、それが束の間のものであったとしても――。
そんなことを思いつつ、俺も眠りに落ちていった。
*
――出せ
……あぁ、またアンタか。
邪雲……。
――吾を
……煩い。
勝手に人の中に入ってきて、勝手に踏み荒らすんじゃない……。
――吾を、表に――
「あ、ぐぅぅっ……!」
くぐもった自分の声で目を覚ます。時計は二時を指していた。
幸い、火野と那綱の二人はぐっすり眠っていて、起こすことはなかったようだ。
「くぁ……、ぐ、がっ……!」
身体が焼けるように熱い……安定剤を飲んでさえこれか――。
……駄目だ、これ以上抑えられそうにない。
俺は外に出た。
「どこか……ひと気のないところ……っ」
真っ先に浮かんだのは屋上だった。
前につんのめりそうになりながら、這うようにして階段を上がる。普段なら一分足らずで着く道のりが、今はフルマラソン並みにひどく長く感じられた。
屋上に続く鉄製の扉を開く。夜の、澄んだ新鮮な外気が隙間から吹いてくる。
「はっ、はっ、はっ……」
辛うじてフェンスに寄りかかって、倒れそうになる身体を支える。
少し冷たい風が一瞬火照った体温を冷ますもすぐに熱がぶり返すので、果たして効果は薄い。
「ち……くしょう、俺の身体ん中にいるってんなら……ちょっとは、言うこと、聞き、やがれ――」
悪態を吐いても、体調はちっとも良くならない。
(参ったね……、どうしたもんかな)
その時だった。
ガチャリ――。
こんな時間に、俺以外に屋上に出てくる変わり者がいた。
小さな人影。迷うことなく俺の側に寄ってくる。
月光を浴びてきらきらと輝く銀髪を、気ままに吹く風に任せているのは――。
「き……よ、の」
清野は何も言わず――。
――ふわぁっ。
「!?」
俺の身体を真正面から抱き締めた。
「……清野?」
……不思議な感覚。
こうして清野に抱き締めていられると……。
あれ程昂ぶっていた気持ちが、徐々に治まっていった。
「大丈夫ですよ。大丈夫……大丈夫……」
耳元で繰り返し囁かれるそれは、まるでたった一つの魔法のコトバ。
やがて、発作は鎮まり、身体に溜まった熱も夜風にさらわれて霧散していった。
離れる身体。離れる体温。
それを、どこかで寂しいと思っている自分に、俺はまだ気付いていなかった。
「……どうしてなんだろうな」
「何がですか?」
「清野に抱き締められていると、すごく落ち着く」
くすりと笑う清野。俺はその笑顔をずっと見ていたいと思った。けれど、その気持ちの正体がなんなのかは、分からなかった。
「俺、ずっと思ってたよ。『自分はすごい才能を持っていて、何でも出来る!』って。自分のこと『天才』だって。……でも違った。清野は俺よりもずっとすごくて、もっと才能があって、もっと何でも出来る。カンペキに俺の驕りだったな。うわ、はずかしっ、俺」
「…………」
清野は黙って真っ直ぐに見つめているだけだ。穏やかな笑顔のままで。
「でも……だからこそ、俺はもっと何でも出来るようになりたい。みんなを護れるようになりたい。……清野、手伝ってくれるか?」
みなまで言わずとも、彼女には伝わる。そんな、根拠もない確信があった。
「はい。もちろんです。……いいんですね?」
思った通り、頷いてくれる清野。そして問うた。
「…………」
それに対し、俺は黙って首を縦に振る。そして、確固不抜の決意を籠めて言った。
「邪雲を克服する。俺を――導いてくれ」
────unlimited EVIL・了
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