七月一日(水)
   *
 眠らずに迎えた朝。
 春日さんの締めの言葉で定例の職員会議が何事もなく終わると、朝のホームルームと一時限目の授業の用意をしてクラスへ向かう。
 一歩一歩踏みしめるように4−3までの廊下を、ゆっくりと歩く。
「センセー、おはようございまーす」
「おはようございます。神倉先生」
 生徒と通り過ぎる度に、みんなが声を揃えて挨拶をしてくれる。俺もすっかり有名になったものだ。
「おはよう、みんな。あ! こらそこ、廊下を走るな!」
 などと少しは教師らしいことを言ってみる。
 ホームルームを滞りなく終え、授業を問題なく終え、放課後の事務作業を順調なまま終える。
 平和だった。
 ずっと、こんな日々が続くように祈りながら――。
 俺の最後の学園生活が、静かに幕を下ろした。

unlimited
   *
「では、神倉さん。最後の確認です。本当によろしいのですね?」
 俺と清野は学園長室にいた。俺は絨毯に描かれた魔法陣の上に横たわって精神を統一させる。邪魔になるから、と言って、春姫達には聖徒会室で待機していてもらっている。
 ……これから俺は、清野の魔力で自らの精神世界に乗り込む。
 目的はたった一つ――邪雲の打倒だ。
「…………」
 緊張していないと言えば嘘になる。怖くないと言えばより嘘になる。俺がこれから立ち向かう敵は、あの“九つの世界”を壊滅寸前にまで追い込んだ邪神だ。
 だが……。
「……あぁ。いつでも大丈夫だ」
 身を奮い立たせて俺は強がった。
「…………」
 俺のすぐ横で正座する清野も、緊張した面持ちだ。何か言いたげに口を開こうとするが――。
「……ご武運を」
 それだけ言って、祈りを捧ぐように胸の前で目を瞑って手を組み、詠唱の準備に入った。
「――我は告げる。我は命じる。我は祈り我は願う。眠りの神ヒュプノスよ。せめて、彼の者が往く道に一条の光明を――」
 ……意識が遠のいていく。
 ……眠りという名の心地よい漣の中に揺蕩いながら――。
 ……子守唄のように響く美しい清野の声に導かれながら――。
――おやすみなさい、神倉さん――
 最後に、誰かのそんな声が聞こえた……ような気がした。

   *
「八雲くん……大丈夫でしょうか……」
 春姫は聖徒会室内を、忙しなく歩き回っていた。
「春姫、少しは落ち着きなさい。傍にいてあげたい気持ちは分かるけれど、学園長の邪魔をするわけにはいかないし、そもそもあの場にいてもあたし達には何も出来ないわ」
 北原鈿女が赤子に言い聞かせるように春姫を諭す。それでも春姫の居ても立ってもいられない状態は治まらない。
「無謀すぎるな……あの邪雲を克服しようなどとは……」
「会長、神倉に勝算はあるんですか?」
 続けてそう口にしたのは那綱と飯綱の兄妹だ。阿須波に問う飯綱だったが……。
「春姫には悪いけれど……、神倉先生が邪雲を倒せる可能性は限りなくゼロよ」
「そんな!?」
「まぁ、当然っすよね……」
「もし駄目だった場合は……どうなるんですかぁ?」
 彦根の口からは、初めから諦めているような発言が出るが、心の底では八雲を案じているはずだ。児屋は不安に揺れつつ誰にともなくそう尋ねた。
「おそらく……神倉先生の精神は消滅し、身体は完全に邪雲の支配下に落ちます。邪神は再びこの世に受肉し、地界も含めた九つの世界は全て滅ぼされるでしょう」
 阿須波はデスクに座って両肘をつき、手を口の前で組んだままの姿勢で言った。
「でも会長……。『限りなくゼロ』ってことは、もしかしたら勝てるかもしれないってことだよね?」
 楽天家の菊理も、この時ばかりは深刻な顔になる。
 その問いに答えたのは――。
「……同調シンクロ
 先程から微動だにせず窓の外を眺めていた春日だった。
「シンクロ?」
「それは何? お母さん」
「心様が信じていたものですね? 副学園長」
 皆に背中を向けたまま黙って頷く春日。
「心さんはずっと信じていました。人の心と心が深く結びつく時、人はどんな困難にも負けない強い力を手に入れることが出来る、と」
「それが、同調シンクロ……ですか」
「そう。それこそ心さんが信じた人間の絆の力。彼女がずっと追い求めていたもの――」
 そう言うと春日は振り返って――。
「信じましょう? 八雲さんを……人間≠フ強さを」

   *
 濃霧に包まれたように、一寸先を窺い見ることも叶わぬ色のない世界。衰退し、退廃し、絶望が遍く。生きとし生ける者全ての存在を否定する、邪悪に犯された奈落の底。
 ここが、俺の精神世界……。
「やぁ」
 短い挨拶。濛昧に淀む世界の中にその姿が亡霊の如く浮かび上がり、俺はその悪魔と対峙する。
「……こうして会うのは初めてだな、八雲」
 ……邪雲という名の悪魔と。
 俺に向けられた言葉は、まるで十数年来の友人に話しかけるように親しげだった。それが逆に全身の毛が逆立つ程に恐ろしい。
 邪雲は子供のように無邪気に笑うと――。
「――では、早速で悪いが、殺すぞ?」
 やはり子供のような残酷な無邪気さでそう言った。
 二人は黙って腕を前に伸ばす。俺は右手を。邪雲は左手を。
 そして――。
「「ナイト・オブ――」」
「――アヴァロン=I」「――バビロン=I」
 同時に己がアダプトをその手に具現化させた。
 鷺のような純白が見る者の目を奪うナイト・オブ・アヴァロン≠ニ――、
 鴉のような漆黒が見る者の目を捕らえるナイト・オブ・バビロン=\―。
 相反する色彩の二刀が、鏡に投影されるように存在していた。
再生の剣リジェネレイトソードか……。ふっ、つくづく愚かよな。所詮はわれの超回復≠模しただけの贋作だというのに。贋作フェイク原物オリジナルに敵うとでも?」
「……随分と饒舌だな。そんなことはやってみなければ分からない」
「…………」
 気分を害したように目を細める邪雲。奴から見れば児戯にしか見えない茶番劇を、戦い≠ニ取られたことに腹を立てたのか。視覚可能な程の殺気が、見る見るうちに膨大していく。
 小細工が通用する相手じゃない。四の五の言わずに前に出てアドバンテージを取る――
 ……違う。
 奴には超回復≠ェ備わっている。なれば、半端な攻撃では羽虫に噛まれる程度のダメージにすらなりはしない。
 決めるなら一撃だ。初撃に全てを懸け、首を刎ねる――。
 シンキングタイムは終わりだ。今日ここで、神倉八雲というドライブに取り付いたバグを排除する……!
 先手必勝。アヴァロンを両手で低く構え、膝を曲げて飛び掛か――
「……殺すか」
 ――ろうとした刹那、邪雲の姿が霞んだ。
「なっ――」
 次の瞬間。
 アイツは信じられないスピードで俺に肉薄し、レフトサイドから横薙ぎの剣撃を放ってきたのだ。
 ギィン――!
 剣をそのまま楯に代用して奇襲を防ぐ。低姿勢で構えていたおかげで防御が辛うじて間に合った。そうでなければ胴体は真っ二つにされていただろう。
 だが……。
 びきびきびき……!
「なっ!?」
 驚愕の連続。
 邪雲の剣を受けただけで、ナイト・オブ・アヴァロンに砕け散る寸前までに罅が走った・・・・・・・・・・・・・・
「くっ……!」
 咄嗟に右に跳んで退避する。あと一秒反応が遅ければ、持ち堪えられなかっただろう。
 刀身の破損もアヴァロンの効力で即座に直る。だが……。
「はっはっは! どうした八雲! まるで薄紙の守りではないか!! これは遊戯ではないのだろう?」
 ……ただの一撃でこれとは。攻撃力SSは伊達ではないということか――。
 俺は、纏う魔力を最大まで増大させる!
「そうだそれでいい。気を緩めるな。常に全力で来い。われを楽しませろ……!」
 いつ魔力が枯渇するかなんて考慮に入れる余裕など皆無だ。後先考えてる場合じゃない、言われなくてもそうしてやるさ……!
「……来るがいい」
「邪雲!!」
 今度は俺から向かっていく! 上段から振り下ろす一撃目!
 これは難なく防がれる。
 ……素手で・・・
(――嘘だろ!!)
「ふん、この程度か……。失望したぞ八雲――」
 そしてそのまま剣を鷲掴みにし、オーバースローの要領でぶん投げた!
「うわぁぁぁ!?」
 なんとか地面に叩きつけられる寸前で体勢を立て直し、空中で反転して両足から着地することに成功した。
 そこへ、ナイト・オブ・バビロンの打突が繰り出される!
 俺はそれを、曲がっていた膝の屈伸を利用して後方に跳ぶことで躱す。
「ぬ」
 凶刃は、そのあまりの切れ味のせいで地面に深く突き刺さり、隙が出来る。
 千載一遇。そんなチャンスを見逃す程間抜けじゃない――!
「はぁっ!」
 気合と共に振りかぶり、そしてそのまま振り下ろす!
 だが、邪雲は突き刺さった剣をポールに見立てて、独楽のように自らの身体を回転させ強烈な蹴撃で反撃に出た!
 そんな無茶な体勢から、よもや反撃が放たれるとは思いもよらず。
「……飛べ」
 半端なく痛い・・・・・・踵が下顎に命中し、俺の身体は大リーガーの打ったホームランボールのように高々と宙に舞った。
「――――」
 そのまま三十m程弾き飛ばされ、今度は受身を取る余裕もなく、二度三度バウンドして転がった。
 霧散しそうになる意識を根性だけで繋ぎ止めて、剣を杖代わりにして立ち上がる。相手もナイト・オブ・バビロンを引き抜いたところだった。
 ……強い。
 強すぎる。ホスセリも確かに強かったが次元が違う。全てのステータスがずば抜けて高く、死角がまるでない。
 元々魔力値が低い俺は、既に底が見えている。
 ……ここで諦めてしまえば、楽かもしれない。あの攻撃力ならば苦しむ間もなく死ねるだろう。
 しかし――。
(ここで俺が負ければ、世界は……?)
 俺が敗北するということは即ち、邪雲を解き放つということに他ならない。
 そんなことになったら、世界は、いや、みんなはどうなる?
 全世界の命運を背負うヒーローになんて、なるつもりは更々ない。なら、俺にとっての世界とはなんだ?
 ――そんなのは考えるまでもない。
 大切な人達、仲間の顔が順々に浮かんでくる。
 春姫、
 春日さん、
 林、
 那綱、
 火野、
 山里、
 西園寺、
 北原、
 東、
 そして――。
(清野、命……)
 それらが、俺にとっての世界の全てだ。
 邪雲がゆっくりとした足取りで俺の下へ歩み寄ってくる。
 俺は――。
「はぁぁぁ!!」
「ぬっ!?」
 数歩離れたところまで近づいてきていた邪雲に向けてナイト・オブ・アヴァロンを振るう!
 さっきは片手で防がれた一撃が。
 今度は、五mの距離を埋め尽くし、邪雲の胸に一本の赤い血の線を走らせた。
 剣風で断ち切ったのだ。
「俺は……負けない――」
「貴様ぁ……」
 己が身体を傷付けられた邪雲が憤激しつつ殺意を放つ。
「俺が負けたら、後ろにある大切なもんが全部壊れちまうんでね!!」
 不撓不屈の覚悟を決める。
 真の激戦の火蓋は、ここに切って落とされたのだ。

   *
『ΑΛΕΡΤ!』
 突然の機械音に、その場にいた全員が息を呑んだ。
「敵襲!」
「オモイカネ! 数確認……、エインヘルヤル十! そしてこの反応は……ホスセリだわ!」
「神倉先生がいない、このタイミングで……」
「休む間なしすか……」
 憎々しげに呟く阿須波と彦根。阿須波はデスクから立ち上がり。
「打って出ます! 戦える者は外へ!」
「児屋、ランドグレイヴは?」
 鈿女が尋ねる。
「ダメですぅ……、まだ戦闘を行えるまでには回復してません……」
「しょうがないわね。……副学園長、児屋、菊理は待機! あたし達で行きます!」
「……オレも行くぜ」
 僅かに躊躇の色を見せた那綱だったが、すぐにそう言った。
「兄さん、平気?」
「無理しない方がいいわよ。言っちゃ悪いけど、足手まといになられるのだけは御免だから」
 冷たく言う鈿女。しかし那綱の意志は固い。
「行くさ。連中にもいっぺん挨拶しときたいと思ってたところだ。……とびっきり鋭い・・挨拶をな」
「分かりました、信頼します。出るのは春姫、飯綱、那綱、彦根、鈿女と私の六名。残る者はこの場でNCSを!」
「了解! NCS、radius1000m半径1000メートル――」
in……」
「――voke!」
 三人で協力してNCSを発動させる。阿須波ら六人は校庭へと向かった。

 降ってくる光、一一柱。既にほとんど人の輪郭を形作っていた。そのうちの一つ。
「……よーぅ、ストレイ。久しぶりだな?」
 一際大きな影――ホスセリが口を開いた。
「ホスセリ……!」
「いや、もう“裏切り者ビトレイ”か。ははは! “はぐれ者ストレイ”が“裏切り者ビトレイ”になった!! こいつはいいぜ! ストレイがビトレイになった! はははははは!!」
 心底愉快げに嘲笑するホスセリ。
「貴様! 兄さんを侮辱するのは許さん!!」
「あぁん……?」
 今初めて気付いたとでも言うように、ホスセリは飯綱の雌豹のようにしなやかな肢体を舐めるように見回す。
「なるほど……。裏切り者の妹の割にはなかなかどうして、そこそこの上玉じゃねぇか。……へへへ、いいぜ。まとめて食ってやる」
 下卑た笑いを浮かべるホスセリ。そして――。
「凍て付かせ、氷牙狼フェンリル
 虚空より、愛玩動物というにはあまりに凶悪なサイズを誇る従僕を召喚した。巻きついた鎖がじゃらじゃらと音を立てる。以前の傷など癒えたと言わんばかりに、身の毛もよだつ雄叫びをあげるフェンリル。
「今日はこいつのリハビリも兼ねててな。……たっぷりいたぶり殺しにしてやるよ」
「散開! 春姫と鈿女はエインヘルヤルを! 飯綱と彦根はホスセリを! フェンリルは私と那綱で抑えます!」
「了解!」
 統制のとれた軍隊のように散らばる六人。
 時計は十七時を指していた。

   *
 もう何合打ち合ったか、数知れない。
 その度に俺の剣は欠け、罅が入り、刃毀れし、だがその度に修復される。
 それでも、決して折れることはない。それは、俺の意志そのものだから。俺の心が折れない限り、ナイト・オブ・アヴァロンもまた、永劫砕けることはない。
「……存外ねばる」
 流石の邪雲も少し焦れてきたようだ。ホスセリのように猛るわけではないが、殺気は一層濃度を増している。
「贋作の分際で、なかなかやる――」
 そしてまた襲い掛かってくる邪雲! 上段からの振り下ろしを俺は横に回避する。
 更に追撃を繰り出す。避けた方向に向けて放たれる後ろ回し蹴り。それも何とか躱すことに成功するが――。
「はっ」
 短い掛け声と共に、ナイト・オブ・バビロンによる第三撃! 立て続けの猛攻に逃げ場をなくした俺は、やむなくそれを剣で受けた。
 火花が散る。鍔迫り合いが続くと不利だ、俺は力任せに押し返した。
「ちぃっ……」
 舌打ちをする邪雲。どうやら奴は決め≠スり引い≠スりするタイプではないようだ。押して押して押しまくる。一気呵成の攻撃で敵を仕留めるバトルスタイルらしい。
「……へっ、随分焦っているみたいだな。休んでいては邪神の名が泣こうに」
「…………」
 俺の挑発に俯き、押し黙る邪雲。だらりと無造作に剣を垂れ下げている。
 だが次の瞬間――。
 ――キィン!
(ッ、あぶねぇ……!)
 強力かつ高速の突きが、正確に心臓目掛けて放たれた。俺は咄嗟に構えていた剣を楯にして防げたが、一瞬反応が遅れていたらやばかった……。
「……われを邪神≠ニ呼んだな八雲」
「?」
われ何故なにゆえそう呼ばれているか。その理由をおしえてやろうか」
 邪雲の身体から殺気がひいてゆく。
 ――まるで、もう己の勝利を確信しているかのように。
「我がアダプト、破壊の剣ディスインテグレイトソードナイト・オブ・バビロン≠ェ何の特殊能力も備えていないとでも思っていたか?」
「……何が言いたい」
 顔を上げ、無表情のまま言葉を発する邪雲。
「意味もなく破壊の剣≠ネどと呼ばれているとでも思ったか。……これはな、またの名を剣砕きウエポンブレイカー≠ニ言う。秒間六十万回もの超振動を引き起こし、相手の武具を破砕するのがその名称の由縁だ」
 ……それは。
「まさ、か――」
 びきびきびきびき!!
「――このように、な」
 バキィン――!
 激しい音を立てて粉々に砕け散るナイト・オブ・アヴァロン。
 そして、楯を失った俺の胸は――。
 なす術なく、無情にもナイト・オブ・バビロンに貫かれた。
「言ったはずだ。『気を緩めるな』、とな。徒にわれを挑発した末路がこれだ」
 ……刃がゆっくり引き抜かれる。動力源を失っては、如何に早く走れる車もただの鉄クズだ。
「……呆気ない幕切れだ」
 ……瞳孔が開き、視界がブラックアウトする。耳殻がイカレ、何も聞こえなくなる。支えも何もなく、倒れた地面の感覚すら定かではなかった。
 ……あぁ、確かに呆気ない――。
(すまない……みんな――)
 思考すらシャットアウトされる。
 やがて俺の意識は――。
 深いタナトスへと、堕ちていった――。






















                                                        ――いで















                                              ――ないで








                                    ――まけないで





 

――神倉さん、負けないで……!――

 ――き……よ、の?
 消えていたはずの意識。
 しかし、今確かに清野の声が聞こえた。
 俺を呼ぶ、清野の声が。

――神倉さん、負けないで!――

 幻聴じゃない。確かに聞こえる。
 意識が、壊れたパズルを構築していくように再生していく。
 そして――。

『わたしを呼べ、八雲。我が真名は――』

 ――あぁ、ずっとそこにいてくれたんだな。
「……アヴァロン」
 タナトスに堕ちた自我が、楽園の島アヴァロンへと浮上してゆく――。
 あの空の向こう側へ。高く。もっと高く。あの地平を乗り越え、八雲おれ邪雲オレを凌駕する――!

(同調)

   *
 ゆらりと立ち上がる影。
 その姿を、邪雲は確かにた。
 ――未だかつて感じたことのない、畏怖≠ニいう感情と共に。
「莫迦な……! 同調シンクロだと!? こんなことが……」
 立ち上がった彼の右手が黄金色に輝く。
 ――誓いはここに。
「これが、ココロが捜し求めていたもの――」
「邪ぁぁ雲ぉぉぉぉぉぉ!!!」
 ――二人の心は、今繋がったのだ。

   *
 ――17:52。
 際限なく数を増すエインヘルヤルの群れ。一時間にも及ぶ熾烈な殲滅戦は、どうやら聖徒会側の敗北という形で幕を引くようだ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
 膝に手を置き荒れた息を整えるのに必死の阿須波。先日ホオリを相手に善戦した彼女だったが、今回はあまりにも分が悪かった。相手は八mという規格外の大きさを持つ人外の魔物なのだ。せめてランドグレイヴが万全ならば、結果はまた違ったかもしれない。
 阿須波だけではない。春姫も飯綱も那綱も彦根も鈿女も、誰一人余さず満身創痍だった。
「いやいや、よく頑張った方じゃねぇか。俺様びっくりだ」
 賛辞を送る言葉とは裏腹に肩を竦めるホスセリ。奴もところどころ傷を負ってはいるものの、致命傷には程遠い。
「これまで……かしら、ね」
 鈿女は希望を失いかけていた。それは彼女に限ったことではない。
 ――ただ一人を除いて。
「まだです! 八雲くんが戻ってくるまでは……!」
 一縷の望みを託して叱咤激励する春姫。皆に。そして自分に。
「私達が……護らないと! 八雲くんが帰ってくる場所を!!」
「お涙頂戴の愛情劇は結構結構。だがな、現実はそんなに甘かねぇってことを教えてやる! まずはビトレイ、テメェからだ!!」
 そう言うが早いか、那綱目掛けて体当たりをぶちかますホスセリ!
 槍兵の真骨頂は、俊敏な動きで相手を攪乱することにある。故に、かような接戦では全力を発揮することが出来ない。
「ぐあぁっ!!」
 ノスフェラトゥでは純粋な物理ダメージを軽減することは不可能である。体当たりをもろに食らい、何十mも吹き飛ばされる那綱。
「兄さん!」
「おおっと余所見してる場合か妹ぉ。今度はお前だ……ぜっ!」
 飯綱の頭を片手でがしっと鷲掴みにし、持ち上げる。
「ああっ!」
 そのまま凄まじい握力で握りつぶそうとするホスセリ。
「テメェはホオリの野郎が殺したがってたが……まぁ不可抗力ってやつだ」
「飯綱を……!」
 阿須波がデュランダルを抜き去り――。
「放せぇっ!!」
 ホスセリの腕に斬りかかる! しかし。
「うぜぇ!」
 無造作に振るったもう片方の腕が、阿須波の顔面にヒットする。
 苦悶の声をあげる暇もなく、丸太のように太い腕の前に、華奢な彼女の身体は容易に弾き飛ばされた。
 ホスセリは、飯綱を掴んだ手に更に力を加える。めりめり、と頭蓋骨が軋む音が響いた。
「く……あっ……」
「くくく……、このまま握りつぶして脳漿ぶちまけてやろうか――」
 そう言った矢先――。
 不意にその力が緩む。
 ホスセリの視線の先、阿須波が飛んでいった向こう。
 銀色の髪を揺らし佇む、一人の少女の姿を見たからだ。
「がく……えんちょう」
 砂利で口の中を切ったのか、唇の端から血を垂らしながら息も絶え絶えに言う阿須波。
 その姿は、紛れもない。
 清命学園学園長、清野命だった。
「清野さん!? ということは……!」
 そしてその背後に立つ人物は――。
「……待たせたな」
「ヤクモ――」
 救世主メサイアは今ここに。
 不死鳥の如く蘇ったのだ。
 ホスセリが驚嘆を伴って呟く。が、それも一瞬のこと。
「……へっ、今更何しにのこのこ出て来やがったヤクモ」
「決まっている。お前を倒しにだ」
「――――」
 即答する八雲。そして思いもよらぬ強気な発言に二の句を継げないホスセリ。
「……随分大きく出たじゃねぇか。俺様とフェンリルを前に? えぇ!?」
 ようやく開いた次の言葉は露わにされた怒気を如実に物語る一言だった。それでも八雲は平然としている。その涼しい顔がますますホスセリには気に入らない。飯綱を八雲の方に投げ飛ばした。
「今度こそ骨の最後の一本まで食らい尽くしてやる……フェンリル! やっちまえ!」
「ウオォォォォ!!」
 主の命に従い、八雲に襲い掛かるフェンリル!
「……すぐに分かるさ」
 右手を高く翳す。そして――。
「――来い」
 呼び声高らかに。
 八雲は、その名を紡いだ。
「――アヴァロン」
 カッ、ドオォォン……!!

   *
「なんと……まさか――」
 驚愕のニニギ。彼女にしては珍しく、サクヤの顔にも色が浮かんでいる。
「邪雲に、打ち勝ったというのか……。人の身で?」
「これが、ココロの捜していたもの――」
 時計は、十八時を指していた。

   *
 ドドドドド……!
 一瞬の閃光の後、吹き荒れる激風と巻き起こる砂塵。
「な、なんだ! この魔力は……!?」
 荒れ狂う風籟の向こう。
 ホスセリは、そこに一振りの黄金の剣・・・・を見た。
 宵闇に染まり始めた世界の中に於いてさえ、眩いばかりの黄金の輝きを放つ。さながらそれは暁の光だ。
 純白の鞘を突き破り現れたは――。

「――楽園の神ロード・オブ・アヴァロン=v

 再生の剣リジェネレイトソードロード・オブ・アヴァロン=Aそれがの聖剣の名だった。そして――。
「なんだ、その剣は……! なんだ、その――」
 八雲を指差すホスセリ。
 ――正確にはその後ろに立つ何か・・、を。
「その、姿は――?」
 八雲の背後には一人の剣士が直立していた。しかしその姿は亡霊のように霞み、存在が不明瞭だ。
「…………」
 答えない八雲。それがホスセリの恐怖を煽った。
「ッ……、やれ、フェンリル!」
 振り下ろされるフェンリルの豪腕。
 それを八雲は、ロード・オブ・アヴァロンで容易く防いだ。
 目を見開く一同。そして皆が同時に瞬きをして、次に目を開いた時――。
 八雲は、光の速さでフェンリルの背後に回って尾を半分に斬り落としていた。
「グォォォォ!?」
 突如走った激痛に、訳も分からず叫び声を上げる氷牙狼。そして――。
「アヴァロン!」
『応!』
 八雲の叫びに応じて、彼の背後の何か・・が残った尻尾をそのまた半分に斬り取った。
「あれは……?」
 春姫が至極もっともな疑問を口にする。
 その何かは確固たる意志を持ち八雲の呼び声に応え、更にはフェンリルに対して斬撃を繰り出した・・・・・・・・のだ。
「あれが、アヴァロン≠ナす」
 そう返答をしたのは命だ。
「アヴァロン?」
「えぇ。意志を持つアダプト、アヴァロン=Bその顕現です」
「アダプトが、意志を……?」
 頷く命。
連撃れんげき≠フスキル。神倉さん本人の攻撃に加え、顕現されたアヴァロンによる追加攻撃――。邪雲の力をも取り込み手に入れた、進化した神倉さんの真の力です」
「アダプトが……進化を……」
「すげぇ……」
 騎士甲冑に身を包んだ初老の騎士。実在≠オないが、存在≠キるもの。それこそが、神倉八雲の内に宿っていたもう一つの魂、顕現されしアヴァロンの姿だった。
 時に同方向から――。
 時に逆方向から――。
 時に同時に――。
 時に時間差で――。
 多種多様な攻撃が、ありとあらゆる方向から、ありとあらゆるタイミングで、つむじかぜの如き速度を以って二人の剣士から放たれる。
 八雲とアヴァロンの連撃は、まるで休むことを忘れた深海魚のように止むことがない。
 そしてその姿が霞み――。
「こっちも忘れるな――」
 フェンリルにばかり気を取られていたホスセリ本体の前に接敵し、アヴァロンとの連携攻撃を繰り出す!
「『はぁぁっ!!』」
 ――ザン!
「ぐうぅっ!?」
 防御する間もなく、ホスセリの身体には十文字に、深い傷痕が刻まれた。
「くっ……、クソがぁぁぁ!!
 力任せに振るった拳を、八雲は難なく躱し春姫達の下へ一度離脱した。
「なんて、圧倒的――」
「勝てるわ……!」
 那綱と阿須波が同時に呟く。
「はぁっ、はぁっ……。ちくしょう……!」
 完全に形勢は逆転されていた。たった一人の人間の介入によって。
「諦めろ。力の底が見えた。これ以上やっても勝てないのは理解できただろう」
「……そいつはどうかな」
「なに?」
 八雲の最後通牒をしかし、ホスセリはあやしく苦笑いして両手で印を結び――。
「――解き放て、餓貪の鎖グレイプニル=v
 最後の封印を、解放させた。
「なんだ? グレイプニル……? ――なっ」
 八雲が目を見張る。
 フェンリルの全身を纏っていた氷鉄の鎖が……。
 不快感を催す音を立てて砕け散っていった。
「オオォォォォォォン!!」
 復活するフェンリル。その魔力は先程に比べて明らかに膨張し、身体は一回り大きくなったようにすら見える。
フェンリルこいつはな、俺様ですら手に負えねぇじゃじゃ馬だ。だから餓貪がどんの鎖グレイプニル≠ナ本来の力を封印されていたのよ。……その封印率は五〇%、つまり今のこいつの力はさっきまでの――」
 跳び襲い掛かってくるフェンリル! 八雲はその落下地点まで即座に移動し――。
「――二倍だ」
 そして、高い跳躍から振り下ろされた爪の一撃を、ロード・オブ・アヴァロンで受け止めた。
 ――ガギィン!!
「くっ……!」
 さっきまでとは比べ物にならない程の猛襲を受け、たじろぐ八雲。
「そんな! あれで加減していたなんて……」
「八雲くん!」
 鈿女が叫び、春姫は駆け寄ろうとする。それを――。
「清野さん!?」
 命が手を伸ばし、それを制した。
「……大丈夫、神倉さんは絶対に大丈夫」
「やれ……やれ! ぶっつぶせぇ!!」
 ホスセリがヒステリックに罵声を浴びせる。お互い一歩も譲らぬ鍔迫り合いを続ける両者だったが――。
「――えろ」
 両者の決定的な差。
 それは力の差ではなく、常に冷静であった者と、冷静さを欠いた者の差だった。
 実戦では、それが生死の境を分ける。
 八雲の魔力が一瞬で増大し――。
「――アヴァロン!!」
 光に洗われる。いつかは純白に、此度は金色に。
 斬撃が飛ぶ。それは訳無くフェンリルの頑強で鋭利な爪を砕き――。
「なぁぁぁぁ!?」
 離れたところに立っていたホスセリにまで届いた。そして――。
 そこに続く地面には一直線に、ここが現実世界であれば永劫消えることはないであろう深い断層が刻み込まれた。
「はーっ、はーっ、はーっ……!」
 おそらく致死量の出血を流すホスセリ。魔力が尽き、消滅していくフェンリル。そして、その向こうに威風堂々と立つ八雲の姿を、ホスセリは確かに見た。
「分かっただろう、お前は俺には勝てない!」
「くっ……そがぁぁぁぁ!!!」
 窮地に立たされ、我を失ったホスセリが激昂して八雲に跳びつこうとする。しかし。
『そこまでだ、ホスセリ』
 上空から響いた鶴の一声が、ホスセリを止めた。
 一斉に空を仰ぐ。そこに――。
「に、ニニギ……」
「スキーズブラズニル――!」
『時間稼ぎ大儀であったな、ホスセリ。……もっとも、お前は本来の目的を失念していたようだが、邪雲が取り込まれたのは予測不能の事態だ。不問に付す』
 やはりスキーズブラズニルの先端に立つニニギ。そして、その傍らには少女の姿。
(あれが、サクヤ――)
『ヤクモ……』
 ぼそりと呟くサクヤ。
『撤収しろホスセリ。その傷では遠からず消滅するぞ』
「……了解」
 苦々しく短い承知の旨を述べて、覚束ない足取りで降ってきた光の柱の中に消えていくホスセリ。
「ニニギ……様」
『ナヅナか。やはり裏切ったな、所詮は人の子か』
 蔑むような眼差しで那綱を見やるニニギ。しかし那綱は……。
「裏切る? ……違うな、見限ったのさ、ニニギ・・・
 そう言って、かつての主から完全に決別する意を示した。
『ふっ……小僧がよく囀りよる。それより――』
 今度は八雲を見下ろす。
『同調(シンクロ)、か……。まさか実存するとは思わなんだぞ』
『ココロの娘……ミコトといったかしら? またもしてやられたわね』
「これが私達人間の力です! もう貴方達の好きにはさせない!」
『あらあら。何が人間≠諱B半神の半端者のくせに』
「……ッ」
 心の琴線に触れられたようで、殺気立つ命。
「……時間稼ぎと言ったなニニギ。それはどういう意味だ」
 その怒りが伝染したのか、静かに今度は八雲が問う。
『そのままの意味だ、ヤクモ。――機は満ちた! 今こそ革命の時ぞ!』
「まさか!?」
『ラグナロク≠ェ世界に鳴り響きユグドラシル≠ェ誕生する!! さぁ、思う様に訪れる無を謳歌せよ人間!!』
 天を掴むように両手を広げ、開宴の時を告げるニニギ。サクヤはその隣で右手を高々と掲げ――。
永久とわに響け破滅の。――終末を彩る鐘ラグナロク=x
 カラァン……。
 サクヤの声に呼応し、天から福音の鐘が鳴った。それは世界中に響き渡り――。
『……無へと還れ、世界樹ユグドラシル=x
 ニニギの声が、あたかも黙示録のように響き渡った。
 ゴゴゴゴゴ……!
 この世の破滅を予期させるような地鳴りが轟く。そして遙か彼方、およそ北西十kmの先――。
「みんな! あれを!」
 鈿女が指差す先――。
 巨大な何か≠ェ、大地から生え始めるのが視認出来た。
「みなさん! 何事ですか!? ……これは――」
 校舎から春日、児屋、菊理の三人が駆けつけてくる。飛来したスキーズブラズニルを見てやってきたのだろう。
 そして、その光景に言葉を失った。
 ……それは樹≠セった。
 天にまで届くかのような巨大なトネリコの樹。地球という惑星そのものに広く深く根を張り、九つの世界全てに跨る生命を司る樹。
 ニニギは告げる。神託のように。
『刮目して見よ人間共。これぞ――』

世界樹のアダプト、ユグドラシル

 
 ――と。
『間もなく地界は無界へと飲まれ、消え去る。そうして、この世界は『正しき姿』を取り戻すのだ!! 座して滅びを待つも良し、無駄に抗うも良し。おくりなは用意しておけ。……所詮、運命は変わらんがな』
 外套を翻し船の中に消えていくニニギとサクヤ。そして、スキーズブラズニルは上昇し、雲海の中にその姿を隠し見えなくなった。
 ユグドラシルから闇が溢れ出し、世界を侵食する。町を、人を、大地を覆い尽くし無へと還してゆく。
 創造と破壊を司る世界樹。それがユグドラシル≠セった。
「まずいですよ学園長! このままでは世界が!」
 春日が悲鳴に近い声を上げる。今この瞬間にも無辜の民が闇に飲まれ、世界は滅亡の一途を辿っているのだ。
「春日さん、NCSの延長を。どこまでいけますか?」
「三人で力を合わせて……六十kmが限界かと」
「六十km……ユグドラシルを前にしてはあまりにも心許ないですが、仕方ありません。やって下さい」
「了解! ……NCS、extension延長radius60000m半径60000メートル――」
in……」
「……voke!!」
 赤い世界がかつてない範囲に渡り広がってゆく。そして六十km四方は隣次元閉塞空間の檻に包まれた。
 ひとまず闇が現世に及ぼす影響は止まった。だが……。
「くっ……」
「うぅ……」
「やっぱ、これだけの距離はつらいね……」
 苦悶の表情を見せる春日ら三人。あまり長く保たないのは目に見えている。時間がない――。
「どうする、清野? あれは破壊できるでかさじゃないぞ」
 八雲が問い掛ける。
「分かっています。ですが、使用者ニニギを倒せばアダプトも消滅するはずです。……直接対決に持ち込みます」
「ですけど! 相手は上空にいるんですよ? どうやって手を出せば……」
 春姫の疑問はもっともだ。連中の根城、スキーズブラズニルは既にマッハ二の速度で彼方へと消え去っている。ジェット爆撃機でもない限りは人の身で到達することは叶わないだろう。向こうからこれ以上不必要に手を出してくるつもりもないはずだ。
 しかし命は――。
「船を破壊します」
 そう、即答した。
「破壊って、どうやって!?」
 彦根が珍しく素の言葉で問い返す。
「……私のもう一つのアダプト、“アンリミテッドウィッシュ”を使います」
「もう一つ……、学園長は二つのアダプトを持っているんですか!?」
 阿須波の質問に黙って頷く命。そして。
「みなさん、ついてきて下さい。スキーズブラズニルを……破壊します!」

   *
 ――18:27。
 俺達は清野につれられ、学園に地下に来ていた。
「これは……!」
「学園の地下に、こんなところがあるなんて――」
 春姫と林が驚きの声を上げるのも無理はない。
 照明器具のない室内に機械のディスプレイが放つ光だけが照らし出される。科学実験室か旅客機のコックピットのようにずらりと機器が並んでいる。
「ここが、荷電粒子砲のアダプトアンリミテッドウィッシュ≠フ発射管制室です。あまりにも強大な力を持つアダプト故、機械制御しています」
「その機械とは……どこに?」
 西園寺が尋ねると、清野は上――地上を指差し。
「……ここです」
「え?」
この清命学園校舎そのものが・・・・・・・・・・・・・巨大な粒子加速器になっているのです・・・・・・・・・・・・・・・・・。……東さん」
「合点承知! 聖徒会は転んでもタダじゃ起きないよ。……スキーズブラズニルの位置、しっかり捕捉しました!」
 目の前の大きなディスプレイに表示されるスキーズブラズニルの機影。
黒衣こくえ霊禽れいきんレイヴンクロウ=B気配遮断のスキルを備えて隠密行動にばっち来いの、ボクの偵察用アダプトだよ。さっきからこっそり追跡させてたんだ。何度も逃げられるのは癪だからね」
「北北西二十五km先……、そんな距離まで届くのか?」
 那綱の問いに。
「造作もありません」
 そうきっぱりと回答した清野。そして彼女はおもむろに左手にはめられたグローブを外す。義手が露わになった。
「発射には始動キーが必要です。……これが、この義手がアンリミテッドウィッシュ≠フ始動キーなのです。――安全装置解除セーフティリリース
 清野がそう呟くと、何もない空間にちょうど拳大の大きさの穴が出現した。
「しかし学園長……。本当によろしいのですか? スキーズブラズニルを墜とすということは、即ち、心さんが――」
 春日さんが遠慮がちに確認する。
 そうだ……、清野の母親の遺体はあそこに……。
「…………」
 深い逡巡の後。
「……世界の命運には代えられません。母が愛したこの地界を滅ぼされるのを座して見ている方が、母に対する冒涜です」
 その穴に義手を根元まで差し込むと、地震のような震動と共に別のディスプレイに屋上の様子が表示された。
 設置された丸型の給水タンクが左右に開き、そこから折りたたまれていた巨大な砲身が出現する!
 しっかりと照準がスキーズブラズニルへと向けられたことを確認した清野は、最後に一呼吸すると――。
「超長距離荷電粒子砲無垢なる願いアンリミテッドウィッシュ=I」
 手首を捻るように反転させ――。
「――発射ぁ!!」
 その大砲の射出ボタンを押した。
 スキーズブラズニルに向けて、一直線に伸びる光の筋。
 そしてそれは音もなく空飛ぶ船を貫通し、船は激しい音を立てて爆散炎上する。
 ある種の美しさを覚える閃光を見つめながら――。
「……さようなら、かあさま」
 そう呟いた清野の声を、俺は聞き逃さなかった。

   *
 ――18:45。
「これで死んでくれりゃあ楽なんすけどねぇ……」
「ニニギ達はそんなに柔じゃない。希望的観測はよせ」
 林に諭されて「冗談すよ」と言う火野。
「でも、これでエインヘルヤルが生み出されることはない……」
 那綱が呟いた。
「児屋、ランドグレイヴの調子はどう?」
 西園寺が山里に確認の意味を籠めて訊く。
「明日には全快していると思いますぅ」
「ではこれより、当作戦名をオペレーション・ヴァルハラ≠ニします。出撃メンバーは次の八名。神倉さん、阿須波さん、春姫さん、飯綱さん、那綱さん、彦根さん、児屋さん、そして私です。残る者はここで待機、NCS維持に全力を注いでください」
 清野の口から北原の名前が出なかったことが少し意外だった。彼女は少し俯いていたがすぐに顔を上げて。
「……懸命なご判断です、学園長。あたしの最強魔法もホスセリにはまるで通用しなかったものね。これじゃ単なる足手まといだわ」
 清野の発言に賛成の意を示した。
「作戦開始時刻は明日十二時ジャスト。それまで各々方、最終決戦に備えていて下さい」
「了解!」
 こうしてこの場は解散になった。

「神倉さん」
 解散になると、清野が俺の下まで寄って来て、俺の名前を呼んだ。
「ん? どうした、清野」
 清野は上目遣いに俺を見上げて。
「……少し、大事なお話があります。後で屋上まで来て頂けませんか」
 もじもじしながらそう言った。
「ここじゃ駄目なのか?」
「二人きりで話がしたいので。……待ってますから」
 そう残すと、足早に地下管制室を出て行った。
「…………」
「……八雲くん」
 背中から呼び声が掛かる。今度は振り返るまでもなく誰だか分かる。
「なんだ? 春姫」
「清野さんのところへ、行くんですか?」
 やはりこいつも上目遣いで。
 ごく当たり前のことを訊いてきた。
「あぁ、呼ばれたからな。行かない訳にはいかないだろ」
「もし……」
 春姫は顔を上げ、正面から俺を見上げる。そして――。
「もし私が、『行かないで』って言ったら八雲くん、行きませんか……?」
 そんなワケのワカラナイことを口にした。
「…………」
 俺は返答に困る。春姫の顔があまりに真剣だったからだ。
 だが俺は……。
「……いや、春姫が俺の知ってる春姫なら、そんなことは言わない。だからその質問には答えられない」
「…………」
 そう、春姫は言わない。そんな他人との約束を反故にするような真似をこいつが許すはずがない。だからそんな問い掛けは無意味だった。
 一瞬絶句した春姫だったが――。
「……そうですね。そうですよね」
 次の瞬間満足したように微笑んで。
「……じゃあ、行ってあげて下さい。きっと、待っていますから」
 うっすら目を潤ませて、そう言って背中を押してくれた。
「女の子はいつだって、白馬の王子様を待っているんですよ」
 その言葉に俺は一歩を踏み出す。その背中の向こうから――。
「――やっぱり、かなわないなぁ……」
 そんな言葉と、すすり泣くような声が聞こえてきた。

   *
 ギィッ……。
 さびついた蝶番が俺の手に微かな抵抗を与えるが、それも一瞬のこと。一度波に乗ってしまえば後は容易く重い鉄製の扉が開く。
 ちょうど陽は落ち、眼下に町の明かりがぽつぽつと見え始めていた時間帯。
 清野は扉から見て一番奥――、俺に背を向けて左手でフェンスを握りながら待っていた。
 俺はその背中にゆっくりと近付いていく。だが、あと数歩のところで自らの意志とは裏腹に立ち止まった。
 それ以上近付けない。
 動かない。
 動けない。
 まるで見えない壁に阻まれているかのように、停止を余儀なくされた。
「……私、神倉さんに黙っていたことがあるんです」
 ぽつり、と。
 俺がそこで立ち止まっていることを確信しているかのように。
 そこで立ち止まっているのが俺であるということを確信しているかのように。
 こちらを振り返らず、独り言のように清野は呟いた。
「私、産まれる前から神倉さんのことを知っていたんです」
「……どういう、意味だ?」
「母の魔力を通して……、『いずれ目覚める邪雲の転生先』として、胎内にいた頃から母に見せられ、教え込まれてきました」
「…………」
「ずっと会いたいと思っていたんですよ、子供心に。……そしてあの日、神倉さんは私の前に現れてくれました」
 フェンスを握った左手に力が籠もる。ぎり、という音はフェンスが軋む音なのか、それとも清野の義手が軋む音なのかは分からなかった。
 肩が震えていた。泣いているのだろうか。だからこっちを向かないのだろうか。
「……お願いがあります、神倉さん」
 神妙な声で次の句を継ぐ清野。
「……なんだ? 清野」
 自分でも驚く程優しい声が出た。俺にもこんな声が出せたんだな、と今更ながら新しい自分を発見したのが少しおかしい。
「私のことは、『清野』ではなく、『命』と呼んでくれませんか?」
「…………」
 それは予想外の言葉だった。
 しかし、俺はその言葉を、心のどこかで期待していたのかもしれない。
 だから、俺の答えなんて決まっていた。
「俺のことも、『八雲』と呼んでくれるのなら、喜んで」
「…………」
 しばし黙っていた清野だったが。
「……じゃあ、八雲さん、ですね」
 そう口に出すと、ようやく彼女はこちらに向き直った。
 その瞳に涙は――。
 ――浮かんで、いなかった。
「私……、帰ってきたら八雲さんに大切なことを言います。その時は……聞いてくれますか?」
 白磁の頬に紅葉を散らして清野――命が問う。だから俺は――。
「……あぁ、もちろんだ」
 そう答えた。
 にっこりと笑ってくれる命。そしてまた背を向け、眼下の町並みを見下ろす。ようやく俺の足も動き、自然とその隣に並んだ。
「……地界は、綺麗ですよね、八雲さん」
「あぁ、そうだな、命」
 俺達は何も語らず――。
 黙って最後の景色を眺めているのだった。
 お互い、一歩だけ近付く。
 ――時計は、十九時を指していた。

七月二日(木)
  *
 ――11:58。
「では皆さん、準備は良いですね?」
 整列していたみんなに命が確認を取る。
「阿須波さん」
「はっ」
「春姫さん」
「はい!」
「飯綱さん」
「問題ない」
「那綱さん」
「あぁ」
「彦根さん」
「ういっす」
「児屋さん」
「はぁい!」
「春日さん」
「はい」
「鈿女さん」
「分かったわ」
「菊理さん」
「うんっ」
 一人一人の顔を見据えて、意志薄弱のないことを確かめる。そして最後に――。
「八雲さん」
 隣に立つ俺の名を呼んだ。
 俺は黙って頷く。そして――。
「みんなで一緒に……帰ってこよう」
 それだけ口にした。
 多くは語るまい。
 みんな、そんなことは百も承知だろうから。
「NCSを展開し続けるのも、おそらく今日いっぱいが限界です。それまでに決着をつけなければ地界は飲まれて消えます」
「分かりました。……現時刻を以って――」
 世界の存続を賭けた戦い。
 ラストバトル――。
「“オペレーション・ヴァルハラ”、ミッションスタートです!」
 ――−六:〇〇:〇〇。

unlimited last mission〜operation Walhalla〜・了


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